こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
年末年始になってきますと、(去年と違って)ありがたいことに、多くの人と会う予定が入るようになりました。
一方で、毎日やることでいっぱいです笑。
- 教員(本業)
- ブログ
- もう1つのブログ
- 文法講座
- ダンス
- ランニング(お休み中)
と言いたいところなのですが、なんとかなっているから不思議なものです笑。
僕はいかにして時間を捻出しているのか。
何度か書いてきた「時間の使い方」について書いていこうと思います。
しんどい時は必ずやってくる
年末年始に限らず、1日24時間という限られた時間の中では、誰もが余裕がなくなるのは当たり前のことです。
と何度思ったことでしょう笑。
いえ、本業があるからこそ生活が成り立っているのですけれどね。
さて、年末に向かうにつれて、成績処理や生徒対応に追われていましたが、
と思っていました。
- ブログを書く時間もぎりぎりだし、なかなか運動する時間も取れない…
- 人と会う時間も大切にしたいなぁ。そうすると他の作業ができないんだよね…
悪循環のドツボにハマってしまいましたが、1年以上ブログを書き続けている僕からすれば、なんてことはありません。
「隙間時間(電車で移動している間など)にものすごいスピードで書き上げる」
こう思ったのです。
そうして最近は、なんとか自転車操業でやりくりしています笑。
優先順位はどう考えたって「人との時間」だからです。
そこを崩してまでも「ブログを書きたい」と思うことは悪いことではありませんが、僕の優先順位の位置付けとしては、納得いかないわけですね。
それなら帰りがけの電車など、ちょっと空いた「自分時間」でやるしかない。
こうして腹を括(くく)ることができたのです。
忙しいことやしんどいことなんて、いくらでも乗り越えてきました。
今更焦ることなんてないのです。
やるべきことをきちんとこなせるように、工夫して空いた時間にフルコミットすればいいだけです。
と余裕がない日もありますが、もう慣れっこです笑。
なんとしてでも、書く。
そう心に決めているからです。
しんどい時こそ勝負する
1年の中で、しんどい時とは必ずやってくるものです。
そんな時ほど、僕は「どうやったら続けることができるか」について考えるようになりました。
「続けること」が正義というわけでもありませんし、続けることそれ自体が目的になってしまってもいけません。
ただ、
「どんな形でも続ける」
というのは、僕にとって「特別な意味」を持つようになってきました。
時間について「どうしよう…どうしよう」と考えることなんて、今までの人生で全くなかったからです。
悪く言えば「追われている」ような感覚であり、ブログのアイディアが浮かばない時なんて悲惨です笑。
絶望を感じながらも、0時を回るまでにはなんとかして終わらせる。
しかしこれを続けたおかげで、時間の使い方に本当にムダがなくなってきました。
ブログやら文法の講座の時間がなかった今までの僕は、
そんな感覚しか持ち合わせていませんでした。
今は違います。
いかにして「ない時間」の中で戦っていくか。
窮地に追い込まれている時ほど自分の脳がフル回転していて、なんだかんだで形に仕上げているのです笑。
こうして「毎日戦うこと」を覚えた僕は、それなりの気力がついたと思っています。
しんどい時に逃げることは、簡単なことです。
でもそれを良しとしてしまったら、今までの僕に逆戻りするとわかっていました。
「戦い続けること」をしていたおかげで、多くのことを手に入れることもできました。
- ライティングスキル
- タイムマネジメント
そして「気力/精神力」です笑。
側(はた)から見れば滑稽かもしれませんが、僕が得たものはとても大きいものでした。
このように、「なんとも形容しがたい自信」が身についたのでした。
真価を発揮する機会を作る
以前の僕を見ればわかる通り、
- 自宅
- 時間がある
という条件が揃いますと、本当に何もやりませんでした笑。
誘惑に負け続け、「時間をムダに使ってしまう」ということが目に見えていました。
ある意味現在のルーティンの数々が、「自分を追い込むための要素」となっているのだと思っています。
僕は環境などの「外的な圧力」を使うことが好きで、半強制的に自分の作業時間を確保するようにしています。
いえ、今までの人生のほうがくすぶっていたとすら思っています。
僕はもっと、
- 自分のやれること
- 自分でもできるはずのこと
に挑戦すべきだったのです。
と決めていたのですね。
もちろん、そんな生き方を否定しているわけではありません。
ただ、今の僕は昔の僕に戻るわけにはいかないのです。
そのために、どんなにしんどくても続ける努力をしてみること。
それが「過去の僕に対する答え」になると思いました。
自堕落な生活をしていたために、「自分の価値」に気づくことができなかった過去。
本当は誰だって、もっともっと輝くものを持っているはず。
それなのに、どこかで満足してしまって「ここまででいいや」と思うようにしている。
自分で限界を作ってしまっているというよりも、「自分はもっとできること」に薄々気づいていながらも気づかないフリをしているというような、そんな感覚でしょうかね。
自身の真価を引き出すためには、僕にとっては「自分を追い込むこと」が一番の発奮剤でした。
そうしないと、いつまでもダラダラとした生活を送るようになると知っていたからです。
こう思えるような「変態」になることができたのも、ここ1〜2年で土壇場をくぐってきたからなのかもしれません。
そういう時ほど「今を生きている」と思えるのですから、やっぱり追い込まれてでも続けることは、もうやめられないんですよね。
おわりに
果たして「追い込むこと(追い込まれること)」はいいことなのか。
人生に正解はありませんから、好きなように生きるのが正解なのでしょう。
僕は「過去と今」を天秤にかけた時に、今のほうが生き生きとしているため、「今」の生活をとるようになりました。
そのまま続けて、しんど過ぎたらやめればいいでしょうし。
人生は何があるかわかりませんからね。
そんなルーティンを(ほぼ)崩さない生活が、もうすぐ2年経とうとしています。
なぜか自分の「できることの範囲」が、どんどん広がっているように感じています。
たった1つか2つこれと決めて続けただけなのに、です。
でも実はそのことが、一番シンプルで最強なのかもしれませんね。
それではまた!
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