泥臭くても続ける姿は間違いなくカッコいい【絶対に諦めない姿勢】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、教えていた生徒さんから「英検1級に合格した」という報告を受けたことを記事にしました。

一方で、先日あった英検の試験で、あまりうまくいかなかったという生徒さんともお会いしました。

こんな歳で恥ずかしい

だなんて言われたものですから、僕は以前の自分を思い出しましたね。

  • プライドがある時ほど
  • 人の目を気にしている時ほど

「落ちる」ということに対して、何か特別な感情を抱いてしまうものです。

僕の変わっていった気持ちや、泥臭く挑戦していくことの素晴らしさをお伝えしていきます。

泥臭くたって、何歳になったって、戦って挑戦している姿は、誰よりも輝いている。

以前の僕はカッコつけ野郎

心身ともに変わった2021〜2023年を迎えるまでは、僕はただの「カッコつけ野郎」でした笑。

失敗することがダサいと思っていては、挑戦することをためらったり、「挑戦する」と言い切らなかったりしていました。

誰が見ているでもないのに、自分が何かに失敗することを恐れているようでもありました。

以前の僕はいわゆる「ダサい」男でした。

未熟だったこともありますが、やはり周囲の目(=評価)を気にして生きてきたからなのだと思います。

なまじ勉強ができたため、それが逆に「足かせ」となっていたのでした。

「カッコいい」にはいろいろな形があるかと思いますが、僕が今「カッコ悪いな」と思うのは、そうやって何にも挑戦しないで人の挑戦を笑ったり否定したりする人です。

そういう人たちは、結局「挑戦する」というリスクも取らないで、ヘラヘラ笑いながら人生を終えていきます。

そしてこう言うのです。

もっと挑戦しておけばよかった

と。

カッコ悪い大人になるかどうかはその人次第ですが、僕は今の自分のほうが、明らかに以前の自分よりも戦っているし、挑戦しているように思えています。(世界一周もしましたしね笑)

カッコつけてないで、ガンガン挑戦して失敗すること。

これができる人ほど、他人の挑戦や闘いを応援することができます。

その道のりがどれだけ苦しいのか、身をもって知っているからですね。

今の僕は、もうそんな「ダサかった自分」ではないのだと、そう信じています。

自分が挑戦もしていないのに人を笑うなんて、ダサい人のやることだ。

一番気にしてるのは自分だけ

これについても何度か記事にしてきましたが、たいてい挑戦できない時やカッコつけている時は「人の目」を気にしている時です。

個人的には、挑戦する時は実は大きなリスクがないのだと思っています笑。

いえ、リスクはあるのですが笑、特にみなさんの「行動/挑戦」を引き留めている理由は、実は「周りの人の目」が一番の要因であることが多いのです。

金銭面や時間のリスクがあることは否定しないのですけれど、「挑戦すること」そのものは、誰にも与えられた「権利」ですよね。

確かにリスクを伴うことはありますが、始める時は誰にだって「挑戦権」があります。

失敗したって経験になりますし、「失敗を失敗と考えない」マインドセットさえ持っておけば、なおさら挑戦のブーストがかかってきます。

私は失敗したことがない。

ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ。

エジソンのとても有名な言葉ですよね。

「失敗」というネガティブな要素に置き換えているのは、他でもない自分だけ。

試験にいくら落ちたって構わないわけです。

多少なりともお金もかかるでしょうけれど、それまでに勉強した時間(=過程)はその人の人生の糧となります。

僕は結果ばかりに意固地になっていた時期がありました。

そんな「ダサい自分」から逸脱した時、挑戦する姿勢が生まれてきます。

どんなに失敗したっていい。言いたいやつには言わせておけ

と。

僕の挑戦に対して何か言ってくる人なんて、実際のところ僕の周りにはいません。

みんな人格者で、いつでも僕の挑戦を応援してくれています。

だから僕も、頑張る人を応援できるのです。

いい加減、自分に歯止めをかけている「自分」を捨て去りましょう。

エジソンからすれば、挑戦なんてノーリスク

数多くの失敗の上に、いわゆる “成功” が結果として乗っかってきます。

他人からの評価を気にしている自分を捨て去った時、僕らは何にでも挑戦できるのです。

挑戦することはほぼノーリスクだ。挑戦している人のほうがカッコいい。

いくつになっても泥臭いほうがカッコいい

僕はその生徒さんの言葉を聞いて胸が熱くなりました。

悔しくて泣いた
必死に勉強してきたから通りたかった

これだけ熱くなれることって、素晴らしいことだと思うのです。

大人になりますと、みんな「挑戦すること」に億劫になり、どこか「安定」を求めるようになります。

決して悪いことではありません。

それぞれに事情はありますからね。

でも、

実は挑戦したいのに、なんかもういいかなって思ってるんだよね

と言っている人を目にすることもあります。

なんてもったいないのでしょう。

挑戦したければ、挑戦すればいいのです。

すると、

この年になって恥ずかしいかな

と。

僕はどんなに歳を取っても、この言葉だけは使わないと心に決めています。

大人になって、

  1. 挑戦して
  2. 悔しくて
  3. 泣き崩れて

ということができる人が、どれだけ羨ましい存在か。

多くの大人たちが、そうなりたくてもなれない現状ですし、なろうとしないのです。

だから、僕は “大人” になってでも挑戦を続けている人を心から尊敬していますし、僕自身もそういう人間でありたいと思っています。

僕は生徒さんの悔しさを見た時に、

それだけ頑張っている人は、誰よりも輝いている

素直にそう思いました。

泥臭く、自分の夢や目標に向かうことは、誰にでもできることではありません。

そもそも夢や目標がない大人たちだって、世の中にはごまんといます。

一回きりの人生で、リスクを取りながらでも挑戦することで前に進む姿は、多くの人を魅了するはずです。

僕はそうありたいと思ってから、様々な挑戦をするようになりました。

挑戦をして、自分の思い描いたような結果が出ない時もあります。

しかし、それを揶揄(やゆ)する人なんていません。

仮にいたとしたら、その人は他人の頑張る姿が羨ましくて仕方ないだけの人なのです。

そんな雑音は無視していい。

自分の実現したいことがあるのならば、それに向かって進んでゆくだけなのです。

なりふり構わず、泥臭く勉強して挑戦している人は強い。

振り返らずに走っていきましょう。

躊躇している時間なんて、僕らには残されていないのですから。

大人になったって、泥臭く挑戦を続けていこう。誰よりも絶対にカッコいいし、輝いている。

おわりに

僕は英検やTOEICは不要だと思っています。

一方で、そうした試験や資格に挑戦する姿には、誰よりも胸が熱くなってしまうのも事実です。(熱いの好きですので笑)

僕自身もずっと闘い続けていかなければならなくて、

こんなにせいじが頑張っているのならば…

と思わせる人間でありたいですね。

だから英語やスポーツを頑張る人は応援しています。

え?恥ずかしくて頑張れないって?

そうやってあなたが躊躇している間に、僕は先に進んでいきます。

それではまた!

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