こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、サウナに入っていますと、ある番組が流れていました。
ドキュメンタリーチックなN○Kの番組で、池袋のアニメグッズ関連のお店が取り上げられていました。
僕が学生の頃は、
- やれオタクだの
- やれ気持ちが悪いだの
「アニメ好き」に市民権はなく、迫害されていたものです笑。
みんなアニメを見て育ってきたはずなのに、深夜の番組を見ていたりする人に対しては、なぜか気持ち悪がって差別化していましたよね。
時代は変わり、サブカルどころか世界を席巻するまでとなった、メインストリームの日本のアニメや漫画。
今日は「推し活」について書いていきます。
推し活は投資みたいなもの
アニメに限らず、
- 芸能人
- スポーツ
- アイドル
などなど、みなさんにはそれぞれ「推し(=favorite)」があるかと思います。
僕に好きなダンサーさんがいるように、「好き」であるものは無敵であり、無条件に自分の人生を幸せにしてくれます。
「その人にお金を贈る」という直接的なものだけではなくて、
と思うこともあるでしょうし、そうした行為がその「推し」を元気づけ、生活を豊かにしています。
自分の「推し」が豊かになれば、応援している側もまた元気をもらうことができて、実は「win-win」の関係になります。
「その人への投資=自分への元気」
にもなるということですね。
まるでただお金を浪費しているかのようにも見えますが、僕個人としても、
と思うようになりました。
と、「具体的に力になること」もできるため、役に立っていると思えるからです。
彼/彼女、あるいはそのグループや団体が成長していくのを見ては、自分も喜びを感じることができるのですね。
いわゆる「ファン」と言う言葉を言い換えたような、そんな感じではないでしょうかね。
僕は「推しを推している女の子」を見ますと、とても嬉しくなります笑。
人を応援している時って、みんな輝いて見えるからです。
って、そう思うようになりましたね。
人を応援できる性格は素晴らしい
- お金を使い過ぎてしまうとか
- そのことで頭がいっぱいになってしまうとか
あまり行き過ぎた状況にならなければ、僕は「人を応援すること」はとてもいい投資なのかなと思っています。
そして基本的に「人を応援できる人」って、とても素晴らしいんじゃないかなとも思っています。
人間とは妬みや恨みなんかで満たされることがありまして、若かりし頃の僕は、
- 成功している人を怪しんで
- 輝いている人が落ちることを楽しんでいた
という最悪の状況でした笑。
しかし先述した通り、人のことを応援できない人は、心も荒(すさ)んでしまいますし、社会が発展していく恩恵を享受することもできません。
心から人を応援することができれば、それは回り回って自分に返ってきます。
相手からダイレクトに喜ばれることだってあるでしょうし、応援することで自分が頑張るための力になることもあります。
素直に人の成長を喜ぶことができれば、相手との相互作用も生まれ、どんどん「いい関係」が生まれていきます。
僕も人を応援できるようになってからは、逆に人から応援されるようになるなど、いい効果しか生まれませんでした。
心も満たされていきますし、「人から応援される側」になるだけでなく、その人自身も輝くようになるのですね。
僕が「推し活をしている女の子」を見て、
と思ってしまうのは、それだけ彼女たちが輝いているからなのかもしれません。(オスも推し活をしてもいいが、僕は興味がない笑)
それだけ「人を応援している時」は人間、なぜか輝いてしまうものなのでしょう。
スポーツやアイドルにファンがいると、その場が盛り上がってゆくように、
という気概が生まれますしね。
単に「好循環」の中に入っていくことができるのだから、人を応援して損はないのです。
その分また、自分も生活の中で頑張っていけばいい。
ただ、妄信的に応援するのではなく、自分の生活とのバランスを考えながら、頑張るための糧(かて)にしていけばいい。
人を応援できるって、基本的には素晴らしいことなのです。
僕の推し活とは?
僕は特にアイドルやスポーツでの「推し」はいませんが、好きなアメリカのダンサーがいます。
とはいえ、そこにお金をかけることもありませんから、みなさんが描いているような「推し活」はしたことがありません。
一方で、
- サウナ
- 美術館
- コーヒー
といった施設やサービスにはお金をかけるようになり、
- 消費
- 浪費
- 投資
などが、適切にできるようになりました。
そこで僕はふと考えました。
考えた結果、僕は「頑張る人」を応援していた(したい)ことがわかりました。
特に英語もそうですが、ダンスや受験など、頑張っている生徒を見ては「頑張れー!」と応援していました。
今では大人にも英語を教えていますが、ある意味それが僕の「推し活」なのかもしれません。
先生時代には「平等」という言葉を意識していたように、
という気持ちはあまりなくて、頑張っている人全員が僕の推しの対象です笑。
僕が毎日いろんな人に向けて英語の授業をするのは、
という、その気持ちしかありません。
もちろん、僕自身が頑張ることも大切なことですが、やはり「先生」という気質がある以上、知識や技術の提供を惜しみなくしていくほうに、ベクトルを向けていきたいのですよね。
毎日誰かを応援している僕は、実は毎日「推し活」をしているのかもしれません笑。
そうすれば僕自身も輝いていきますし、生徒のみなさんが成長している姿を見れば、さらにこの上なく嬉しくなるものです。
それは決して「頼られたい」という気持ちからではありません。
あくまで「サポート役」に回る側であり、生徒たちが自己実現をしたら巣立っていってもらうのが、先生たちの目的ですからね。
毎日している「推し活」。
だから僕は、以前よりも幸せになったのかもしれません。
おわりに
ふとサウナで見た、推し活のドキュメント。
以前とは違って、それもその人の人生にとって大切な時間であり、尊重されるべきです。
僕にはこれと言った「推し」がいないのですが、生徒のみなさんが輝いているのを見られると嬉しいものですね。
それぞれが推せる人(キャラやチーム)を推していくこと。
これは意外にも、とても健康的な活動なのかもしれません。
みなさんの推しはなんですか。
それではまた!
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