こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
3月は別れの季節ということもありまして、自分が海外にいくことが決まってから、多くの人と出会う日々となっております。
とても嬉しいことですよね。
実は以前の僕は、考え方が大きく違っていました。
- できればお金を使いたくない
- そういう関係だって長続きはしない
と、人に費やすお金や時間、関係性を真っ向から否定していたからです。
と思われるくらい、捻くれていました笑。
今では逆にドン引きされるくらい、頑張ってお金を使っては人と会っています笑。
今日は、僕が「人と会うことで得ている体験」について、書いていきたいと思います。
人と会うときのマインドセット
以前の僕は、人と会う時間を「違う意味」で捉えていました。
- 楽しい
- 時間潰し
- ワイワイする
そうですよね。
ただし、あえて悪い言い方をするならば、
「ただ人と会うだけであり、表面上の関係を築いていた」
という言い方になります。
もちろん、その関係が「適当な関係」だったわけではありません。
今でも関係が続いている人もいますし、今だからこそ改めて深い話をする友人もいます。
当時の僕を思い返してみますと、「なんとなくやり過ごしている時間が多かった」という印象があります。
- 遊び
- 飲み会
これらの類(たぐい)は、言ってしまえばあまり意味がありません。
言い過ぎかもしれませんが、そこに目的もなく、
となってしまいますと、あまり刺激もありませんしムダな時間になりかねません。
とはっきり言うことはできませんが、どちらかといえば僕自身のマインドセットのほうが未熟だったと言えます。
今でもその感覚は無きにしもあらずですが笑、人と会う時間を「特別な時間」なのだと感じるようになってきたのは間違いありませんでした。
「人と会う時間 = 軽い時間」▶︎「人と会う時間 = 貴重で特別な時間」
このように考え方が変わったことが、大きな変化だったと思います。
自分の姿勢が変わるだけで、友人や仲間、同僚たちと会う時間がかけがえのないものになってきます。
僕に必要だったのは、「考え方や価値観の変化」だったのでした。
特別な時間、「コト」消費
かといって、友人との時間をあまりにも特別視する必要はありません笑。(どっちなんだい)
その時間を「楽しい」と思えることもまた大切なことですから、こればかりは「どういう形がいいのか」と言語化するのが難しいのですけれどね汗。
さて、
「人との時間を大切に感じつつも、純粋に楽しむこと」
僕の中ではこれを「コト消費」と認識し、体験に使うお金として捉えています。
「消費」ですから、「時間」という意味でも同じように捉えることができますね。
- お金
- 時間
これらを「人」との出会いや、「体験」に費やしていくこと。
最近の若者たちは、「モノ」よりも友人や仲間たちとの「時間/体験」を大切にする傾向があります。
「エモい(=懐かしい/ジーンとくる)」と言う言葉が昨今で若者の間で流行ったのも、SNSの発展があったからこそだと思っています。
ここでは「モノ」と「コト」の対比は割愛させていただきますが、僕は人と会う時間を特に「コト消費」として捉えています。
そういった時間をたくさん持つことに対して、以前ほど「抵抗を感じていた」時はありませんでした。
こんな感じでしたね笑。
人と会う時間を「特別な時間」として見てはいませんでしたし、「自分には全く関係のないもの」として捉えていました。
こんな考え方は、意外にも多くの人が持っている考え方かもしれません。
だって、また会えるのが普通ですから。
ただ、僕の中で「大きな革命」が起こったのは、人との時間は自分一人でする体験よりも何倍も価値があると思ったからでした。
しかもそれは幾度となく訪れる機会ではないということも、です。
極論、誰とも会わずに「自分一人でずっと楽しく過ごす人生」も考えてみたことがありましたが、どうも寂しいと言いますか、つまらないと言いますか。
それはなぜかと考えたときに、自分の体験を「共有すること」ができなかったからです。
いいえ、違います。
一人旅も僕は大切にしています。
その話を、あとで友人や家族と「共有」することができるからです。
その時間もまた「コト消費」の時間となるのですから、一人の体験談も「後々誰かに話す」という「他者との時間をかける」という前提条件に立てば意味があります。
結局は「人との時間」を求めるために、僕らは生きている。
これは言い過ぎに聞こえるのかもしれませんが、ある程度「真理」ではあるのかなと。
だから意固地にならずに、どんどん人と会い、どんどん貴重な体験をしていけば良いと思っています。
人と会いまくる時間をどう捉えるか
そんな「革命」が起こってからというもの、僕は人と会い続けました。
人と会う時間に価値を感じたのですから、それは自分の中では「正しいこと」に位置付けられたこととなります。
今度は「自分の時間」を確保できなくなりますが、そこは自分でバランスを取っていけば良いだけです。
僕の「心の変化」はとてもわかりやすく、人と会い過ぎた後は「当分の間は一人でいること」にしています笑。
ただ、「どちらの時間」に対しても変な罪悪感はなく、素直に楽しんでいますし、とても大切な時間だという認識を持っています。
以前の僕のようにそう思われる方もいるかもしれませんが、僕はそれだけ人と会うことには価値があると思っています。
先ほど書きました、
- 共有
- 何倍もの価値
などもそうですが、人生ってそうあるべきだと思うからです笑。
と言われますが、やはりどの人間も一人では生きていくことができないという事実は、変わらないからです。
どんなに一人で頑張ってビジネスを築き上げたとしても、誰かがその商品やサービスを買ってくれるからこそ、お金を手にすることができます。
自給自足の生活をしていたとしても、ほんの数パーセントくらいは他人が関わっているものです(水道高熱関係など)。
だから「本当の意味で孤独な人」はいないと思っています。
逆にいえば、
- 傲慢に生きていたり
- 意図的に人を避けたり
していたら、「孤独」なのかもしれません。
「周りにいる人の数」が大切だとは言いませんが、「人との時間」がある程度「人生の最適解」であるように、人との繋がりは「ほぼマスト」です。
だから人と会いまくっていても大丈夫。
その後、お金のことだの時間のことだの考えればいいのですから。
僕はできる限り、人との時間が多いほうの人生を選んでいきます。
それが1つの解だと思っていますので。
おわりに
なぜ僕がこのような記事を書いたかといえば、
と思ったからでした。
でも考えれば考えるほどに、友人や家族、仲間との時間を作り出すために働くことで、生きがいを持てるのだとわかりました。
みなさんも、仮に「誰とも会わない生活」を想像してみてください。
驚くほどゾッとすると思います笑。
どんなに人との会話が苦手でも、「繋がり」は人間が必要としているものです。
迷うことなく、人と会っていきましょう。
それではまた!
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