こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕は以前から「頭痛持ち」でして、ヒドい時ですと立ち上がれなくなり、数時間ほど横になって何もできなくなります。
頭痛があまり起きなくなったのは、サウナや適度な運動を繰り返していることや、食生活の改善をしたことのおかげだと思っています。
ただ先日、「夜活」である英文法を教える日の夕方に、頭痛の前兆がありました。
案の定、頭痛からの吐き気に見舞われましたが、以前ほどではありません。
完全に「無理」をしてしまいました。
今日は「僕が無理して授業する理由」について書いていきます。
そもそも論、無理はするな。
僕はよく「無理」をします笑。
「トータル」あるいは「長い目」で見ますと、無理をすることで結果的に遠回りになってしまうことがあります。
- 休める時に休む
- しんどかったら休憩する
当たり前のことであり、僕も一週間の中で気を抜く時や、完全OFF(に近い笑)日を設けています。
無理をして何かをしたところで、良いパフォーマンスは見込めないからです。
- 体調不良
- 気持ちが乗らない時
人には「波」がありますから、そんな時も波をうまく乗りこなしていかなければなりません。
無理が続いてケガや病気が悪化してしまえば、治るものも治りませんからね。
「急がば回れ」とは、僕のためにあるような言葉です笑。
僕の中にも「線引き」はあるのですが、今回の頭痛に関しては「行けるっ!」と思ってしまいました。
しかし、
- 気持ち悪くなるお腹…
- レッスン中に吹き出す汗…
そこでドクターストップならぬ、みなさんからのストップがかかり強制終了。
そのままベッドへ倒れ込みましたが、1時間後にはだいぶ落ち着きました。
- 前々日に隣の部屋がうるさくて寝不足だったこと
- 前日にテントサウナで身体が冷え切ってしまったこと
などが原因だったのかなと思っています。
どう考えたって休んだらいいと思いますよね笑。
といった声が飛んできそうです。
おっしゃる通り。
ぐうの音も出ません。
無理をしたって、いいことはありませんよね。
結果的に周りの人から心配されてしまい、大変申し訳ない結果となってしまいました。
結論、そんな時は休んだほうがいい笑。
当たり前のことですよね。
僕は時に無理をしてしまうのが、悪いところなのです。
それでもやろうと思ったのはなぜか
僕は論理的に考えて、
と言い放つような人間です笑。
それなのに、今回は頭痛の中でも「行けるっ!」と思ってしまったのには、理由があります。
この2年間でいろんな行動をしてきましたが、
- とにかく今やってみたい
- とにかくやらないと気が済まない
という性格だということに、気づいてしまったからです笑。
元はと言えば「多動性」のある人間ですので、それもあるかもしれません。
そしてなぜ「今」やらないと気が済まないかといえば、
と感じるようになったからでした。
コロナと離婚を経験し「このまま一人で死ぬのもありかな」と、ありもしないことを考えながら各地を歩き回った1年間。
何度も自問自答した結果、教員を辞める決断に至りました。
人生は一回しかない。
直観でそう感じてからの行動は、信じられないほどのものでした。
- 投資を始め
- ブログを始め
- コミュニティに入り
- 英文法レッスンを開催
- 旧友から「新」友まで会いまくる
そこには、「無理をする理由」がありました。
これに尽きます。
別に、身近な人の死を経験したわけではありません。
ただ、毎日を忙しなく過ごすようになってから、「命を燃やしている」というような「生きがい」を感じるようになったのです。
もちろん、基本的には健康である必要がありますから、無理をした後に「1週間寝込みました!」ではお話になりません。
それでも、自分に与えられた役割は、
と、本能的に感じてしまったのです。
こうなると「論理的なせいじ」も隅っこに押しやられてしまい笑、もう僕自身も自分を止めることができませんでした。
周りの声なんて、もうガン無視です笑。
ま、こんなところが僕らしいのですけれどね笑。
でもやっぱり無理は禁物ですから、その点は声を大にして言いたいです。(自分に)
今までの僕には、他者貢献として「打ち込めるもの」がなかったものでしたから、熱が入ってしまっていたのだとは思います。
ただの「強情/頑固」ですが、
と思ってしまったのです。
無理は禁物だと頭ではわかっていたのですが、目の前に待っている人を見て、本能が「違う!行け!」と言ってしまったのですね。
自分の範囲内だとやり切りたくなる
「属人化」とは、仕事が誰か1人の人についてしまい、その人がいなくなると仕事が回らなくなることを意味します。
特に「教員」はわかりやすく、先生が一人休んでしまいますと、もちろんその授業は自習になってしまいます。
僕自身もそう思ったことがありましたが、それは「事務的な処理」において必要なことだと思われます。
一方で授業は、「人」についてしまうものです。
と思わせることは、避けられないからです。
すると授業者側も、
と思うのが「性(さが)」です笑。
僕自身も、いつもそう思って授業していたものですから、教員生活の9年間でほとんど休んだことはなくても、無理をして授業をしたことは何度かありました。
周りには気を使わせてしまったり、心配をかけさせたりしてしまいますが、当の本人は「やりたくて仕方がない」のが本当のところなのです笑。
何度も言いますが、無理をしてはいけません笑。
自戒の念も込めて書いているのですが、それでも理性を飛び越えて「与えたい欲」が優ってしまうのです。
さらに「人生一度きり」と感じ始めたものですから、一回一回の授業が「かけがえのないもの」になってきます。
それは、これから始める事業やビジネスにおいても、同じように感じていくものだと思います。
言い訳がましいですし、決して無理をすることを肯定したいわけではありません。
ただ、自分でも止めることができないくらい「授業をしたい」と思ってしまうのですから、これはもう理屈の世界ではないのでしょうね。
おわりに
無理はするな。
僕に一番言い聞かせなければならない言葉ですし、
と、周りから心配されるといった有り様です笑。
それでも僕は、本能に抗うことができませんでした。
それだけ「授業」が特別な意味を持っているのかもしれませんし、人生をいろいろと考え直した結果でもあるのかもしれません。
目の前にいる生徒の顔が浮かんでは、僕に迫ってくるのですからもはや末期ですね笑。
みなさんの心配をよそに、生き急ぐ30代男性。
時に休みながら(できたらの話)、適度に自分を追い込んでいこうと思います。
みなさんも体にはお気をつけて笑。
それではまた!
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