大人になっても間違えたらしっかりと見直す【間違ってもいいけれど…】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

2025年10月現在、政治に詳しくない僕ですら、

日本の未来はどうなるのだろうか?

と、ヒヤヒヤしながら見ています。

いろんな動きがあるとはいえ、やはり政治家の中にも、

自分は間違っていなかった

と、意見を変えることがない人もいれば、

やっぱり〇〇さんはブレてないなぁ!

と、信者から抜け出すことのできない人もいます。

SNSのおかげで、「誰が日本の成長を邪魔したいのか」がかなり明確になってきました。

そんな政局の中、「大人になっても謝ること」について書いていきます。

大人になるとなかなか謝ることができなくなる。そうならないようにするために、常に自分を疑って修正していこう。

大切なのは客観性

僕が英語教師として大事にしているのは、「客観性」です。

特に学問や勉強のフィールドでは、

自分は間違っていないか?

を、常に検証するクセをつけておかなければなりません。

その上で、サンプルがある程度そろった時に、

よし。これなら十分な説得力になるだろう

と信じるようになります。

英語についてだけでなく、

  • 政治
  • 歴史
  • 言葉
  • 考え方

などについても、できる限り「それはどうだろうか?」と疑問を投げかけるようにしています。

誰かや何かを妄信しすぎてしまいますと、足元をすくわれてしまいますからね。

もちろん、他人がどうこう言うことにばかり、耳を傾け過ぎてもよろしくありません。

軸がブレ過ぎ

と言われてしまいますからね。

うまい按配でニュースをみたり、意見を取り入れたりすることです。

特にSNSでは、広く情報を集めることができます。

一番良いのはニュースや新聞も入れ込むことでしょうが、報道番組が出しているニュースや記事もネットで斜め読みくらいはできます。(だから無理して見なくてもいい)

大切なのは、多種多様な意見を見てみることです。

僕は保守系の人たちの動画を見ることが多いですが、最近は他の政党の動画も見ています。

その中でもいい意味で「分断」があって、

あぁでもない
こうでもない

と言い合っています。

これはとてもいいことなのです。

  • 誰が敵だとか
  • 誰とは話したくないだとか

そういうことではありません。

客観的に見ておけば、あとは民意が(多数決で)決めたり、真っ当な意見が賛同を得たりします。

だから僕らはあくまで “個人として” 意見を持っておき、それを友人や家族レベルでぶつけ合っておくこと。

客観性を持つために手っ取り早いこととは、とにかく多くのサンプルを集めておくことですね。

常に客観的でいられるようにしよう。そのためにはいろんな情報を集めて、多くのサンプルの意見を知っておくことだ。

間違えたら謝ること

今回の政局でも、

いやぁ〜これはやっちまってる笑

という政党がいくつかありました。

客観性を保てていないと、時に自分本位になってものごとを進めてしまいます。

  • 人の話を聞けない
  • 変わろうとしない

と、「とにかく俺/私が!」といった個人的な主張が先走り、周りから愛想を尽かされてしまいます。

何度も言いますが、人の言うことばかりに気を取られていてもダメです。

ただ、あまりにも他人の意見を無視した形でものごとを進めてしまいますと、

もうこいつには何を言ってもムダだ

と思われてしまいます。

そこで大事なこととは、「間違ったら謝ること」なのです。

大人になってきますと、プライドが邪魔をしてきます。

まるで「謝ったら恥ずかしい」と思っている大人さえいます。

でもみなさん言いますよね。

「ありがとう」と「ごめんなさい」が言える大人になりなさい

と。

これらはセットであり、片方が欠けている人とは、得てしてもう片方も欠けている可能性が高いです。

人間、間違うことだってあります。

僕だって完璧に生きてきたわけではありませんし、時に「誤った選択」をして後悔したことだってあります。

でも大切なことは、その時に「謝れるかどうか」なんですよね。

僕は英語を教えている時に、

ごめん、そういう意味はなかったわ
ごめん、調べたら全然意味が違ったわ

ということだってあります。

そもそも知識もなくて教えていたら論外ですが笑、たくさん勉強している中でのミスですので、そこにはすでに信頼があります。

講師として一緒に勉強している姿勢を見せるほうが、生徒たちも安心しますしね。

この先生は、自分が正しいと思い込んでいるわけではないのだな

と。

だから、

ちょっと待って。自分の中で意味が曖昧だから調べたい

と言い、間違ってたら「ごめん!」と言えるほうがよっぽどいいです。

間違えたり、失敗したりしたら謝ること。

この姿勢はとても大切ですね。

間違えたらきちんと謝るようにしよう。それができなければ、誰からも信用されなくなる。

柔軟に、かつ芯は固く。

僕はこのブログを通して、自戒の念も込めて、

  • 客観性
  • 自分軸
  • 柔軟性

などを取り入れるようにし、同時に過ちへの迅速な対処も考えるようにしています。

ブログでも間違えることはあって、それを修正しながら1,600記事以上書いていますから(2025年10月現在)、

まぁ、普通の人に比べればたくさん考えているかな汗

と思っていますので、許してください笑。

誰しも自分の軸はあったらいいとは思いますが、それが信念から妄信に変わってしまったら、ただの「オカルト」になってしまうことでしょう。

そうならないようにするためには、先述した客観性を持っておくことでしたね。

あるいは「柔軟性」と言い換えることもできるかと思います。

間違いを正すことも大事ですし、謝ることも大事です。

そして指摘される前に、

これって間違ってやしないか?!

と、先に自分を疑っておくことは、もっと良い態度でしょう。

どれも繋がっており、どこか「自分の意見を曲げられない人」とは、

  • 本は読まない
  • 議論しようとしない
  • 他人の意見は聞かない
  • いつもグチばかり言う
  • 新しいことを知ろうともしない

と、どれも言い方は違えど「成長しない」性格だということです。

そう、以前の僕ですね。

一事が万事とはよく言ったものでして、ある一点に対してズボラですと、他のところにも少なからず影響を与えているというものです。

その人の性格や考え方など、その人自身を作る “根幹” を「自分の手で」変えていかなければなりません。

間違いを訂正したり謝ったり、普段から様々な意見を取り入れたりしている人に、イヤな顔をする人はいません。

むしろそうした客観性のある人ほど、自分の軸をしっかりと持っています。

なぜなら、十二分に自分のことを疑ってきたからです。

テストでもそうですね。

最後の見直しの時に、いかに「自分は間違っていないだろうか?」と真剣にアラを探すことができるか。

ここで点数が変わってくるように、思想や考え方、その人のあり方についても、実は似たような部分があるんですよね。

間違えることはあってもいいが、その前にちゃんと見直す姿勢があり、柔軟かつ客観的にものごとを見られているかどうかがカギだ。そういう人ほど信念が固かったりするものなのだ。

おわりに

間違いを認められない人とは、一定数います。

そんな人たちを変えることはできません。

しかし、そういう人にならないように僕らは、

  • 謙虚に
  • 柔軟に
  • 客観的に

ものごとを捉えてゆく必要があります。

僕も気をつけながら過ごしていきますね。

それではまた!

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