こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕には「得意なこと」と「不得意なこと」があります。
特に水泳と楽器演奏(歌)は、やろうとすらしていませんが、本当にできません。
だから「それらができる人」を見るだけで、ものすごい尊敬してしまいます笑。
苦手なことがあるのは誰しも同じであり、「全てを完璧にこなせる人」がいれば、僕は今日からその人を神として崇め奉ることでしょう。
確かに「ある程度何でもできてしまう人」は世の中に存在し、
- 優秀
- 秀才
- 天才
- ミスター・パーフェクト
などと呼ばれて、もてはやされています。悔しいものです。
一方でその存在を大きく感じてしまい、「私なんて…」と思っている人や生徒もたくさん見てきました。
今日は「そんな必要はなーい!」ということをお伝えしていく、「励まし系」の記事になっています笑。
ぜひ元気を出してくださいね。
「〇〇 × あなた」=無敵
先日、興味深い言葉を聞きました。
「なんでもかんでも『ある分野について、一番の人しかものごとを教えてはいけない』説があるのであれば、
- 投資はウォーレン・バフェット
- テニスはジョコビッチやナダル
しか教えてはいけないことになる。誰もが誰かの役に立てるはずだから、一番であるかどうかは気にしなくていい」
この言葉は、僕の胸に深く刺さりました。
特に「英語」を主軸として仕事をしていますと、
- 帰国子女
- バイリンガル
- 英検1級ホルダー
- TOEICマスター
などに引け目を感じてしまうことがよくありました。
- 今までやってきた自負↑
- 英語圏に住んだことがない劣等感↓
の2つの気持ちが葛藤し、しまいには「努力していくしかないよな…」と落ち込んだ時があったものでした。
しかしこの言葉を聞いてからは、「なんだ。もっと自信を持っていいじゃないか!」と思うようになりました。
誰しも(レベルは置いておいて)「自分が好きでたまらないこと」があります。
その熱量さえあれば、みなさんのその「気持ち」を買いたい人が現れるはずなのです。
また、
- とにかく笑顔が素敵
- 話しやすい
- 初心者に丁寧
- 思いやりがある
など、その人のスキルだけではなく、キャラクターについても「いいな!」という人には、多くの人が寄ってきます。
「逆もまた然り」です。
どんなに高度なスキルがあっても、
- 自己中心的
- 相手から搾取することだけを考えている
- イヤミったらしい
- バカにしてくる
など「性格に難あり」であれば、人が寄ってこないこともあります。(あくまで一例です)
だから僕は、「かけ算」が大切だと思っています。
「サウナ × ジム」などの、今流行りの掛け合わせではなく、「〇〇 × あなた」です。
「〇〇」には、
- 自分の好きなこと
- 自分が誇りを持っていること
- 自分が長く続けていること
- 自分が自信を持って伝えられること
などが入ります。
つまり、「あなた」のほうは伸び代が無限大 ∞ なのです。
さらに、その「あなた」のニーズにつきましても様々な形が考えられますので、広がりは多種多様ですよね。
世間にはその道の「一番の人」しか発言をしてはいけないという決まりはなく、むしろ、
- 親近感がある
- 性格が合う
- 自分の一歩先を行っている
と言った要素だけで、その人の価値は一気に上がることになります。
逆に言えば、「あなた」の部分を必死に磨くことも必要になります。
これを意識すれば、唯一無二の存在になることができるのです。
僕にはできないことを、あなたはできる。
先ほどあげたように、僕は楽器をロクに弾けません。
しかし「ダンスを踊ること」ならできます。
ただ僕がダンスを踊れるのは、そこに超エキサイティングな音楽があるからです。
僕には音楽を作る能力がありませんので、
と思うと同時に、
とも思ってしまうのです笑。
僕にはできない「楽曲作成」や「演奏」をすることができる人は、世の中に無数にいるわけです。
おかげさまで、僕はダンスを楽しむことができています。
「適材適所」という言葉があるように、人にはそれぞれ役割があります。
僕には、
- 人に優しくできる柔和な心
- 他人を癒すことができる天然さ
- 何でも受け流すことのできる潔さ
のようなものはありません笑。
特に「職員室の先生たち」はそれの良い例でして、
- そんな先生を求めて来る生徒もいれば、
- 僕みたいに「適当な人間」に寄って来る生徒もいます笑。
全てにおいてそうでして、誰かが誰かの苦手を、自分の得意で埋めているのです。
と言われることもありますが、僕は「先生」や「教育」という分野が超得意ですので、何の苦でもありません。
他にも「事務作業は苦手で、頭が爆発する!」という人もいれば、
- 「プログラミングで1日潰せるわ」
- 「机に向かう作業が一番はかどるぜ」
- 「会社の帳簿とにらめっこしている時間が至福の時」
という人もいるのです。
「僕のできないことを快くやってくれる人」がいるおかげで、僕の人生は幸せになってきました。
世の中にはある人の苦手なことを、好き好んで積極的にできてしまう人がいるのです。
そうやって世界は回っていると思っています。
ありがとう、みんな…
だから僕も「自分が与えることのできる力」を、周りの人に与えていこうと思うのです。
社会は単純でないがやることはシンプル
- 「ある分野の一番の人」
- 「誰もがうらやむ人」
だけが社会を回していないように、社会はそれほど単純なものではありません。
様々な人がいて、様々なニーズがあるからこそ、この世界は成長を止めないのだと思っています。
探せばいろんな発見があって、常にアップデートされる現世は、ついていくことだけでも必死なのです。
しかしその一方で、僕らがやることはシンプルだと思っています。
- 自分を磨く。
- 相手のことを考える。
くらいなのかな、と笑。
「その分野で一番ではなくても良い」と言いましたが、それは「なんの努力もしなくていい」という意味ではありません。
僕も「トップの人に追いつこう!」と思うからこそ、英語の学びをやめずに、教育現場で指導に四苦八苦して、いつまでも学び続けています。
また、誰もが「誰かの役に立てること」も間違っていないと思っていますが、一方で「相手のことを何も考えていない」状態が続けば、周りの人たちも寄っては来ず、だんだんと離れていってしまいます。
それは「独りよがり」の考え方だからです。
自分の長所を自身のためだけに使うことも否定はしませんが、お互いの苦手な部分を埋め合うことで、
- より幸せを感じたり、
- 感謝できるようになったり、
- 社会に貢献したり
することができます。
「自分を輝かす」ためには、
- 自分の好きなことに情熱を持ち、
- それを人のために使うこと。
人は自ら輝くことはできず、必ず「輝ける場所」があります。
僕は、誰もが独自の「素質」や「能力」を持っていると思っていますが、それは使いようによってはうまく輝かないとも思っています。
その人にとっての「適した場所」も重要だからです。
「相手のことを考えること」は、「自分に求められていること/自分にできることを考えること」とも言い換えることができます。
そうすれば、自然とそのスポットにはまっていきます。
- 自分を磨き続け、
- 相手の求める場所に行けば、
- きっと輝くことができる
のではないでしょうか。
そのシンプルな努力や継続、思いやりによって、自分を輝かせてみてください。
おわりに
誰もが輝ける時代。
それはウソではなく、SNSやYouTubeが盛り上がっていることで現実となってきています。
それでも、まだまだ自分に自信のない人はたくさんいますし、「もったいない!」と僕は思っています。
という人は、世の中を探せば無数に存在するからです。
自分を卑下する必要はありません。
誰かのために自分を磨いた努力は、裏切らないからです。
むしろ「周りが放っておかない」のです。
みなさん一人一人に魅力がありますから、その魅力を大切に磨いて、誰かのために輝かせてみましょう。
さて、僕も自分磨きをするとしますか。
それではまた!
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