30代が悔しい思いをする大切さを伝えます【悔しさを成長の糧に】

幸せ

こんにちは。

今日は10㎞走ると決めていましたし3連休後で気合いが入っていたのですが、Garmin(スマートウォッチ以下スマウォ)の充電が足りないことに走る前に気づきました。

今までも同じようなことがあったのですが、なんとか乗り越えてきたすずき。

しかし走る距離が長くなってきたおかげで「これじゃ電池切れちゃうだろうな…」とは思っていたのですが、案の定途中で切れました笑。

今日は走るペースもいつもより速く、3連休によってかなり体も休まっていたからなのか体も軽かったので、その分悔しさは尋常ではなかったです。

そんなすずきの「悔しい思い」をバネに成長したことや、そこから学んだことを書いていきます。

やり切れなかったことへの悔しさ

本日はどこからどう見ても「スマウォを充電していなかった自分が悪い」の一択だったのですが笑、7㎞地点まではタイムが計測されていたので「これはなんとか最後まで持つかも!」と安易に期待を寄せていました。

記録もそこそこ速く、4分35秒/㎞とイイペースだったのにもかかわらず、途中でスマウォの画面が真っ暗になってしまっていたことに絶望し、そこからジョギングに切り替えて残りを走りました。

結論、すずきが一体何に悔しかったのかと言いますと、せっかく頑張ると決めていたものがやり切れなかったことです。

なんども言いますが悪いのはあなたなんですよ笑。

もちろんスマウォに八つ当たりしたかったわけではないですし、しょーもなかった自分を責めることで「自分はなんてバカなんだ」と後悔したかったわけでもありません。

単純に毎週2〜3日ほど各10㎞のタイムを計っていたのに、しかも意気込んで走り始めたのにそれが無意味になってしまったからです。

途中までなかなかいいペースだったことも合わさり、画面が暗くなっているのを見た瞬間は「うわーマジかー」となってしまいました。凹みました。

とにかくすずきは最後まで全力で走り切りたかったのです。

そりゃ走ってしまえばいいのですが、タイムが計測されないと自分がどれくらいの追い込みをかけて走っているのかわからないものでして。

だから最近は走り終わった後にどんなタイムが出ようとも、その日にやり切ったのであれば「結果はダメだったけどやると決めたことをやり終えた」という晴れやかな気持ちになるのです。

実は梅雨の時期も同じ悔しさを感じることがありました。

雨の中走ることはできますけど、やっぱり靴も悪くなりますしちょっと抵抗があります。

そうやって「日々走る」とルーティン化した自分が「走れない」という事実を突きつけられることで、悶々どころかもはやフラストレーションが溜まり、しまいには発狂しそうでしたもの笑。

今回の悔しさは不慮の事故(自己責任)によって中断を強いられたのが、とても悔しい要因でしたね。

日々の小さな悔しさ

実は以前に「後悔していたこと」に関する記事を書きました。

しかし今回僕が感じた「悔しさ」とはもっと小さな日常で感じるものです。

「人生の後悔」っていう仰々しいものとは違うような気もします。

今日走り切れなかったことに対しては「今日しっかり走れなかった分、次回はもっと速いペースで走ってやるからな!」とか「次は12㎞走って鬱憤を晴らしてやるからな!」と、己に誓いました笑。

僕はこうやって「できなかったことを補填していくこと」が多くて、足して2で割れば結果的にはそんな変わらないんですけど、なにか少しでも調整しようとしちゃうんですよね。

ダンス練も一緒でして。久々に動けばもちろん体は動かないことが多いです。

そしたら仕方なく練習は軽く切り上げざるを得ないのだけれども、やっぱりちょっと納得がいっていない。

じゃあ次回の練習はガッツリやってやろう。みたいな感じですかね笑。

だからすずきは、デキが悪かった日に「悔しさを」覚えます

「くっそ!もっと行けたじゃん今日!」

「早く帰らなきゃいけないから今日は30分しか練習できなかった…明日はもっと追い込まないとダメだ」

というような感じです。

でもこれがほどよい向上心を生みます

たぶんこの感覚は、中高時代の勉強から来ています。

中間期末でデキが悪かった時はそりゃあ落ち込みましたが、一方で「何クソ!」と思っては次回に向けて奮起していたものでした。

負けず嫌いと表してしまえば簡単なのですが、なんかこう「自分でここまでやる」と決めたことはやらないと気が済まないし、気持ちが悪くなるって感じですかね。

ブログとか食生活とか、自分で信念を持って始めたことはどれも一緒な気がします。

継続の裏に悔しさあり

僕にとっての恐るべきモチベーション生産マシーン。

それは「悔しさ」なのかもしれません。

悔しく思えた時は成長の時

僕が投資を始めた時も「なんでもっと早くに気づかなかったんだ」と思いましたし、体操やダンス、ブログでも脱毛でも食生活でも、始めた時に少なからずそうした思いを持ったものでした。

しかしそれらを続けていると、今度は「始めたての思い」から「継続がうまくいかなくなっていることに対する悔しさ」という感情が湧いて出てきます。

「始めた後に続けること」が1つのステップだとしましょう。

さらにその先において「成長できなかった自分/やり切れなかった自分」を見つけてしまった時。

ここが成長のポイントになる点ですので、ステップ2になるわけです。

ランニングも始めたての頃と違ってもう半年近く走り続けていますから、いつまで経っても同じペースで走ることや同じ距離を走ることだと、なんの成長もありません。

一方でそれで満足している自分がいるかもしれない…

ただ、今日感じたこの何とも言えないようなやり切れない、行き場のない悔しさは成長を求めている自分がいるという証なんだなと思いました。

要は満足してないんですよね笑。

どんなにキツくてタイムが出なかったとしても、今日は本当はしっかりと走り切りたかったという思いがあったのです。

以前あまりの暑さに途中でダウンしてランニングを中断してしまったこともありましたが、今回はそれとは違い、あまりにも突然にランが終わりやり切ることができなかったことで初めて味わう悔しさでした。

でもだからこそ自身の内側にある「成長したい」という気持ちや、今後もっと頑張らなければという気持ちに気づくきっかけになりましたね。

ガリ勉時代も今でも何かと悔しく感じられているということは、成長を楽しめているからかもしれません。

今日できなかったことはまた次やればいい。

成長していきたいというモチベーションが、ふつふつと僕を内部から熱くするのです。

おわりに

いやぁ本当に帰り道で「くそぅ…!」と思いましたね笑。

ここ最近で久々に味わった「中途半端な気持ち」でした。

自分が納得するまでやり切ることは、別にその目指すレベルがどんなに低かろうと構わないと思っています。

やり切れた後にスッキリできていればそれで良いですし、それをもっと長い時間軸で見て「継続できているか」「効果が出ているか」を見るのもすずきは大好きです。

大切なのは、他人から見てその挑戦が適切かどうかというよりも、自分が納得しているかどうかのほうです。

僕は今日、久々に納得がいかなかったので、今度はダンス練で追い込んでやろうとたくらんでいます笑。

こうしてたまにガッツリ悔しく感じることもまたいいものですね。

明日の成長にさらなる期待をしつつ、鍛えていこうと思います。

それではまた!

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