教育って本当はもっと自由でいい【自由な教育を求める教員の話】

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こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

日本の教育についてだけでなく、「教育そのもの」について考える日々が続きます。

  • 「自由な教育とは何か」
  • 「どうしたら学びとは楽しくなるのか」

今の日本の教育に対して、

なってないなぁー

という人もいますが、そのような言葉を発することは簡単です。

しかし、いざ教育界を変えようと思いますと、

  • なかなか時間もかかりますし、
  • スケールが大きすぎます。

そこで僕は、教育界の遊撃部隊になることを決意したのでした笑。

ただその前に、現状の日本の教育において

  1. 課題点は何で
  2. 解決方法はあるのか

を考えなければなりません。

今日は「現場の教育の整理」と、これからの未来の教育について話をしていきます。

自由な教育とは、いつでも生徒が自由に学べる場所のことだ。

学年制や縦社会の弊害

誤解のないようにお伝えしておきますが、僕個人としては部活動や学年の先輩・後輩の関係は好きなほうです。

しかし「学び」と捉えてみますと、どこか窮屈と言いますか、決まり切った印象を受けていることは否めません。

塾や予備校で予習が加速しているように、「学びたい」という気持ちは人間の根源的な欲求です。

このことから、悪く言えば、

「学年制や、年齢に縛られた教育」

とは、

  • その人の成長をストップさせているだけではなく、
  • その人の成長したいという気持ちも押さえつけている

ように思えます。

これがいわゆる先代の敷いた「レール」であり、それに乗ることが良くも悪くもその人の人生を決めていきます。

僕は30代ですが、学生の頃の「神話」は、

  1. 一所懸命勉強をし、
  2. 受験を経験し、
  3. いい大学に入り、
  4. いい会社に入って、
  5. 1社ないし2社に勤めて退職

というようなものでした。

もちろん、全否定しているわけではありません。

注目していただきたいのは、一番最初の「勉強こそ力」の部分です。

僕は「勉強推進派」ですし笑、受験によって得られたこともあると感じています。

しかし「人生という大きな視点」で見た時に、大切なのは「学び」であり、

「勉強して、受験して、志望校に受かる」

ことが、「学びの本質」ではありません。

道は広く開かれていますから、その道を選択するのは子どもたち自身であるべきなのです。

学ぶスピードや、意欲の深さはもっと自由でいい。

僕はそう思っています。

敷かれたレールの上を歩かせることが、教育ではない。

「学び」のスピードが遅い

教育分野、それも特に日本の教育は非常にスピードが遅いことが難点です。

「みんなで並んでゴールイン」はクソ喰らえだ!

と言われた時代がありましたが笑、今でも大きなシステム自体は変わっていないと思っています。

「学年制」がいまだに根強いのは日本だけではありませんが、やはり行き着くところは、「学び」のスピードはそれぞれのペースでいいという結論だと思っています。

日本の教育では、学びのスピードが遅い

と言いますと、

じゃあ学ぶのが遅い人を置いていけというのか?

という意見が来ますが、それは違います。

個々にあったスピード」で学んでいくことが、

  • 一番適切な速さであり、
  • 最短の学びの道である

と思うのです。

みんなで同じことを学ぶことを全否定しているわけではありません。

ただ、個々がもっと意欲的に学べる環境を整備してあげて、その生徒の「得意」をグンと伸ばしてあげるのが、

  • 先生の
  • 学校の
  • 社会の

役割じゃないでしょうか。

現存の学校だと、どこか停滞しているようなイメージがあり、生徒の「学びたい!」という気持ちがいかに強くても、悪い意味で失速させているように思えてなりません。

カリキュラムや年間指導計画も、作っている意味はなんとなくわかりますが、「内実が伴っているなぁ」と感じている先生は、一人もいないと思っています笑。

つまり、「形だけ」やっている感を出しているのです。

それでは、生徒たちが享受すべき「本当の学び」は、いつまで経っても得られません。

個々のスピードを自由に決めさせるのは至難の業かもしれません。

しかし、

できないんだから仕方ない

と妥協していては、いつまで経っても教育は変わりません

もっともっと、生徒たちの「自由な学び」を応援していきましょう。

学びのペースは人それぞれだ。その人に合ったペースこそが、最速・最短の道。そんな教育を目指すことは、悪いことではない。

学びを加速させる場づくりがカギ

現存の学校では遅いなぁ

と感じて来た数年間。

いよいよ僕は、その数年間の思いを引っさげて「自分のやりたい教育」を求めてみることにしました。

「学びは自由であっていい」

と言うのであれば、

教育だって自由であっていい

のです。

目の前の生徒が

  • 「伸びたい!」
  • 「もっと学びたい!」
  • 「もっとやってみたい!」

と思っているならば、コミットしていくのが教育の真の面白さです。

そんなことやりたいの?!思いつかなかったわ〜

本来であれば、生徒からそんな「自由な発想」が出てくるはずなのです。

  1. その土台を築き、
  2. その発想を奨励し、
  3. そのやる気を伸ばしてあげる。

そのための「学校」という現場もあっていいし、他の形もあっていい。

僕は、一度学校という場を離れることで、「教育」の新しい面や可能性を見てみたいのです。

その形は、

  • オンラインかもしれないし、
  • 誰も想像できなかった形かもしれないし、
  • 学校と似ても似つかないものかもしれない。

とにかく、現状の学校という組織においては、

  1. あまりにも学びに制限があり、
  2. あまりにもスピードが遅い。

これは、何年も現場にいて、何度も考えて感じてきたことです。

教育はもっともっと自由でいい。

自由な学びと、自由な教育ができる場を作り上げることが、僕の使命であり、目指すべき教育のあり方だと思っています。

徐々にそのような形式の教育機関は生まれつつあります。

僕も僕なりのやり方で、「新たな教育」を作り上げていきます。

自由な教育だってあったっていい。学校を批判するだけでなく、いずれ自由に学び、教える場を作り上げていこう。

おわりに

学校現場にいますと、その良さも感じる反面、

もっと自由に教えたいし、生徒ももっと自由に学びたいはずだ

と思う場面が多いです。

学校という守られた場の中で、僕が「好き放題教育をする」のもまた1つの形ですが、

  1. 僕にとっては窮屈すぎること
  2. 生徒たちはもっと可能性を秘めていること

などを考えると、やはりもっと「自由な裁量」を持っていたいと思ったのです。

人に教えるということは簡単なことではありません。

ありがたいことに「学校」という場をお借りして、教育ができているのだからそれには感謝すべきです。

しかし、もっともっと根本にある、

学校に成り替わることができる場を提供すること

これについて考えることもまた、教員としては面白くて、ワクワクすることなのです。

教育の形は1つではありません。

自由に、柔軟に教育を語り合い、実現していきましょう。

それではまた!

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