こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕は何度か「学校に来られなくなった生徒」の保護者と話した経験があります。
今日も今日とて、親御さんと1時間くらい電話でお話ししました。
(便宜上、以下「不登校」と書いていきます)
以前にも不登校についての記事は書きましたが、今回は「親」にフォーカスを当てていきます。
様々なパターンがあり、外野である僕が各家庭のやり方に口を挟むべきではないのですが、親としてどう振る舞うべきかということに関しては、保護者と話す中で分かってきたことがあります。
不登校になってしまった息子娘に対して、親としてどう接していくのがよいのか。
少しでも参考になれば嬉しいです。
誰にでも起こりうること
時代も変わってきましたが、いまだに「不登校」に対するイメージはよろしくありません。
高校の担任を何回かやっていますと、その「不登校」という言葉自体にものすごい拒否反応を示す親御さんや生徒さんがいらっしゃいます。
結論から言いますと、誰にでも起こりうることなので、あまりネガティブに捉える必要はないということです。
「学校に行くことが当たり前」という世界に浸っていますと、どうしても「不登校=マイノリティ=悪いこと」と捉えてしまいがちです。
現代は様々な生き方があり、学校が全てというわけではありません。
ただ親としましては、
- 「学校に行ってもらいたい」
- 「そんな息子娘がいると思うのが恥ずかしい」
と思ってしまうのもごく自然なことです。
一方で厳しい言葉をかけさせていただきますと、それは親のエゴに過ぎません。
特に高校生ともなれば、もう自分で多くのことを決断して自分で生き抜く力をつけ始めなければなりません。
親としてのスタンス、立ち回り方は難しいところではありますが、広い心で余裕を持ち、お子さんにある程度は意志決定をゆだねてしまうのがよいかと思います。(これに関しては後述します)
「マイノリティは悪」という固定観念は、同調圧力が生んだものでもあり、昔から根付いている日本の文化の「悪い面」でもあります。
だからと言って、
- 「日本人は視野が狭い」
- 「欧米諸国とは雲泥の差だ」
と言うことが目的ではありません。
その国や文化、国民性によってできてしまう「常識」は必ずありますので、今をとらえてしっかりとこの課題と向き合うべきだと思っています。
それでは親としての立ち振る舞いはどうすべきか。
具体的に考えていきましょう。
自分の思いを押し付けない
先ほども少し触れましたが、親としてやってしまうと逆効果なのは「学校に行って欲しい」と強く推し進めてしまうことです。
確かに自分が親だったら「なんとか子どもに学校を卒業してもらいたい」と思うほうが自然であり、「辞めたいなら辞めちまえ」と簡単に言えるものではありません。
しかしそれと同時に、生徒の人生のレールを敷くことが親の仕事ではないことも、また事実です。
- 「親としての評判のため」
- 「自分が成せなかった夢のため」
など、学校に行かせたいという気持ちが親中心・親発信である限り、子どもたちも聞く耳を持たなくなり、逆に反発します。
学校、特に義務教育を終えてから通う高校や専門学校は、他人に行かされて行く場所ではありません。
少なくとも「生徒が自分で選び、受験した学校」だからです。
親としてそこにお金を払っているからこそ「続けてほしい」という気持ちになるのかもしれませんが、そこまで加味してあげてからお金を出すべきなのではないかなと思います。(条件付きで高校進学をさせるご家庭などもあります)
不登校になることは誰にでも起こりうるし、最終的には本人が決めることです。
そう考えますと、親としてできることは息子娘を進学させた後、援助はするけれどある程度自由にさせてやるのがよいかと思います。(本人と約束をしてもよいです)
「入ったからには続けなさい」と取り決めるのも難しくはありませんが、どうしても行き詰まってしまった場合であっても、柔軟に対応すべきです。
むしろ親のほうが、
「いやぁ…せっかく入ったから辞めさせたくないですし…」
というケースもあり、その時ほど説得するのが大変なことはありませんでした。
お金や約束、取り決めは各家庭にお任せしますけれど、教師として第三者目線で見ていてよく思うことは「あなたの人生ではありませんが…」ということでした。
誤解を恐れず言いますと、とどのつまりは生徒個人は他人であるということです。
他人を変えることは、ほぼできないと言ってもいいです。
広い心と余裕を持ち、「どうするんだい?」と見守ってあげられるのが理想ですね。
もちろん現実は難しいことばかりです。
それでも、悩み抜いた後にやめていった生徒たちの顔を見ると、清々しい顔をして吹っ切れている子たちが多かったなと感じています。
