人を縛ることは自分を縛ることにもなる【狭い世界を生きる人へ】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人がパートナーから縛られていることを聞き、

大変そうだなぁ〜

と、いつものことながら他人事として聞いていました笑。

以前の僕だったら何かしようとでも思うのでしょうが、今の僕は、

いや、考え方って人それぞれだから

と思っています。

僕は何人か “そういう人” と出会ってきましたし、そういった相談にも乗ってきました。

別にそんな「縛る人」を正したいわけでもありませんし、いろんな考え方があっていいと思っています。

ただ多くは「損をする」と思っていますので、「社交性がないこと」について書いていこうと思います。

人を縛ろう、狭い世界にい続けようとすると、必ず自分が疲弊する。自分を縛ることになっているからだ。

人を縛る人は自分を縛る人

結論から言いますと、

  • 友人
  • 同僚
  • 子ども
  • パートナー

など、誰に関しても「他人を縛ろうとする人」は、結果的に自分を縛ることになるということを知っておかなければなりません。

え?なんで?

簡単に考えれば、「犬の散歩」のイメージですかね。

「誰かをコントロールしたい」と思っているということは、それだけ自分で手綱を引っ張っておかなければならないからです。

つまり「他人がこう動こうとした」ら、それに引っ張られる部分もあるということです。

一蓮托生とまでは言いませんが、

こうしてほしい
こうなってほしい

という願いが強ければ強いほど、相手をコントロールすることに時間を費やすからです。

すると、

  1. 相手は閉塞感を持ち
  2. 信頼されていないと感じ
  3. 悪い関係性しか生まれない

という悪循環が生まれます。

実は「相手を変えたい」「言い負かして納得させたい」という気持ちや、「期待を持ちすぎること」もまた、「縛る」という行為に近いと思っています。

お互いに疲弊するだけでなく、信頼関係も崩れていってしまうため、関係の悪化を促します。

当事者間で決めたことですから、他人がとやかく言うことではありませんが、誰も得をしませんしそう言う関係を保とうとするほどストレスは溜まっていきます。

特に「自分に自信のない人」ほど相手を縛り、なんとか自分の檻の中に閉じ込めようとします。

ある意味「弱さ」の裏返しでもあり、

この人は自信もないし、狭い世界で生きてきたんだろうな

といつも思ってしまいます。

もし幸せに生きたければ、人を縛らないことですね。

人を縛るということは結果的に自分を縛ることになる。誰も幸せになることはない。

人生ずっと楽しくならない

先述した通り、「他人を縛る」と言う行為は、ネガティブなマインドから来ることしかありません。

  • 自信がない
  • 相手を信頼していない
  • 社会性を保っていたくない

という側面から現れる行為だからです。

せいじは社交性があるから、そうやって狭いネットワークの人を悪く言うんだ

こんな批判も来るかと思いますが、僕は真っ向から否定します。

そんなんじゃ人生、楽しくならないよ

と。

自分一人で自由にやる分には、全くもって問題ありません。

というより、それは別に人を縛っていることにはなりません。

むしろ「自由」と言ってもいいくらいでしょう。

人とできる限り関わりたくない

という気持ちは尊重しますが、だからといって人を縛っていいということにはなりませんよね。

どこまで行っても他人の人生なので、僕が当事者を変えたいわけではありませんが、

うわぁ!小さな世界だけで生きようとして、他人を縛っている人って、なんて幸せに見えるんだろう!

と思ったことは、残念ながら一度もありませんでした。

先述した通り、自分を縛ることになるので、どんどん「自分の自由」もなくなってきます。

相手を縛ることに必死になっており、自分はヘタに自由行動ができないからです。

常に懐疑的であり、誰も信じようとしません。

そんな人生、はっきり言って疲れますよね。

僕だったらまっぴら御免です。

みなさん、コロナでイヤというほど感じたでしょう。

自由を制限されることが、いかにストレスで人をおかしくするのかということを。

世の中はお互いを監視するようになり、何かヘタを打てば総タタキでしたよね。

あの経験が、個人レベルのものになったと考えればいいです。

だから僕は思います。

あぁ、人生何も楽しくないんだろうな

と。

全くもって批判するつもりはありませんが、個人的には非常に気持ち悪いと思っています。

そんな人に出くわしたら、僕はすぐに離れますね。

俺の人生を縛らないでくれ

とね。

人を縛っているということは、常にストレスにさらされていることを意味する。人生ずっと楽しくないし、常に気が気ではないからだ。

無理に人を変えようとしない

「人を縛ること」で、人を変えようとしないこと。

これと同じように、僕自身も「縛ること」に対して反吐(へど)が出る一方で笑、

まぁそんな人もいるよね

という感覚を持つようにしています。

その「当事者間の関係」は僕の人生には関係のないことですし、その人を批判して、

お前、マジで気持ち悪い

と言っても何も生み出しません。(言うかもしれませんが笑)

それこそ、僕が「人を縛っていること」になるからです。

変わってほしい
その考え方は間違っている

と、相手を自分の理想のカタチにしようとすることもまた、縛りなのです。

以前の僕でしたら、

なんで変わろうとしないんだ?

とボロクソに言っていたことでしょう。

そこで生まれるのは、当事者からの「反発」だけです。

「その人が縛りたい」のであれば勝手にそうさせておけばいいのです。

あとは彼らが決めることですからね。

僕を縛ろうとしてくる人がいたら、徹底的に無視して抗戦しますけど笑。

要は、「自分の人生に関係のないこと」を変えようとしないことです。

先日も書きましたが、僕がニュースを見ないのは、

そこに資源(=リソース)を割いても仕方がない

と思っているからです。

イラっとしたから何か言ってやりたい

と思っていた時期は、何もかもがうまく行きませんでした。

僕はこれだけ、君のことを思って言っているのに!

この態度は、傲慢でしかありません。

それこそ、

関係のないやつはすっこんでろ

と思われますよね笑。

だから何も言わないことです。

そういう関係性なのね

それでいいのです。

相談を受けたら、ここまで書いてきたように、

  • 縛っても不幸になるだけ
  • あるいは縛られたら離れろ

と言うとは思います。

でもやはりどこまで行っても、決めるのは当事者本人たちです。

僕は以前と違い、そんな「しょうもないソクバッキー」を見ても、何も感情を持たなくなりました。

「その人を変えたい」という気持ちも、人を縛っているということだからですね。

勝手にやらせておけばいいですし、言ったところでもしかしたら一生変わらないかもしれませんから。

そんなところに時間を割いていても仕方ないです。

だったら、僕は今日を自分のために、誰かのために生きよう

と思ったほうが、よっぽど生産的なのです。

人を変えようとする人は、結局他人に期待している。それは束縛していることと同値だ。他人の人生は他人の人生。反応するのはやめにしよう。

おわりに

人を縛る人を見ますと、

生きづらいんだろうなぁ

と感じますが、一方で、

僕は僕の人生を生きる

と思えるようになりました。

他人の課題はあくまで他人の課題。

みなさんも僕も、自分の課題に集中していけばいいのです。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました