30代が大失敗談を笑い飛ばす理由【失敗学のすすめ】

幸せ

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

30年以上も生きていますと、失敗につぐ失敗の連続で、いつになったら成功するのだろうかと泣きたくなることがあります。

なんならもう泣いてます笑。

先日、畑村洋太郎さんの失敗学のすすめを読みました。

本書によりますと、

「失敗とはなかなか公開されるものではないので、もっともっと失敗したことを体系化して次世代に伝えていけば良いのに…」

という主旨が書かれていました。

僕は失敗ばかりで本当に面白い人生なのですが、一方で失敗を失敗と考えないことも大切です。

  • 浪人もしたし、
  • アキレス腱も切ったし、
  • 離婚もしたし。

あとはビジネスで失敗するとか、海外に行って死線を超えたとか、そういう武勇伝がほしいものです笑。

今日は僕が大の苦手としていた「料理にまつわる小さな失敗」をまとめてみましたので、バカにして笑って楽しんでいってくださいね。

米を焼く

僕は料理が大の苦手でした。

大学院時代まで実家に住んでいたので、料理は母が作ってくれていました。

つまりそれは、

「生まれ落ちてから当時までの20数年間、料理をしたことがなかった

ということを意味します。

さて、そんな僕は友人とルームシェアを始めることで、一人暮らしの一歩手前を経験し、「ガチ一人暮らし」に慣れていこうという計画を立てました。

しかし当時はなんと、帰宅の早い僕のほうが料理当番となっていました笑。

神のイタズラとでもいいますか。

天はいつでも僕を見放さない、いや見放しています。

まず野菜の切り方なのですが、控えめに言って「マジでわかりません」でした。

筋肉に任せて、とりあえずかたっぱしからガコンガコンと包丁でぶった切ってゆく姿は、完全に犯罪者の影と一致しました。

  • にんじんは吹っ飛び、
  • じゃがいもは転がり落ち、
  • 挙句の果てに肉は焦げるわで、

「なるほど。日本で一番のカオスはここ川崎にあったのか」

と思うほどでした。(当時は川崎住みでした)

