一人の悩みはみんなの悩みになる【集まってくれる幸せ】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人たちとzoomで雑談会をしました。

内容は細かく書けませんが、

  • 転職
  • 友達の定義
  • やりたいこと
  • 個人事業主の実態

など、多岐にわたってざっくばらんに話し合うことができました。

実は悩んでいる人は少なくなくて、僕のようにパッパラパーと海外を旅している身からすれば、

みんな真剣に考えているのだな…

と感じました。

今日は「悩みを共有すること」について書いていきます。

誰かの悩みはみんなの悩み。他人事だと思わずに話を聞いていこう。

悩みを共有しよう

僕はポジティブな人間ですが、だからと言って、

悩みを言ってはいけない

とは思っていません。

それぞれに抱える悩みがあり、それを吐き出すことで自分の気持ちが整理されることがあるからです。

特に僕は元教員と言うこともあり、よく生徒たちから悩み相談を受けていました。

僕が答えを持っているわけではありませんし、10代の子たちよりも長く生きている僕だって、神様ではありません。

それでも、彼らと一緒に悩みながら進んでいく時間は、彼らにとっても大切な時間だったのだと思っています。

悩んでいる自分が悪い
悩んでいる暇なんてない

こう思ってしまう人もいますが、そんな必要はありません。

そこに「聞いてくれる人」がいる限り、自分の悩みを聞いてもらえばいいのです。

ただし、

  • ただグチをこぼし続けたり
  • 悩みを聞いてもらう割に成長していなかったり

というだけでは、相手も離れていってしまいます。

要は「姿勢や態度」の問題であり、やはり「自分で解決しようとする姿勢」もまた大切な要素なのです。

その上でもできないのであれば悩みを共有して、前に進んでいく。

「自分で模索する時間」があまりにも長い人もいますが、そうなることもまた時間がもったいないです。

  1. 悩み過ぎず
  2. 人に頼り過ぎず

絶妙なバランスが大切ですが、「悩みを相談しない人」は結構います。

時間の効率や精神衛生的なことを考えていくと、ムダになっていることにもなりますので、悩んだら誰かと悩みを共有することをオススメします。

悩みを人と共有してみよう。ただしあまりネガティブになり過ぎず、自分で努力した上で相談してみよう。

その悩みが多くの人を救う

特に大勢で話して議論して、解決策を導こうとしている場合は、その人一人の悩みが他の人を救うことに繋がります。

これはよく教室で起こることですが、生徒一人が全体で「わからないです」と言ってくれれば、その点をバカにするのではなくて、

他の誰かもそこがわからなかったはずだ

と思うことが大切です。

1対1のzoomではなく大勢のzoom会でしたので、「三人寄れば文殊の知恵」のように、いろんな視点からいろんな意見が飛び交うこととなりました。

「悩みを言う」ということそれ自体が、とても悪いことのように見えることがありますが、僕は以前から、

わからないことはわからない

と割り切り、積極的に聞くようにしています。

それは自分のためだけでなく、必ず「他の人のため」にもなっているからです。

「誰か一人がわからない=他の誰かもわかっていない可能性が高い

と言うことだからです。

説明している側の力不足の可能性もあるということ。

普段の悩みについても、「誰かの悩みは他の誰かの悩みでもある」ということを認識しておくことが必要なのです。

そんなことでいちいちクヨクヨしてんなよ

と思う人もいるかも知れません。

でも僕は、そう思わないようにしています。

もし「答え」に近いアドバイスができるのであれば伝えたらいいですし(何かのヒントになるかもしれません)、答えが見つからないような場合であれば、一緒に悩んであげたらいいのです。

もしかしたら、いずれ自分が「同じように悩む立場」になるかもしれませんからね。

何度も人と悩みを共有していれば、1ミリだろうがきっとその人の役に立つことは間違いないでしょう。

多くの人の悩み解決の手助けになる必要はありません。

他の人と悩みを共有することで、連鎖反応的に他の人にも「良い影響」が出てきます。

だからこそ悩みは共有したらいいですし、積極的に交換して解決策を導くようにしてよいのだと思っています。

悩みを共有することで、お互いのためになることがある。一人の悩みはある程度多くの人に共通しているもの。どんどん共有してみんなで考えていこう。

自分の糧になる

特に僕が海外でも「雑談会」を積極的に開くのは、「楽しい時間」でもありますが、

  • 情報を共有したり
  • それこそ悩みを聞いたり

したいからです。

元教師とはいえ、何度も言いますが神でも仏でもありませんし、僕自身にも課題や悩みがたくさんあります。

それは決して尽きるものではなく、いつになってもその都度考えて、解決に向かっていかなければなりません。

僕はこうしてアウトプットをしまくり笑、ある程度「自分の幸せの定義」を見つけられるようになりましたが、まだまだ悩んでいる人は多く、僕が経験したことのないような「悩み」を持っている人がいます。

俺はもう悩みを聞く必要なんてない

これは大きく間違っていると思っていますし、誰にだってまだまだわからないことがたくさんあることを忘れてはいけません。

また「誰かの力になってあげたい」といった精神で、

  • 悩みを聞いたり
  • 雑談会を開いたり

しているわけでもありません。

それは傲慢ですしね。

自分の糧にもなるし、相手のためにもなる。それを聞いている人たちにとっても、何かのヒントになる

この考え方を持って雑談をすることで、雑談にある「本当の意味」を理解しながら時間を使うことができるのです。

雑談=意味のない雑多な時間」と捉えているようでは、その時間をムダだと思ってしまうことは仕方のないことでしょう。

そうではなく、

  • 自分の
  • 誰かの
  • その人の

ためになると思って時間を使うこと。

これが僕の大切にしている考え方です。

だからこそ、

  • ただネガティブ発言だけをする
  • ただグチばかりを言い合うだけになる

これらのままでは、一切成長することはありません。

それこそ「ムダ」な時間になってしまいます。

以前の僕は居酒屋に「飲み会」に行っては、これらの繰り返しでした。

「雑談」の形はいろいろありますが、建設的な時間になることもあるはずなのです。

もちろん、「ただただバカ笑いして終わる」こともたくさんありました笑。

楽しかったものです。

ずっと真剣にやり続けることもまた、疲弊してしまいますからね。

そこも温度感やバランス感覚が要求される部分でしょう。

いずれにせよ「自分のためになる」と思って参加するだけでも、価値が見出せるものです。

雑談=有意義な時間」として捉えつつ、自らそうなるように悩みを共有したり、積極的に質問したりすることが望ましいのです。

雑談とは時に楽しいだけの時間でありながらも、積極的に有意義な時間にもできる時間だ。自分のために、誰かのためになると思って悩みや意見を共有していこう。

おわりに

悩みなんてない

と言う人もいるかもしれませんが、そんな人ほどいろんな人と話すべきかと。

それによって救われる人だっていますし、自分自身の足りない部分を埋めるきっかけにもなります。

「楽しい時間」とは、そうした深いところまで話し合える仲だからこそ共有できる時間です。

これからも雑談を大切にしていきましょう。

それではまた!

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