こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
予想どおりに不合理という本の中に、「信用・信頼」という言葉が出てきます。
人の社会は基本的に「信用や信頼」をもとにして成り立っており、それらがないと崩壊してしまうというお話しです。
僕は嘘がつけない男として名を馳せてきましたが(?)、一方で貯金をして「一人勝ち」しようとしていたことも事実です。
貯金を絶対悪とは言いませんが、それによって起こるデメリットも、お金の勉強をしていく中でいくつか学ぶことができました。
果たしてすずきの一人勝ち、信用貯金などについての見解はどういうものなのか。
見ていきましょう。
一人勝ちを狙うと崩れる構造
本書で出て来る「共有地の悲劇」は、中世イングランドのお話です。
その時代、教区は共有地を保有しており、教区民は決まった数の牛や羊を放牧することができました。
ちょうどいい按配の家畜数であれば、牧草が枯渇する前にまた生え戻り、家畜たちがバランス良く牧草を食べることができます。
しかし「自分の資産だけを増やしたい」と思う貪欲な農夫たちが、定められた以上の数の家畜を放してしまいます。
短期的に見ればその農夫たちの多くの家畜が肥えて利益を得ることができるのですが、長い目で見るとやがて牧草地はバランスを失って枯れてしまいます。
全体の家畜に栄養が行き渡らなくなり、結果「全員が損をする」というものです。
僕は「一人勝ちしてやるんだ!」というように、自分1人のためだけに蓄財していたわけではありませんでしたが、よくよく考えてみますと「蓄財する ≒ 個人の資産のみを肥やす」とも取れます。
「将来が不安なので貯金しておこう…」という発想は大切なことですが、僕の中に誰かのためにお金を使うことを惜しんでいた気持ちがあったのも間違いではありません。
先ほどの農夫たちのように、
- 「俺だけ儲けるんだ」
- 「俺の財産だけでも守るんだ」
といった人が集まってゆけば、最終的に全体で落ち込んでしまうという結果になってしまうのです。
例えば僕が以前のまま変わらずに、
「受け取った給料はできる限り使わないんだ」
と決め込んでしまえば、社会経済に流れるお金はストップしてしまいます。
数名がやるのであれば大した額ではないかもしれませんが、これが「国全体に蔓延している考え方」であれば経済が回らなくなって不景気となり、結果的にお金を使わなかった個人に回り回って打撃が来ます。
蓄財自体が悪かどうかというよりも、その心持ち・姿勢・考え方がどういう状態なのか。
「どういう意図でお金を溜め込んでいるのか?」大切なんですね。
特に「短期的に物事を見ている人」は要注意です。
最大瞬間風速を見れば自分が得をしたように感じますが、長期的には自分にしっぺ返しがくると思っておいたほうがよさそうです。
投資における「短期ではなく長期目線で」という考え方は、なぜ短期売買で散っていく人たちが多いのかを物語っているようにも思えます。
信用を失う行為を繰り返すと…
さらに先ほどの「一人勝ちマインドのデメリット」を助長する「公共財ゲーム」というお話も出て来ます。
始め4人に10ドルが渡されるのですが、「共同基金」に出資することで儲けを得ることができるというゲームです。
もし全員が10ドルを基金に出資すれば40ドルが集まり、その後それを2倍の80ドルにして4人に「均等に」渡すことになります。(1人あたり20ドル)
ここでも「一人勝ち」しようとする人が現れます。
出資のタイミングでその人だけお金を出さなかったのです。
すると出資額の合計は3人分のみですので10ドル×3=30ドル。これを2倍にして60ドルとなってしまいます。
ここで問題なのは、増えたお金が「均等に」4人に配られるということ。
すると60÷4=15ドルがそれぞれのふところに入り、お金を出さなかった人が10+15=25ドルで一人勝ちすることになるのです。
全員が出資すれば1人あたり20ドル戻って来るのに対し、今回は出資しなかった1人のみが25ドルで最大の利益を獲得することができるのです。
結果、何が起こるか。
牧草地の話に少し似ていますが今回は「人」ですので、だんだんと他人に対する信用が失われていきます。
最終的にはこのゲームにおいて誰も出資をしたくなくなり、10ドルのまま減ることはありませんが増えることもなく終わっていきます。
- ただただ不信感だけが感染し、
- 得られるはずの最大の利益も得られず、
- 最終的には信用度が低くなってしまい、
- 誰しもが損をする。