そしていざ、米を炊こうという段階になりました。

これに関しましては、絶対の自信と勇気を持ち合わせていました。

中学時代に「飯盒炊さん」を経験していますからね。任せてください。

ちなみに飯盒炊さん当時、中学生だった僕は、米をとぎ過ぎて「べちゃべちゃなご飯」を提供するほどの三流シェフでした。

そんな失敗を重ねて成長した僕に、もはや怖いものはありませんでした

ほどよく米をとぎ、炊飯器を準備してセット。

勝利は目前でした。

ルンルンして野菜をぶった切り、手際「悪く」鍋でカレーを完成させたところ、ピーッと音がしたので炊飯器をのぞきにいきました。

するとなんということでしょう。

匠の技によって研いだ米が、固いまま炊飯器でただ熱されていただけではありませんか。

そうです。

水を入れ忘れました

ファースト・インプレッションは、

「え?だって、水を入れろって書いてなかったよね?」

です。

説明書もないですしね。

丁寧に「米の炊き方」を検索して準備したわけでもない自分が100%悪いのに、ひどい八つ当たりようです笑。

うっかりならまだしも、米を炊くこと自体の経験がなかったため、これはガチもんの失敗でした。

アツアツのお米に、カレーをかけて召しあがれ…ず。

「Google先生」に光の速さで確認をとったところ、

「また水を入れ直して炊けばOK Google」

と出てきました。

ありがとうGoogle。ありがとうU.S.A。

しっかりと米を焼き、ただただ米に熱を加えた。

そんなドラマが、ここ川崎にありました。

誰にでも失敗はある。失敗なんて、笑い飛ばそう。

弁当爆発

そのエクスプロージョンが起こったのは、平和をそのまま投影したようなうららかな昼下がりでした。

最近僕は、自炊にハマっていると申し上げました。

特に「鍋」は偉大であり、

「スープも飲み干せば、その栄養をほしいままにできる」

という言い伝えを信じて、お昼に職場に持って行っていました。

単純にお昼代をガッツリ浮かせられることに加え、

「すずき先生、またお昼作ってきたんですね!」

と、女性陣からの黄色い声援もゲットできる「一石二鳥」なアクションに、僕はどこか有頂天になっていました。

ただ、冬の寒い朝に起きて「わざわざ鍋を熱してアツアツにして持って行く」という動作に一抹のめんどくささを覚えた朝の1コマ。

ここで「めんどくさがる気質」が出てしまいます。

「そうだ。前夜にスープジャーにブチ込んでおけば、朝の時間に余裕ができるじゃないか?」

なんて自分は天才なんだろう。

自分の才能を呪いたくなるほどでした。

しかし、これほど愚かな発想はありませんでした。

早速ジャーに詰めてリュックに忍ばせること10時間。

お昼前にその悲劇が起こりました。

お腹ペコペコで早くお昼にガッつきたかった僕は、欲を抑えきれずにジャーに手を伸ばしました。

何か酸っぱい異様な(硫黄な)臭いがしたかと思うと、「パンッ!」という朗らかで心地よい破裂音が、冬の職員室にこだましました。

幸い、汁まみれになることは回避できましたが、びっくりした僕は「鳩が豆鉄砲を食らったような顔」で、その場に立ち尽くしていました。

食品に含まれる酵母や細菌等が、ジャーの中で腐敗または発酵して二酸化炭素が発生し、内部に圧力がかかっていたのでした。(ネット調べ)

前夜から鍋をコンロに置きっぱなしにし、「グツグツ煮る過程」を無視していたところ、確かに最近鍋が酸っぱい味がしていたことは間違いなく、僕はどこかそれを「ジャーのせい」にしていました笑。

しっかりと失敗したことで、

「鍋を持って行く場合は、朝にしっかりと煮てから持って行け

という教訓を得ました。

なるほど。

こうして小爆発によって小宇宙が形成されたのかと、おまけでビッグバンについて学べる科学知識講座にもなったわけですね。

失敗から学ぶことはたくさんある。たくさん失敗しよう。

笑い話

僕はこの手の自分の失敗談がとても好きです。

毎回と言っていいほど、友人ができたらこの話をします笑。

自分がお笑いが好きということもあって「すべらない話」ほどレベルの高いものではありませんが、自分をバカにすることほど誰も傷つけない話はなく、よく自分を下げて話をします。

  • 「すずき先生って抜けてるよね」
  • 「ほんとマヌケじゃん笑。確認しなかったの?」
  • 「米も炊けないってどういうこと?笑」

と言ってもらうのが狙いです。

そして「あぁ、この人っておバカさんなんだな」って思ってもらえれば、こちらのものなのです。

「そんなバカやらないよ笑」とクスクス笑ってもらえるのが、僕は嬉しいんですよね。

自分の失敗を隠したがる人がいるのですが、僕はもっと面白い失敗談がないかなって日々失敗を探し、見つけたら逃さずみなさんの前で披露することにしています。

人によっては失敗自体を失敗と捉えていない人もいます。

挑戦し続けていればいわゆる「失敗」というものは付いて回るものですし、それなくしては成長はありえないとわかっているからです。

僕は「命」や「法」にかすらなければ、失敗は必要だと思っています。

そんなもの笑い話に転化してしまえばいいと思っていますし、いっぱい持っておけば話のネタになるからです。

そうやって笑ってもらえる人生こそ、大事だと思うのです。

それもまた、僕の幸せのうちの一つなのかもしれませんね。

失敗を笑い話に転化するクセを持っておこう。様々な場面で役に立つからだ。

おわりに

こういう「自分の失敗談」は、書いていて本当に面白いです。

すでに人生で多くの辛酸を嘗めてきた僕ですが、小さな失敗も笑いに変えれば気楽なものです。

  • ブログで真剣に教育のことを書いたり、
  • 同僚とうまくいかなかったり、
  • 生徒とバチバチやりあったりしてイライラするとき

もありますが、まぁ笑えるよねって思えればそれでオールオーケーなものなのです。

転んでもただでは起きぬ僕に、もう失うものはありません。

唯一の恐怖は、失敗談をしても笑われなくて、ドン引きされたときですかね笑。

これからの人生もたくさん失敗して経験して学んで、笑い話にして人生を笑い飛ばして生きていきたいと思います。

それではまた!

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