僕は人に夢を与えることができているだろうか?【常に生み出す側に】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、任天堂から「Nintendo Direct」という生配信があり、なんと同時接続で380万人という驚異的な数字を出していました。

それだけ、任天堂のゲームが世界中から愛されており、多くの人が期待を寄せていたのだと思っています。

僕はゲーマーたちのリアクションを見るのが大好きでして笑、

マジかよ?!あの復刻版が出るのか?
いよいよあの新作が出てしまうのか?!

と涙を流す人もいたり、狂喜乱舞してしまう人もいたりしました。

なるほど。それだけこのゲームが人々に夢を与えてきたんだなぁ…

と、幼少期に少しだけ任天堂のゲームをしていた僕は、しみじみと感じました。

今日は「人に夢を与えること」について書いていきます。

多くの人に夢を与えること。そしてそのためにはまず目の前の人たちに丁寧に授業をしてゆくことだ。

世界に与える衝撃

僕はこの手の「リアクション動画」が結構好きでして、泣き喚く人たちを見ては幸せになる変態です笑。

以前にも、任天堂のこの動画(Nintendo Direct)については記事にしたことがありました。

彼らがチーム一丸となってゲームを作り、それによって世界の人々を笑顔にしてゆく。

そんな仕事も素晴らしいなと感じました。

こんなゲームを待っていたんだ!
昔やっていたゲームがリメイクだって?!ありがとう!

と言っている人々を見ますと、

任天堂の方々も本望だろうなぁ

と勝手にイメージしてしまうんですよね。

それぐらい、この会社がやっていることとは素晴らしいことであって、もはや世界平和に貢献していると言っても過言ではありません。

日本文化は、

  • 和食
  • アニメ
  • ゲーム
  • おもてなし

など、これらだけにとどまらず、本当に多くの素晴らしい文化を生み出してきました。

任天堂もそのうちの一つですよね。

任天堂を愛してやまない国民から海外の人々まで、そんな人たちのリアクションを見ているだけで、僕はうっとりと幸せを感じたのです。

そうだよなぁ。これこそが「仕事」なんだよなぁ

と。

もちろん、どの仕事にも意味があるのですが、こうして「大きい部分」だけを切り取ってしまいますと、

自分には何かできているだろうか…?

という疑問を抱くこともあるかと思います。

任天堂の歴史は長く、培ってきたものも違いますから、比べる必要はなくて、

これはこれとして感動しておこう

と、割り切れば良いです。

彼らとはまた違った分野で、みなさんも人々に感動を与えているわけですからね。

何かを生み出して人を感動させられることができたら、それは立派な仕事だ。誰もがそんな仕事をしていることも忘れないように。

人に夢を与えること

先述した通り、任天堂の発表を見る人たちのリアクションを見ますと、やはり現実を突きつけられます。

では、果たして自分は誰かに夢を与えられているか?

と。

僕に限らず、多くの人がそんなシンプルな「疑問」を抱くかと思います。

でも結論から言えば、

  • 僕の仕事も
  • みなさんの仕事も

少なくとも「目の前の人」を笑顔にし、誰かの役に立っています。

こうした「大きなこと」をやっている人ばかりを見ますと、

自分は一体何をしているのだろうか?

と自分を卑下してしまう人も多いですが、僕は「そんなことはない」と思っています。

僕がこうして英語を教えることができているのも、それだけ周りの人が与えてくれているサービスを享受できているからです。

その上で、自分にできることと言えば「英語教育」であり、人に何かモノを教えることなのですね。

僕はそれだけでも、

十分夢を与えている

と思えていますし、周りの仕事があるからこそ、自分の仕事も成り立っていると思うのです。

英語が少しでもできるようになれば、そこから発展して「自分の夢」に繋げることができますしね。

その一役を担っていると考えれば、任天堂や大きな会社ほどではなくても、わずかながらも人の役に立てていると、そう感じるのです。

「夢を与える」とは、決してスタープレイヤーや超有名人になることだけではありません。

近所の小さなお店であっても、それにどれだけの人が感謝しているかを考えれば、答えは明白ですよね。

毎日、誰かに夢を与えることができているのか。

それは「小さなこと」からでも構いません。

今一度、自分の仕事を振り返ってみましょう。

まずは目の前の人を幸せにすることから、ですよね。

大きな会社や有名人が人に与える影響は大きい。だからと言って、自分のやっている仕事が小さいとは思わないことだ。目の前の人たちが幸せになっていれば、それだけ夢を与えているという証拠なのだから。

生み出す側にまわること

彼ら任天堂の「圧倒的な部分」とは、コンテンツクリエイターであるという部分です。

ゲームに限らず、キャラクターを描く漫画家たちを見てもわかるように、

  • ゲーム
  • サービス
  • ストーリー
  • キャラクター

を作り出す人たちとは、「生み出す側」なんですよね。

僕が教員を辞めてから感じているのは、

そうか。「持つ側/与える側」にまわることで初めて、いろんな経験が得られるのだな

ということでした。

決して悪く言うつもりはないのですが、やはり僕が教員として働いていた時は、

  • 能動的 < 受動的
  • 言われたことをやる

といった感覚のほうが圧倒的に強くて、自由度がなかったものでした。

世界中の人々が任天堂のソフトに感動し、感謝して涙しているように、「何かを生み出す側」になることとは、多くの人から感謝されることでもあります。

そのためには質の高いコンテンツを提供する必要がありますので、僕自身は、

  • 英語の研鑽を怠らないこと
  • 知識を丁寧に伝達すること
  • きめ細かにコメントすること
  • 自身の教員としての経験を存分に使うこと

を心がけています。

もちろん、

  • ブログ
  • インスタ
  • YouTube

でも、その辺りは大事にしていますね。

今のほうが、以前よりもずっと楽しく「価値提供」をしている感覚があります。

先のわからない世界を進むことは恐怖や不安もありますが、その中で自分なりにコンテンツを作ってゆくこともまた、間違いのない経験となるのです。

任天堂の職員の方々も、彼らは彼らで「会社員」ですから、

  • 会社員か
  • フリーか

を問うことが正しいことではありません。

大切なのは、何かを生み出す側に回ることであって、その一役を担えているのであれば、僕は立派な仕事だと思っています。

だから教員生活も決して「生み出していない」とは言い切れませんでしたし、そこで出会えた生徒や先生、保護者の方々にも感謝されたことはありました。

これは意識の問題であり、あとは現状の自分の働き方と相談するだけです。

僕は結果的にそうなった(良くなった)だけであって、みなさんにもみなさんなりの「合う/合わない」があるかと思います。

その中で日々、

何かを生み出せているだろうか?

と考えることは、とてもいいことではないのかなと。

任天堂はいつでも僕らに夢を与えてくれています。

僕もそんな大人になれたらなって、そう思って生きていきたいですね。

人に夢を与えるためには、いつでも「何かを生み出す側」にまわることだ。働き方はどうであれ、その意識があるだけで、多くの人から感謝される道を歩くことができる。

おわりに

リアクション動画からわかることは、

どれだけこの人たちが任天堂に感謝しているのか

ということでした。

僕らも、そうやって誰かのために過ごすことができているでしょうか。

そう考えることが大事ですよね。

僕はまだ一個人として力はありませんが、目の前の人たちに対して、積極的に何かを生み出し続けていきたいと思っています。

それではまた!

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