30代になってから考えた本当の幸せとは?【自分の幸せを求めない】

幸せ

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

読み終わりました夢をかなえるゾウ

今は2巻目に進んでいますので、貪るようなスピードで読んでいるということです。

さて、今までこうして「幸せ」については何度も語ってきましたが、本書では面白いくらいに今の僕の考え方とマッチしているような内容ばかりでした。

ただ一方で、「自分の」幸せを追い求め過ぎていることで、幸せが遠ざかっているのではないかと思い、また深く考えさせられました。

今回は「自分の追う幸せ」について、もう一度考え直していこうと思います。

幸せを追うほど、幸せは逃げて行く

本書では人間の「欲求」について書かれている部分があります。

「幸せになりたい」と思えば、あれをしてみたりこれをしてみたり、モノを買ってみたり多くの人に承認してもらおうと思ったり。

際限なく「幸せ」を求めることとなります。

それぞれの幸せの定義は違いますが、1つ満たされればまた次に、そしてまた次にと、人間の欲望は渇いたままで、永遠に幸せを追い求めてしまうということです。

しかもその幸せとは、誰かから与えられるものであることが多いはずです。

  • 何かのサービスを受ける。
  • ご飯を作ってもらって食べる。
  • お金をもらって何かを買う。
  • 恋人から求められる。

など。

つまりTaker(テイカー)としてある限り、いつまでも「くれくれ」と言う「クレクレ星人」になってしまうのです。

こうなってしまいますと、幸せをいくら求めて(対価としてお金を払って)も、誰かから与えてもらうのを待ち続けてしまい、再び与えてもらわない限り、自らが望む幸せを手に入れることは一生できません。

一方で人を幸せにできるようなGIVERになるためには「自分が幸せであること」が前提にあり、まず自分が満たされた状態であることが必須になってきます。

するといくつかの疑問が生まれます。

  • 待って、じゃあ余裕のない人は何ももらってはいけないということ?
  • 最初に何も持っていない人はどうすればいいの?
  • お金を払って幸せを得ることは、立派な投資ではないの?
  • 今まですずきは、散々「自分の」幸せを感じてきたんじゃないの?

誰しも、最初から満たされているわけではありませんからね。

では満たされていない隙間を、「受け取った幸せ」で埋めてはいけないのでしょうか。

それなりにお金を払って自分が幸せになり、その後またこちらがサービスを提供すればいいのではないのでしょうか。

僕はこれが自然な循環のように思えていました。

同じような疑問に苦悩する主人公に、ゾウの神様であるガネーシャはこう言います。

「『おおきにや」

人はいくらもらい続けても、ずっと満たされることはない。いつまでも「欲しい欲しい」と求めてしまうからです。

そこで求めることを一旦やめ、幸せをもらったら感謝をすること

「むしろ自分は満たされているのだ」と感謝をすること。

相手の足りていないところを見つけ、幸せで満たそうとすること。

そうやって自分の「足りない!足りない!」と渇く隙間を「感謝」で埋めていけば、自然と欲しかったはずのものが手に入るのだと、ガネーシャは主人公を諭すのです。

何かを受け取ったら感謝をして、自分が満たされていると感じる。

そうすれば、自然と心の渇きは潤い、いつか「与える側」になることができるのですね。

幸せを分け与えてもらえたのなら、感謝をして自分の「足りない」部分を埋める。

与えることで幸せを感じられるようになれ

受け取ることで「幸せ」を感じることは、僕も悪いことだとは思っていません。

その時に感謝を忘れなければ、人は満たされ、他の人への「与える力」が満ちてきます。

しかし、さらに幸せを感じることができる究極の力があります。

与えることで得られる幸福、つまりGIVEの精神です。

僕は少しずつですが、人に何かを与えることで幸せを感じることができるようになってきたと思っています。未熟ながらも。

ここで僕が最近感じた「他を幸せにする」素晴らしい例をお話ししたいと思います。

10月に、任天堂スイッチのSmash Bros. Ultimate(通称:スマブラSP)というソフトで、最後のダウンロードコンテンツのキャラクターが発表されました。(「〇〇参戦!」という形ですね)

それはキングダムハーツという、名作中の名作であるゲームの主人公である「ソラ」というキャラクターでした。

スマブラは多くの他社ソフトのキャラクターとのコラボレーションを図ってきた、「世界でも最高傑作」と言えるほどの人気格闘ゲームです。

この「ソラ」というキャラクターはディ◯ニーが所有しているキャラクターであるため、任天堂のゲームのキャラに落とし込むことは不可能に近い所業だと何年も言われ続けてきました。

そのため最後の追加キャラクター「ソラ」が発表された瞬間、国内外全世界のスマブラファン、キングダムハーツファン、任天堂ファンが歓喜し叫び、実況者や視聴者の多くが涙していました。

