こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、友人たちとの話に花が咲きました。
と語りました。
ただ一方で、
と言いたいわけでもありません。
それは上の記事で書いたことでもあったのですが、
と考えました。
今日は、
- 稼ぐこと
- 足るを知ること
について書いていきます。
足るを知ると最適化される
僕が足るを知るようになってから良かったことは、いろんなことが最適化されたことでした。
そんな風に嘆く人もいるでしょう。
何が言いたいのかと言えば、それだけ僕にはムダが多かったということです。
- モノや服がたくさん増える
- ダラダラとテレビを見ている
- お腹いっぱいになるまでご飯を食べる
といったように、生活自体があまりミニマムではありませんでした。
ムダが多いと、時間もお金も流れていってしまいます。
少しずつ、
と取捨選択していったところ、
と思い知らされました。
- 心も
- 体も
- お金も
- 時間も
いろんな「ムダ」を抱えていたおかげで、生活が勝手に苦しいものになっていたのです。
足るを知るには、
と思わないことです。
「腹八分目」とは、とてもいい言葉でして、自分なりに「満足の一歩手前」を理解しておくことです。
満足度の8割くらいを超えてきますと、それ以降のものはほぼほぼ「ムダ(なくてもよかったもの)」の部類に入ってきます。
食欲も物欲も性欲も、求めればキリがありませんからね。
決して「欲」それ自体否定したいわけではないですし、そうやって欲に従ってきたことで、人は豊かになってきたことも理解できています。
僕はもうあまり求めなくなったという、ただそれだけのことです。
「ムダ」を省いて生きていますと、生活の中で選択することも減ってきます。
すると不安や考えることも少なくなってきますので、生活がスッキリしていくのです。
たくさん稼いでから決める
さて「足る」を知っていますと、論理的に考えれば、
と思うようになりますよね。
以前の記事で書いた通り、自分の限界や十分なラインを知っておきますと、年間で使う額が大体わかってくるからです。
そしてそんな生き方もあります。
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ただそれと同時に、
ということは、僕のテーマにもなっていました。
よく考えてみれば、どうやら稼ぐことそれ自体は「足るを知ること」と同値ではないということに気づきました。
つまり、
「稼がなくてもいい=働かなくてもいい=人のために役に立つことをしなくてもいい」
という、変な方程式が成り立ってしまうからです。
- 自分の生活で足るを知っていること
- 人に与えることに関して十分だと思ってしまうこと
は、意味が違うからです。
自分の身の回りのものは最低限でいいのですが、「人へ何かを与えること」に関しては、
と思う必要はないということなのです。
それは最近、いろんなところからの仕事依頼があってから、気づいたことでした。
「英語」というだけでもニーズがありますので、求めている人は多いです。
それなら、そのサービスはいくら届けたっていいわけでして。
もちろん、僕が身を粉にして働けばいいということではありませんし、疲労で倒れてしまったら本末転倒です。
ただ、たくさん稼ぐ(=人の役に立つ)ということは、僕の人生の課題となっていたので、ちょっとした光のようなものが見えたのは嬉しかったですね。
「自分にできること」を欲しい人に届けていくことは、生きがいややりがいにもつながってきますから、ここは「稼いで」いいのだ、ということ。
そのお金をどう使おうと僕の自由ですし、「正しいお金の使い方」なんてものはありません。
ただ、そのお金もまた様々な「使い勝手」がありますよね。
自分の「足る」のラインを知っているのであれば、その余剰資金はまた別のことに回せます。
まずは自分のできることをコツコツとやっていき、その上で報酬をいただけるというイメージを膨らませておくこと。
お金の使い方は、僕もたかががしれてます。
- それぞれのペースで稼いでいき
- それぞれが費やしたいところに費やしていけばいい
いくら「足る」を知っていても、「だから稼ぐ必要はない」とはならなくていいのですね。
両立した先にあるもの=差
- 足るを知り
- 稼ぎまくること
この姿勢で生きていった先に行き着くところは、「差が生まれること」なのだと思っています。
言い換えれば、
- 収入が増え
- 支出が減る
ということ。
例えばそこで生まれた余剰資金を投資に回すことは、「投資の基本」ですよね。
そうして資産をある程度増やしていくことは、豊かさや幸せに繋がってきます。
他人を幸せにしながら(働きながら)、自分も幸せになっていくこと。
すると、僕自身に「余裕」が生まれてきます。
FIRE(=経済的自立、早期退職)を目指していた教員時代も、
- ムダなお金を使わなくなって
- 余剰資金を投資に回したことで
かなり精神的に豊かになったことを覚えています。
別にやることは、以前と大きく変わりません。
以前と違うのは、稼ぐだけ稼ぎにいけるという位置にいるということ。
自由度が高いということですね。
誰も僕を止める人はいませんから笑、そうやって収入の量を増やしても問題はないのです。
早く自分が豊かになれば、提供するサービスも良くしていくことができます。
つまり、いつでもこの「収入と支出の差」を意識しておくことです。
例えばそれがそのまま投資に回る資金になったとしても、僕自身の「幸せ」を買うことができます。
あるいは日頃お世話になっている人に対して、どんどん「与えること」ができるようになるかもしれません。
僕なりの持論ですが、僕は今後もこの「差」を強く意識していくことが必要だと思っています。
その「差」に生まれた部分を、何かまた自分以外のものに充てていくことが、一人では感じることのできない「幸せ」に繋がっていくのではないでしょうかね。
それは今までの僕では感じることのできなかった幸せ。
自分以外のところで起こる「幸せ」を求めるなら、
- 足るを知りながら
- もっと自分にできることをして
- 稼いで収入と支出の差を生み出すこと
です。
これもまた僕の新たな課題。
これからは稼いでいくことが、僕のやるべきことなのです。
稼いだ上で、またその都度考えていきましょう。
おわりに
と思っていたのですが、この「差」を作ることが、僕には必要だったのですね。
それなら、まずはドーンとその「差」を作ってみること。
それから考えてみますね。
それではまた!
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