こんにちは。
レジリエンスを読んでいると、フィードバックに関する話が出てきました。
教員あるあるなのですが「自分の授業は見られたくない」「他人に評価されたくない」と思っている教員がとても多いです。
かくいうすずきも見られていると興奮はしますが同時に緊張もしたものです。(変態)
授業中にあんまりふざけたことも言えないですし、いつもの調子でできないことのほうが多いです。
それはみなさんでも仕事上で経験があるかと思います。
そこで今日はそんなマインドを自戒の念も込めてぶっ壊していこうという趣旨です笑。
早速見ていきましょう。
評価してもらうことのメリット
本書に書いてあったことは「真実を抽出すること」という内容でした。
他人からフィードバックをもらうとき、それは大抵が嫌な言い方だったり本人は意図していなくても辛辣な言い方になってしまう傾向があります。
すずきも厳しく評価されたのであれば「なにくそこっちこそやってやろうじゃないか!」と意気込んで相手を潰しに行っていた時代もありました。(おっかない)
それは多くの場合「間違い」であり、そんなやり合いには生産性の「せ」の字もありません。
フィードバックの際にもしかしたら感情が乗ってイヤミを含めて言われることもあるでしょう。
しかしそこにカッとなって反応してしまったら、せっかくの(価値があるかはわからないが)他人からの評価が台無しになってしまいます。
どんなにいけ好かない相手から言われようとも、そこに真実が10%だけでもあればそれを見抜いて自身の糧にしていくべきだと書かれていました。
なるほどまったくその通りです。
「フィードバックや評価 ≠ 人格の否定」という式が成り立つのです。
逆にそこを自らイコールの等式にしてしまうと、相手もそんなつもりがなかったはずなのに勝手に自分自身で傷つくことになりかねません。
つまりこの式さえ頭の中に入っていれば、たとえ他人がぎゃあぎゃあ喚きながらみなさんのプレゼンやら資料やら企画やらを否定的に言っていたとしても、まるで自分が作ったわけではないような顔をして「確かにここが悪いですね」と第三者的な目線で一緒になって評価することができます。
変に傷つくこともありませんし、相手がふっかけてきた喧嘩にも乗らないまま落ち着いて対応ができるからです。
相手の意見がいかに非生産的であっても、それを生産的にとらえられるかは自分次第です。
どんなに頑張って解釈しようとしても「ちょっと何言ってるかわからないな」と思ったらあきらめましょう。そして忘れましょう笑。
もう怖がる必要はありません。しっかりと真実にだけ向き合うようにしていけば大丈夫です。
積極的に評価を求める人は強い
ここからは僕の個人的な体験談に基づくお話ですが、教員であれば世代関係なく「ねぇ、自分の授業どうだった?」とメモをとって聞いている人は間違いなく強いなと感じます。
ひとくくりにして言いたくはありませんが、自身の授業が完璧だと勘違いして「なんなら予備校でもやっていけるんだぜ?俺/私すごいだろ」という先輩教師が後を絶ちません。
ほんと聞く耳を持たないし、全く成長する気が見受けられません笑。
一方でいくつになっても若い人からもフィードバックを積極的にもらい続け、常に自分の授業に対して疑問を持ち、例えばITなど取り入れながらいろいろ試している先生はすごいなぁ、強いなぁと尊敬してしまいます。
すずきはどちらかと言うと前者でした。もうほんと穴があったら入りたい…
つけあがったら人間ダメなんですよね。一瞬でそのピノキオの鼻は現場でへし折られましたけど。
これは授業にも限らず、何においても常に上を目指すっていう意味では共通しており、僕はこうした向上心・謙虚さは好きです。
ただ授業においても、あるいはその他の自分が今行なっていることにおいても、自信を持ってやり抜くということは大切だと思います。
謙虚になるべきところはそのあとフィードバックを受けるときであり、自信なく進行していると見ている側もハラハラして結果的にそこを突っ込まれたりします。
フィードバック時に限らず、何事に対しても謙虚に耳を傾ける人は「この人にだったら何を言っても聞いてくれるんだよな」という印象を与えることができます。
1人で突っ走っていても意外と気づかないことや、第三者の目線でわかることも多いです。
よかれと思って言ってくださる上司や後輩が周りに多いはずですから、積極的に聞いていくことはその人の信頼や価値を高めることにもつながります。