「版権に関する交渉」は何年もかけて行われたのだろうと、視聴者はその努力と苦労を深く感じていたのでした。

僕が言いたいことは、任天堂が世界中の人を涙させた、感動させたということ。

そしてそれ以上にファンが「どうしても参戦させてほしい」と何年も前から待ち望んでいたキャラクターを、自社のゲームに落とし込むように必死で努力したこと

それらがあまりにも「ファンのためにした純粋な行動」だと思わざるを得なかったのです。

「これは単純にお金だとか名声だとか地位だとか、そういうものの類のために努力したのではないのだな」と、僕は終始感動してしまいました。

目の前にいるファンにゲームを楽しんでもらうために、みんなが待ち望んでいた夢を現実化するために、ただ必死にそして純粋に、何年も交渉したのだろうなと。

誰かを幸せにしようと思って、必死に努力したのだろうなと

これが僕が求めていた「幸せ」なのだなと、何人もの感動している人々を見て、そう思いました。

「与える」ことが楽しくなってきていた最中のことでしたので、この経験のおかげでやっと行き着くことができた答えでした。

だから僕が今後やることは、「誰かを幸せにできる仕事をすること」ですね。

誰かを幸せにしたいと必死で願い行動する人に、幸せは訪れる。

教師はGIVERである

僕なんて、お金を払ってサービスを受け、感謝をして、たまに同僚にお土産を買って…

規模は違えど、任天堂みたいに誰も幸せにすることができていないじゃないか。

自分は今まで一体何をしてきたんだ?誰かを幸せにしたことがあるのか。

自分だけ幸せになるように考えていた自己中心じゃないのか。

と、少し気落ちしてしまいました。

しかし今の「教員」という自分の職業を考え直してみますと、「教師ほど無償の愛を与える職業はないのではないか」と思うようになりました。

進路や恋愛、人間関係や人生設計、お金の話やダンスの話、共に青春して涙して笑い合って…

「あれ?これってどうして経験できたんだっけ?」

と考えてみますと、自分のシンプルな行動が生んだ結果だということに気づきました。

生徒のことを想い、放課後や休み時間を割き、時にイベントの準備から手配まで行ない、生徒が壁にぶつかったらハシゴをかけて後押ししてあげ、そしてやっと羽ばたいて行く生徒を見て、その成長に感動して自分は涙していたのです。

生徒からの見返りを求めることは一切なく、むしろ逆にただただ彼らと過ごした時間に「ありがとう」と感謝すらしてしまうような仕事。

こんな稀有な職はないのだなと、改めて「先生であること」に誇りを持てるようになりました。

ただ僕は、任天堂のように「世界を変える」力に嫉妬していたのだと思います。

でも何事もまずは、目の前の人を幸せにすること

それは、どんなに規模が大きくなっても変わらないことなのです。

身近な人を幸せにできもしないのに、もっと多くの人を幸せになんてできません。

むしろ今ある大きくて偉大な人や会社も、最初は本当に小さな範囲で「周りの人のためになる事業」をしていたのだと思います。

「世界中を」幸せにできるようになったのは結果論です。

だから僕に今できることは、目の前の生徒や家族、大切な友人や恋人に愛を与え、幸せにしようと努力すること

これが今一番僕に求められていることであり、それを続けることが僕を幸せに導くのだと悟りました。

僕は今の自分の幸せに感謝をして、今度は生徒や保護者、地域の幸せのために頑張ればいいだけなのです。

なんだ、教員ってすごいじゃん。

今後はもっと自分のやりたいことを明確にしていき、教育に携わりながらより多くの人の幸せを願って行動していけばよい。

それだけのことなんですよね。

そしたら自然と、求めていた「幸せ」で満ち溢れてゆくことでしょう。

身近な人を愛し、幸せにしようと努力してみる。

おわりに

日々、いろんなことを学ぼうと本を読んだりYouTubeで勉強していると、自然と僕の求めている「解」みたいなものが引き寄せられてきているような気もしてきました。

「夢をかなえるゾウ」には、

  1. 僕がやってきたこと
  2. 今後やりたいこと
  3. 持っておくべき考え方
  4. 人生の大切な価値観

など多くの「学び」が載っていて、読み進める上で何度もじんわりと目頭が熱くなったことを覚えています。

「幸せとはなんなのか」と問い続けるためにブログを始めていろいろ行動してみたのですが、まだその幸せの度合いは実は取るに足らなくて、本当は僕にはもっともっと社会に対してできることがあるんじゃないのかって思うようになることができました。

先生という職業は素晴らしいと思っていますし、目の前の身近な人のために身を粉にして働ける環境はありがたいです。

でも僕の本当にやりたいことを決めるには、まだ早すぎます。

それを見つけるためには、いろんなことに挑戦して体験していくしかないんですよね。

その日が来てもしっかりとブログで変化を綴ることができるよう、ブログも続けていきますし、GIVEによる新たな幸せを発見できるよう、また人のために頑張っていこうと思います。

それではまた!

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