全ての時間を何かに捧げるようにすること【必死に生きてみた結果】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

最近はあまりにも忙しくて毎日、

  • 授業をするか
  • 新事業の準備をするか

に追われています笑。

一応自分の時間は確保していて、その中で読書言語学習を続けています。

あとダンスやランニングもね。

先日も友人たちと話していたのですが、

毎日ずっとスイッチが入っているようで、サラリーマンとは違う

と言う話になりました。

僕もその点には激しく同意です。

毎日を必死に生きていた2年前の2022年。

僕はまた、同じことを繰り返しているのです。

毎日を必死に生きること。それこそがいい意味での多忙なのだ。

毎日ほとんど動いてばかり

以前にも同じような記事を書きました。

気が狂ったように人のために生き始めた2022年は、自分の人生の中でもかなり充実していた日々だったことを覚えています。

問題だったのは「自由度のなさ」だけであり、教員という公務員の肩書きがありますと、平日はおろか、下手したら休日もなかなか動けないものでした。

去年の2023年に本当の意味での「自由」を手に入れたことで、2022年とはまた違った、

  • 経験
  • 充実さ

を手に入れたものでした。

そして今年の2024年。

いよいよ自分のやりたかった、「英語だけでしゃべる場所」の環境(hanno_english)を提供できるようになりました。

先述した通り「本当の意味での自由」を手に入れた割に、とても忙しい毎日を過ごしています。

あれ?それでせいじは幸せなの?

そう思われるかも知れませんが、むしろ「望んでいたカタチ」に近づきつつあるのかなと思っています。

2022年で教師をやっていたときも、自分の可処分時間(休みの日や帰宅後など)に、

  1. 人に会いに行くこと
  2. 英語を教えている時間

は最高の時間でした。

毎日やることばかりで、自転車操業もいいところでしたね笑。

今はまだいろいろと始めたばかりですので、利益度外視でやらさせてもらっています。

一昨年もそうでしたから、僕にとってはあまり気になっていません。(気にしろ)

現在も毎日サメかマグロのように動き回っていて、だんだんと暇がなくなってきました笑。

それでも、

  1. 空いている時間を誰かのために使い
  2. その感謝としてお金をいただくこと

は、とても心地の良いサイクルです。

そのお金を使い、カフェやサウナに行くことで、カフェやサウナを応援しながらSNSで発信することもできますしね。(ん?)

毎日動いてばかり。

でも実はこれが望んでいたカタチだったのです。

僕は毎日動いてばかりだ。いつでもスイッチはオンで、誰かのために動いていたいのだ。

心地の良い毎日

元々多動性のある僕でしたから、忙しい毎日は「どんと来い」です笑。

こうして毎日、授業をしては走ってダンスをして、本を読んで他言語の勉強をして…

なんと…なんと素晴らしい毎日なのでしょう!笑

実はこれ、2022年に教職員をやっていた頃とほとんど変わらないのです。

ただそこには、圧倒的な「自由度」がありました。

授業をしたくない日はしなくていいですしね。(余裕があるわけではない)

そうした「やらなくてもいい」という選択肢を持ちたかったわけではなく、むしろもっとアクティブな気持ちがあって、

もっともっと可処分時間を増やしたい。そしてその時間を事業(授業)に使いたい

これが僕の求めていたものでした。

どこかに所属していたら、この夢は決して叶わなかったと思います。

もちろん、公務員時代と違って、ものすごく経済的に余裕があるわけではありません。

どうしても時間がかかってしまうため、こればかりは頑張って少しずつ育てていくしかないですね。

とはいえ、様々な不自由を差し引いたとしても、そこには圧倒的な「自由」がありました。

  1. やりたいことをやって
  2. 感謝の対価としてお金をいただく

僕の見たことのない世界だったのです。

一歩ずつですが、僕は前に歩を進めているような、そんな感覚を持っています。

誰かのために動いていますと、毎日が「感謝されること」で溢れるようになり、

もっと頑張りたい

と思うようになります。

ただし間違ってはいけないことは、自分のことを安売りして買い叩かれてしまうことです。

「自分のできる範囲」であれば、僕は全力を出すタイプです笑。

以前と違って、

  1. 自由度があって
  2. やりがいがある

のであれば、僕の「今」は幸せ以外の何物でもないのです。

自由に英語を教えられて、自分の好きなように生きる時間。これが幸せなのだ。

求めるところは近視眼的なものでいい

小さな一歩を歩み始めることは、長い目で見れば本当に小さなものでしかありません。

でも僕は、こうして「目の前にいる人」に全てを捧げるようになってから、とても幸せになりました。

今は全然稼ぎになっていませんし、「余裕のある生活」という段階まで行くのにはほど遠いです。

しかし、この「目の前」にいかに注意を払えるかがとても大切です。

言い換えれば、「」とでも言いましょうか。

僕の大好きなワンピースという漫画でも、自分たちの力のなさを感じて「2年後にある場所で再会する」という名シーンがあります。

彼らは2年後を見据えてはいますが、その分今目の前にある「修行」に全集中します。

「今」に集中すること。

この積み重ねなくしては、「輝かしい将来」がやってくることはありません。

だから僕は、

  • とりあえず世界を一周する
  • とりあえず英会話カフェを開催する

という、

まず目の前にあることをこなしていく

という姿勢を大切にするようになりました。

よく言えば、

せいじはスケールのデカいことをやってのけた(やるつもりだ)

と思われているかも知れませんが、実際は「逆」です。

世界の旅を始めた時はノープランもいいところでして、

とりあえず韓国に行ってから考えよう

という発想でした笑。

一国一国回っていく中で、その都度軌道修正をしながら走り続けた240日間だったのでした。

確かに「中〜長期的な視野」も必要ですし、ノープランにも限度があります。

適当でもいいですが、ある程度の準備も必要だということですね。

でも最後の最後は、

やってみないとわからない

が真理であり、このような経験を超える学びはありません。

まずは目の前のこと。

目の前のことをこなせなくて、先にくる「大きなもの」を処理していくことはできないからです。

僕はいつだって小さいところから始めてきました。

それがお金になるかどうか(=人生を豊かにするかどうか)は、未来で決まることです。

ただその小さな積み重ねが、僕の人生を豊かにしてきたことは間違いのないこと

だから僕は今日も、毎日を全力で生きていきます。

一切のムダなくとまでは言いませんが、ほとんど止まることなく毎日を生きていますね。

先のことを考えてもいいが、まずは目の前のことだ。それができて初めて、未来が輝くようになるからだ。

おわりに

小さな毎日も365回繰り返せば、それは大きな結果となって自分に跳ね返ってきます。

以前より主体的に動けるようになった僕は、

自分で毎日を選択している

と思えるようになりました。

自主的に動く毎日は、先生をしていた時と違って、自分で動いていかないと進まない毎日となりました。

いつでも動いていないと気が済まない僕には、合っていますね笑。

だから毎日を精一杯生きていきます。

みなさんと一緒にね。

それではまた!

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