バランスを大切にする
では学校に足が向かない生徒を放っておいてもいいのでしょうか。
結論から言いますと、ほどよく声をかけてあげるといったように「バランスをとること」が大切です。
先ほどあげました、
- 「お金」
- 「約束」
- 「条件」
など、何かしらの取り決め(家族内での了解)があるはずですから、「学校は?」と一言声をかけることは悪いことではないと思うのです。
親として、あるいは本人のためを思ってかける言葉であれば、温かさを伴うはずだからです。
学校に行きたくない生徒に向かって「学校」という単語を投げかけるのは、一見タブーのようですが「ほどよいプレッシャー」もかけられます。(ケースバイケースではあります)
不登校になった生徒の頭の中には、少なくとも学校に対する思いが何かしらあるからです。
最終的には、どこかでその事実と向き合わなければいけない日が必ずやってきます。
それに対して「どう思っているのか」と投げかけることは押し付けていることにはなりませんし、自分で考えてもらうきっかけにもなります。言い方にも注意が必要ですけどね。
また少しだけ生徒に声をかけることは、親のメンタルに対してもメリットがあります。
- 夕方や夜に仕事から帰ってきても、ずっと家にいる生徒。
- 朝に起こしても寝たままで、学校に行こうともしない生徒。
いくら「親が主体ではないのだ」と頭でわかっていても、学校の僕ら教師と接している時間が圧倒的に違いますので、何かしら言いたくなってしまうこともあるでしょう。
そんな悶々とした中で黙ったままでいますと、ストレスが溜まってしまうといった逆効果になってしまいます。
しまいには、
「うちの子が学校行かないんです!どうすればいいんですか?!」
と感情が高ぶり、どうしたらいいのかわからないという状態になってしまっては、生徒と親のどちらに声をかけたらいいのか分かったものではありません。
親のメンタルが崩れるレベルであるならば、子どもに対して「声かけ」をしてみてあげてください。
子どもとのつながり・良好な関係をきちんと保ち続けることが最重要点であり、それは学校を去って行った後も、生徒と長い時間を共にする親族として、とても大切なことなのです。
- まずは「不登校になった」という事実を受け入れ、
- 誰にでも起こりうるケースなのだと余裕を持ち、
- 最終決定に至るまでは見守ってあげながら声かけをする。
完璧にこなそうとすると難しいですが、このうちのどこか1つの点でも理解があれば、家庭も生徒本人も穏やかに過ごすことができます。
学校に行く行かないよりも、ちゃんと家庭が安心できる場所であり、家族が味方であることのほうがよっぽど大切なことなのです。
うまくバランスを保ちながら、押したり引いたりして徐々に生徒に意志決定をゆだねていくこと。
不登校の生徒の保護者とお話しするたびに、このような形がいいんじゃないかとお伝えしています。
おわりに
高校生を持つ親の心情は、残念ながら僕にはちっともわかりません。
しかし「今まさに学校のことで悩んでいる高校生」を何度も目の前にしてきた教師として、
- 彼らにとって安心できることは何なのか
- 彼らにとって今必要なことは何なのか
- 親からどのような言葉をかけられるのが嬉しいのか、イヤなのか
など、感じ取ることができます。
あくまで経験談ですし、ケースバイケースであると言えばそれまでです。
それでも僕は、生徒の手を引っ張ってまで学校に通わせることは本末転倒であると断言することができます。
それは誰にとってもプラスに働かないですし、
「そもそも、なぜそんなことをしてまで学校に通わせるのか?」
という自然な疑問が湧いてきてしまいます。
それぞれの立場があって、
- 教師の立場だからこそ言いやすいこともあれば、
- 親の立場だからこそ言わなければいけないこともあり、
- 生徒本人が言いたいこともある。
難しい議論なので、答えがあるわけでもありません。
しかし学校に足が向かなくなった生徒を無理に行かせるのは、どちらかというと僕は反対ですね。
「北風と太陽」という童話を引き合いに出すのは少し違うかもしれませんけれど、「無理に他人に何かをさせようとすること」は反対に「その人のやる気を削ぐこと」になりかねません。
自分に置き換えてみれば簡単なことで、結局はイヤだと感じることでしかないのです。
無理やり行かせようというスタンスを持っていても、お互い消耗してしまうだけ。
彼ら生徒の出方を待ちつつ、少しずつせっついてあげるのがよいのかなと。
常に「親としてどう振る舞うのが、生徒にとって最良なのか」を考えていくことが大切ですね。
一教師としても、親御さんたちのサポートに努めていきたいと思います。
それではまた!
コメント