というお話です。
本実験では社会の人々が「信用という公共財」を、いかに互いに共有しているかということを示しています。
どこかでその「信用」を損なう行為があれば、「信用」という公共財も減って行ってしまいます。
社会全体の信用がなくなってくると、周りの人間も同じように信頼されないような行為を繰り返すようになります。
これほど生きにくい社会はありません。
何を売買するにしても、毎回疑ってかからなければならないのですから。
一方で信用と信頼の上に成り立っている社会は、どんどん成長していきます。
個人や会社、社会にそれぞれ信用と信頼が積み重なり、それらを貯めて渡してと繰り返し循環していくことで、社会が回って行くのですね。
ゆえに「お金」と「信用・信頼」は、密接に関わっていると言っていいと思っています。
お金と信用・信頼
蓄財を決め込めばある程度自分の資産は維持できますが、増えることもないまま停滞してしまいます。
逆に「浪費」や「投資」をすれば、社会全体の成長を促し、その後よく育った社会のサービスを受け取ることができます。
僕のマインドは、徐々に後者へと変わりつつあります。
この「浪費」や「投資」と言ったお金にまつわる言葉は、一見すると「信用」や「信頼」と無縁のようですが、クレジットカードという言葉があるように、実はとても深い繋がりがあると感じています。
お金を渡すという行為は、信用を渡す行為に近いからです。
例えばサウナ施設があったとして、わかりやすく「先」に僕からお金を支払うとします。
そこにはサウナ施設に対する、僕のある程度の「信頼」があります。
「本当にいいな」と思えるものには、信頼や信用がどんどん貯まって行くわけですね。
すると「信用・信頼」を渡している僕にもメリットがあります。
「この人(僕)はいいものに対して、きちんとお金を支払ってくれる人なんだな」という「僕に対する信頼」が積み上がっていきます。
先ほどの公共財ゲームでいうところの、共同基金への出資にあたる行為です。
これが繰り返されればお互いの信頼度がだんだんと積み重なり、社会全体も最大の利益に近づくことができます。
一方で変なものに出資(浪費・投資)しないようにと、気をつけるようにもなりました。
わかりやすく言えば詐欺や情報商材、嘘の広告などです。
- 目先の利益を求めた会社が、信頼を失墜するような広告を打つ。
- そして同じように目先の利益を獲得しようとした消費者が、その商品を買う。
その悪循環が続けば、会社と消費者の両者の信頼は落ちて行き、いずれ崩壊してしまうことでしょう。
社会を長い目で見る時、あるいは持続可能性を考える時に、「信用・信頼」と密接なつながりのある「お金の使いどころ」を大切にしていけば、自分と社会の両者の信用度が上がっていくのです。
- 「一人勝ち」
- 「短期的な目線」
- 「目先の利益」
などは信用を公共財とするこの社会では悪手なのだなと、改めて感じさせられた内容でした。
まとめ
今回の記事のまとめです。
- 一人勝ちをしようとすると結局全体が落ち込む。
- 一人勝ちによる信頼失墜行為は不信感を伝染させる。
- 信用と信頼のない社会は成長しない。
- 信用と信頼のある社会は生きやすく、活発で成長する。
- お金の浪費・投資は社会に対するGIVEであり、めぐりめぐって自分に返ってくる。
最後に書きましたGIVEの精神も、ここで一役買っていると思っています。
社会とは僕個人で回せるほど小さくて単純なものではなく、もっと「大きくて複雑なもの」です。
僕は自分の信頼できるところにお金を投資していくことで、自分の信頼も積み上がっていくことを学び、何にも代えがたい経験が得られることを知りました。
社会経済の新陳代謝を良くするためには、僕みたいな「一人勝ちマインド」を持っていた人が少なくなっていくことが大切なのでしょう。
僕も勉強して行く中で「ここになら投資してもいいな」と、社会にある信用度を感じ取れるようになってきました。
今回は社会経済にまつわる信用と信頼について記事を書いてみましたが、人として、
- 嘘をつかないこと
- 誠実であること
もまた「立派な資産」となっていきます。
僕は長期戦が大好きです。
これからも、
- 短期的な利益にとらわれず、
- 持続的で長期的な目線を持って浪費と投資をし、
- 信頼を積み上げ、
- 「すずきは誠実である」
という資産を築いていこうと思います。
それではまた!
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