こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕も短いながら結婚生活を経験した身ですが、いろんな人の夫婦関係やカップル関係の話を聞きます。
僕が今でも忘れられないのは、
という言葉です。
これは僕の友人が言ってくれた言葉であり、「なるほど確かに」と思います。
先日もそんな悩みを生徒さんから聞きましたが、
と結論づけてお伝えしました。
今日は「僕が誰にも依存しないこと」について書いていきます。
前提としてその人の人生
大前提にあるのは、
ということです。
結論として、
- 依存したっていいし
- 相手を束縛したっていい
のですが、僕の経験上、それでうまくいったという話を聞いたことがありません。
個人的には勧めない生き方であって、それで未来が明るくなるとも思えません。
ただ、僕だって「全知全能の神」ではありませんから、
とは思っています。
それぞれの考え方や信念に基づいて、生きたいように生きるのが人生ですしね。
それでも僕がこの考え方をオススメしないのは、
です。
ということは、その人がいなくなったら全てが終わるということを意味しています。
僕らにはそれぞれの人生がありますが、誰かに依存した人生とは要するに、
「その人に自分の人生を捧げること、預けること」
です。
それぞれの生き方があっていいとはいえ、そうやって自分の人生を “他人任せ” にすることは、
- 何も考えていない人
- 責任を持っていない人
- 精神的に貧しくなってゆく人
だと思っています。
だって、自分の人生を「放棄」しているのですからね。
大人になってこんな “手のかかる人” なんて、できれば関わりたくありません。
人に自分の人生を預けるようなことはしたくありませんし、そんな人とも一緒にいたくありませんよね。
みなさんはどうでしょうか。
- 周りにそんな人はいませんか?
- 自分も誰かに頼っていませんか?
そんな人からは離れるべきですし、自分が依存体質であるのならば、早急に変えることをオススメします。
依存は明るい未来を生まない
なぜ依存することがダメなのかといえば、先述したことが全てでして、
だと思っています。
もちろん、僕らの社会にも、
といったものはたくさんあります。
- スマホ
- サブスク
- 公共交通機関
などもそうですかね。
しかし「人」と圧倒的に違うのは、それ自体が「サービス」であることと、お金が発生していることです。
だから、
と言いますと、
こう言う人が出てくるわけですね。
ただ、そもそも前提が違うのは、そんなサービスは “またいくらでも生まれてくる” ということ。
これは「依存」とは違いますし、そこには「対価」が発生していますから、
- 僕が稼いだお金を
- 各サービスに投資している
という考え方をすることのほうが妥当です。
自分自身も社会に価値を提供しながら、その経済圏の中で豊かになっていくことを意味していますから、誰かに頼りっぱなしである状態とはわけが違いますし、成長し続ける好循環だと言えます。
一方で、「他人」に対して、
と、そんな理由で付き合っている人がいたら、それは依存体質がある証拠であって、未来に何も繋がらない、価値のない関係となっていきます。
だって、「自分がTAKEすること」しか続いていかないからです。
互いに成長することはなく、価値提供もありません。
「共依存」についても同じことが言えます。
どこかでエネルギーは枯渇しますし、どちらかが吸い取ることができなくなった瞬間に、お互いを貶(けな)しては、
という関係性に発展する未来しか、僕には見えないからですね。
相手に自分の人生を委(ゆだ)ねている人とは、得てして「こうあってほしい」「もっとこうしてほしい」と、自分の欲求を押し付けるか、できない自分を卑下すること(相手に謝ること)でその場を切り抜けようとします。
継続性がなく、一過性の「その場しのぎ」でしかないのですね。
これでは、どちらか一方が精魂(せいこん)尽き果てるまでの「ジリ貧の戦い」となります。
ここに「明るい未来」があるとは、到底思えませんよね。
まず自立すること
冒頭でお伝えした通り、まず自立すること。
これができなければ、僕は人と付き合っていくべきではないのだと思っています。
そんなことを言いますと、
と思う人もいるかもしれませんよね。
これは、お互いが高校生や大学生で、「自立に向かう過程」であれば仕方のないことだと思っています。
ただし、たとえ若かったとしても、
と前提に思っているような人には、あまりいい未来は描けないと思っています。
さらに、学生生活を経て大人になっているのにも関わらず、「自立できていない人」は数多くいます。
- 精神的
- 人間関係的
に他人に依存する人、「嫌われたくない」「この人と一緒にいたい」と言う気持ちが強く出ている人は、本当によく見かけますね。
「自分で何事もやっていくこと」が自立の大筋の意味だと思っていますが、それは決して「人に頼るな」という意味ではありません。
僕にだってできないことはありますし、
と思うようなもの(サウナやカフェ、スイーツなど笑)もあります。
友人にアドバイスを求めることもありますし、できないことを頼むことだってあります。
ただ、そこに大前提としてあることは、
- 自分で考え
- 自分で行動し与え
- 他人に依存しないこと
これしかないのです。
ある程度自分で調べ、自分の経験として取り入れ、「自分の力で生きていくこと」を意識できているかどうかということ。
人と付き合うことにおいても、結婚することにおいても、
- 自分一人の時間が取れないし不安
- 友人から認められたいという欲求がある
- 相手からの愛を感じないと生きていけない
こんなことを考えていたら、もう生きていくのが「他人ありき」になってしまいます笑。
友人やパートナーがいなかった時期を考えれば、
と思われてしまいますよね。
「自立」とは、
- 精神的にも
- 経済的にも
- 人間関係的にも
する必要があって、それらができない人が、他人に「頼る」のではなく「依存」するようになります。
別に、
と言っているわけではありません。
「誰かありき」で生きていることが、自立できていないということ。
「自分の人生を捨てている」ということなのですね。
おわりに
「依存すること」は、僕は昔っからあまり好きではありませんでした。
自分の家庭が豊かではなかったこともあり、
と、小さいながらに常に考えていたからです。
ただ、女性と付き合ったり結婚したりしていく中で、
と再確認しました。
つまり、それぞれ「依存していない!」と自分では思っていても、知らぬ間に「誰かありき」で過ごしていることもあるということです。
そんな人生にするのではなく、もっと自分で自分の道を切り拓けるような人生にしていきたいですよね。
それではまた!
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