こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、僕が教えていた高校で文化祭があり、生徒たちがダンスの演技を見てほしいということで、知り合いの先生がLINEを繋いでくださり、彼らの公演を見ることができました。
シンガポールにいた時も、彼らからLINE電話をしてもらったことを覚えています。
日本の高校の、それも体育館で行われている文化祭を、まさかフロリダのマイアミで見ることになるとは思ってもいませんでした笑。
今日は「元気をもらえる存在になること」について書いていきます。
僕が与えてきたものとは?
僕が教師の時にやっていたことといえば、
「目の前の生徒に対して真剣に向き合うこと」
でした。
先生を始めた最初の頃、生徒たちとうまくいかなかったのは、
と思っていたからでした。
当然のことながら、仮にその態度を表に出していなくても、潜在的な気持ちは伝わってしまうものです。
その間違いに気づいてからというもの、いつでも話を聞いてあげることに徹し、「生徒ファースト」を心がけていました。
「先に与える」とは長い間、このブログで書いてきたことですが、先生の場合ですと、
という状態でした。
学校ではどうしても生徒たちと顔を合わせるわけですし、
と、生徒たちも自然と寄ってきます。
その際に、
- 馴れ合わないけれど
- しっかりと話を聞いてあげる
この姿勢を持つことを心がけていました。
この姿勢は、「対大人」でも有効に働きます。
僕が始めたオンライン英会話の講師でも、「いかに相手の話を聞くか」がとても大切な要素であることを感じています。
「与える」とは、「特別何かをしてあげる」ということだけに限りません。
そばにいて、親身になって話を聞いてあげることだけでも、相手は喜んでくれるからです。
生徒たちの話はとてもシンプルなものが多いのですが、経験があまりない10代ですから、悩みは深いものです。
みなさんも思い出せば、青春時代は悩んだり苦しんだりしたことが多かったと思います。
解決はできなくても、生徒の話を聞いてあげること。
僕がしてきたことは、ただこのシンプルなことだったのかもしれませんね。
僕がもらえるもの
生徒の話を聞いてあげる姿勢を持っていますと、自然と生徒たちも寄ってきてくれます。
時に真剣に話をする時もありますし、たまにふざけた笑い話だってします。
そのバランスが大切であり、結局は自分自身が「魅力ある先生であること」も大切なのだなと感じました。
これは生徒に限った話ではありませんが、人と真剣に付き合っていますと、自然と人が寄ってきてくれるようになります。
と思ってくれるからです。
今回、フロリダにいながらでも、
と、元同僚の先生からオファーされたのは、今まで彼ら生徒たちのことを思っていたからかもしれません。
という感じではありませんでしたが、
と思わせられたという意味では、とても嬉しいことでした。(実際僕も見たかったですし)
こうして今まで「彼らに与えてきたもの」というのは、形を変えて返ってきます。
実はボストンの兄の家を出てから、マイアミのホステルに着いた時、旅を始めた2日後に韓国で感じた、
感が、再び僕を襲っていたのでした。
しかしタイミングとはいつも絶妙なものでして、落ち込んでいる時にこそ、人に助けてもらえるものなのです。
今回、日本での文化祭は13時半でしたので、まだサマータイムのアメリカは13時間前の時差ですから、こちらでいうところの前日の深夜12時半に、ダンス公演開始となっていました。
と眠い目をこすりながらも、LINEで繋いでもらってしっかりと見られたダンス公演。
すごく元気をもらいましたし、なんだか日本の文化祭をこちら(アメリカ)で見ている自分が、不思議で仕方ありませんでした。
結果、生徒や先生たちとお話ができて最高の時間となったことは、間違いありませんでした。
今までしてきたことは、形を変えて返ってきます。
自分がツラい時に、彼らに与えたエネルギーを返してもらうことができるのです。
誰かがついている旅
僕は一人で旅を始めたものの、いろんなところで現地の友人や、ホステルの外国の方々に助けられたことがありました。
もちろん、オンラインで友人たちと話したり、こうして生徒たちの公演も見ることができましたから、
- オフライン
- オンライン
の二刀流で、僕の旅は助けてもらっていたことになります笑。
一人で旅をするはずだったのですが、どうやら僕は本当に多くの人に助けられながら、この旅を続けられているようです。
- 僕の旅の無事を祈ってくれる人たち
- 旅の途中でもオンラインで話をしてくれる人たち
彼らのおかげで、自分の精神が保たれていると言っても過言ではありません。(寂しがり屋か笑)
旅の途中、「胸が押しつぶされそうになる時」は幾度となくありました。
自分のコンフォートゾーンを出る瞬間、あるいはふとした瞬間に、えも言われぬ恐怖感に襲われることは、誰にでもあることです。
これは日本にいた時もそうでした。
それでも、
そう思えたことで、少しでも気持ちが楽になったことを覚えています。
月並みな表現かもしれませんが、
と思うこと。
それだけで、「旅を続けることができた」と言えるでしょう。
と思う人もいるかもしれません。
しかし、かの有名な漫画ワンピースでも、主人公のルフィははっきりと、
と断言しています。
むしろ、
と豪語している人は、勘違いだと思っています。
僕も以前は、そんな「勘違い野郎」でした。
特に日本でのインフラの整い方は(いい意味で)異常であり、周りの誰かが働いてくれている(働いてきた)からこそ、あの社会の形が成り立っているということを忘れてはいけません。
常に「誰かに助けてもらっている」という意識を持っておくことは、生きていく上で大切な考え方だと思っています。
おかげさまでここまで旅を続けることができました。
本当に感謝しかありませんね。
おわりに
ふと訪れる、友人たちとの交流の時間。
自分が折れそうになっている時こそ、力をくれる存在は大きいです。
いつでも僕には、誰かがついてくれています。
その事実に感謝し、また旅を続けていこうと思います。
それではまた!
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