こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、朝活で「断捨離」についての話題が出ました。
と言っていますけれど笑、こう見えて小さい頃や学生の頃は、結構モノで溢れていたものでした。
- 服
- 本
- 写真
など、今思えば「一体どうしてそんなに?!」と思うレベルの多さで持っていました。
引っ越しを重ねるにつれ、最低限の家具や家電でいいと思った僕は、もう新たに何か買うことはほとんどなくなりました。
今日は改めて「選択と集中」について書いていきます。
ムダなものは邪魔でしかない
断捨離の話をしますと、必ず、
という言葉を耳にします。
僕が思うに「捨てようにも捨てられない人」とは、人生のことをちゃんと考えていない人だと思っています。
違うのです。
- そこに割く時間
- そこに対する思い
これらを考えたら、捨てられない理由はないからです。
例えばあまり使わないもの(アルバムなど)であれば、
と考えるのは、人生においてどれくらいの時間でしょうか。
見返したり「思い」を馳(は)せたりすることは、ほんのちょっとしか(あるいはほとんど)ありません。
そんなもの(こと)よりも、「今」の方が大事でしょうし、
と、毎日見る人なんて、いるわけがありません笑。
時間や思いについて考えれば、それは当然「不要なもの」となってきます。
だって人生、他にもやることがたくさんあるでしょう。
と、そうやってものを増やした末路が「捨てられない」状態なのです。
ぶっちゃけて言えば、倉庫にだって限界はありますし、そういった人が「貸し倉庫」まで借りたりします。
人生についてちゃんと考えていますと、
を必ず問うはずです。
悪気はないのですが、そういうものは一般的に人生において「邪魔なもの」でしかないことのほうが多いです。
だって、ずっと “意味もなく” そこにあるんですよ?
たまに見返したり、たまに使ったりする程度のものならば、人生の邪魔になってしまいます。
ちゃんと人生について考えている人は、モノに対しても適切な判断ができています。
よく考えてみてください。
それらはあなたの気分を上げてくれますか。
人生を豊かにしてくれますか。
それなら問題ありません。
必要だったら、捨てる必要はありませんからね。
でもそうじゃなければ、手放す時だと思ったほうがいいでしょう。
当分見なければそれは忘れられているもの
僕がよくやる手法は、
という考え方による断捨離です。
例えば倉庫にあるような、たまに使うものを探して見つけては、
と言ってくる人がいますが、そんなもの「一瞬だけ」の話です。
それ以外、360日くらい使っていないのであれば、僕はもう「それは不要のものだ」と思ってしまいます。
その緊急時は多少面倒かもしれませんが、それまでずっと家にあるほうが邪魔ですし、もしかしたら本当に数年に一度しか活躍しないものかも知れません。(災害用品などは別)
特に書類関係は最たるものでして、大切な書類や保管しておくべきものなら仕方ないですが、それ以外は基本「データ管理」したほうが環境にもいいですし、検索もしやすいです。
失くすリスクや、漏洩のリスクもありませんしね。
世の中のみなさんの持っている「モノ」には、実は価値が引き出されていないものもたくさんあります。
それはモノに対しても失礼ですし、お金と一緒で「使われるからこその価値」があります。
これをわかっていないと、
- モノをどこかに置きっぱなしにして
- そのままずっと使わないまま放置する
ということが生まれます。
ただの邪魔で、モノに対して失礼なばかりか、
- 思考を妨げたり
- スペースをとったり
してしまいます。
長い間使っていなかったのものとは、ほぼ使っていないものも同然。
だということを、しっかりと考えておいたほうがいいでしょう。
スッキリしたほうが人生も生きやすくなる
そうした「モノ」に固執している人たちは、人生もごちゃごちゃしていることが多いです。
- 仕事
- 人間関係
でうまくいかないことのほうが多いことでしょう。
モノをだいぶ減らしてから感じたことは、
ということでした。
実は人間関係なども近しく、
と考えられるようになりました。
要は、「考え方」なのです。
先日も友人たちと断捨離について話していて思ったのは、
というものでした。
そのものが実際に価値があるかどうかは、その人にしかわかりません。
- 長い間必要なものなのか
- もう一度買いたいものなのか
- ずっと価値を生み続けてくれるものなのか
と、捨てるかどうかを考えた時に、必ずその人の考え方が反映されます。
人との関係性も一緒でして、
と、延々と意味のない関係を続けていく人もいますが、それは自分の人生の時間を “ムダなこと” に差し出していることと同値です。
それなら切ったほうがいい。
それは、
- モノにおいても
- 仕事においても
- 人間関係においても
ほとんど一緒なのです。
考え方がしっかりしている人は、
をきちんと理解しています。
モノや友人が多いかどうかではなくて、ちゃんと「自分の人生にとって必要なもの」を取捨選択しているということなのです。
モノと人間は一緒ではありませんが、考え方の軸となる部分は一緒だと言ってもいいでしょう。
僕も「モノの断捨離」を始めてから、
- 買い物の仕方
- 人との付き合い方
など、様々な面において自分の軸を中心に考えるようになりました。
すると集中したいことに対して、一心不乱に集中することができるようになりました。
そしてたまに友人や家族と会ったり少しどこかに出かけたりして、「本当の幸せ」を探すようになりました。
余計な情報に触れることもなく、変な詐欺まがいなこと(保険やムダなサブスクも含めて)にもかからなくなりました。
断捨離は多くの可能性を秘めています。
その根本には、「自分の人生をどうしたいか?」という問いがいつもあるからです。
という意見ではありません。
と判断できるかどうかということ。
もっともっと、奥が深いものなのです。
おわりに
人生を考えること。
そこに「断捨離」があるだけでして、その考え方それ自体はいろんなことに応用が効きます。
「繰り返される引っ越し」に伴って始めた断捨離でしたが、結果的に僕の人生を豊かにしてくれました。
自分の行なっている行動には、すべて必ず意味があります。
モノを残そうとしてしまっているその気持ちにも、いろんな原因があることを忘れないでくださいね。
それではまた!
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