聞く耳を持たない人からは離れる
逆に評価をする立場にある人もいるかと思います。
そんな中でよかれと思って言っても、ハナから聞く気がなかったりうんうんと頷きつつ改善する気がサラサラない人もいます。なんやねんマジで笑。
そういった方々とは「距離を置く」ことをお勧めします。というかみなさん実行されていると思います。
先ほどの裏返しであって、そういう態度の人は信頼を失い、自分の価値を損ねることになります。
どうしても変わってもらいたいという場合は根気が必要です。しかしあくまで他人であるため、無理に改善させようとするのは至難の業だというのが僕の見解です。
ですのでそっと離れましょう。
いつか気づいた日がその人の第一歩です。
すずきもいつまでも耳を傾けられる人であり続けたいものです。
レジリエンスにつながる
そうして常日頃から自身の意見や製品、授業や企画を発信したり共有したりすることでボコボコにタコ殴りにされること数知れずといった状態になるでしょう笑。
しかし生まれた時からしんどい生活を余儀なくさせられている社会的マイノリティの方々は、バネのように起死回生する力を意識的に養っているそうです。
社会という大きなシステムの中で、飲み込まれるほどの大きな波が幾度となくやって来たはずなのに、波が静まったらまた何度も海面に顔を出すサーファーのように波に立ち向かっていく人々がいます。
そうした人々は自身の身の守り方を知っていますし、何度もそうした理不尽な指摘や非難に耐えては乗り越えてきました。
それを聞いてすずきも「いつでも安心安全な場所にい続けるのも、自身の成長につながらないのかもしれないな」と思いました。
ただ、わざとそうした厳しい批判の嵐に飛び込んでいくことが推奨されているわけではありません。
結果的にそうやって自身を強くしてきた方々もいるという一例です。
しかしその一例を垣間見たときに、「学べることもあるはずだ」と感じました。
こうした批判にさらされることが普段体験できるのは本や人との会話なのかなって思います。(若干ズレているかもしれませんが)
今まで自分が正しいとか信じ切っていたことが、死角からボールがいきなり飛んでくることによって一瞬で崩壊することが幾度となくありました。
その度に自分の無知さを知り、学ぶことができ、自身の知識やパフォーマンスを強化することができます。
もちろん、わざわざ自分の授業を見てもらったり、大作と言っていいほどのプロジェクトを完成前にあえて何度もいろんな人に見せて感想を言ってもらったりと意図的な行動でも良いと思います。
僕は普段から学べることが多いのは本や会話だと思っており、様々な人たちと多岐にわたる話題を話し合うのがとても刺激的だと感じています。
これらはフィードバックという大それたものではなくても、自身の考え方や行動を改めさせられる機会となり得ると思っております。
すると考え方や行動に柔軟性が増し、多方面からの意見にも凹むことなくあるいは凹んでもすぐに再起できるような力が身につくのではと感じています。
おわりに
どうしても他人からの評価っていうものは恐いものですよね。
でもそれはひとえに「自分は完璧だ」という勘違いから生まれる恐怖だと思っています。
昔のすずきなんかは、授業を見てもらっている時は戦々恐々としながらも「お、俺の授業って100点だよね?あ、90点でもいいんですけど…」みたいな感覚でした。
「ほんとこいつは一体何を言っているんだ?」と昔の自分に対して言ってやりたいです笑。
今は「僕の授業はまだ成長途中なのでどんどん意見をください」くらいになったのかと思います。
それは自分は「まだまだ未熟者であり完璧ではない」という前提のもとに授業をしているからです。うん、さすが謙虚さがにじみ出ていますね。え?
授業を何年も続けていると、少なくとも数年前の自分よりは改善されていることがわかりますし、あの頃の授業を思い出しては顔から火が出そうなことが何度もあります。
そうやって少しずつ成長するためには、自身の振り返りもさることながらやはり周りの多くの人の助けも必要不可欠です。
すずきも耳を傾けることを忘れず、相手がたとえ年下であろうと経験の少ない若手であろうと生徒であろうと、新鮮な目線からの意見も積極的に取り入れていこうと思います。
それではまた!
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