こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕は人とコミュニケーションをとるのが好きな一方で、その頻度が多いものですから、
- イヤな思い
- ツラい思い
もたくさんしてきました。
しかし「嫌われる勇気」を読んでからと言うものの、そういったネガティブな感情はなくなりつつあります。
これは「自分のことを嫌うのは、相手の課題であり、あなたにとってはどうしようもないことだ」という考え方です。
ここ最近でも、人と関わるのが楽しい一方で、少し疲れてしまったこともありました。
そんな時に僕はどうやって対処しているのでしょうか。
「嫌われる勇気」にある「課題の分離」とはまた別に、僕が考える独特のコミュニケーション論について書いていきます。
何かの参考になれば嬉しいです。
「人=星」理論
大学生時代も、人と関わるのが楽しい一方で、その「摩擦」に悩んだものでした。
人間同士関わっていれば、
- 「自分の発言で相手を傷つけたかな?」
- 「議論の場だったけど、強気な発言で変に思われたかな?」
- 「あの発言にはまだイライラするんだよな!」
- 「あいつ、私のことを一体なんだと思っているの!」
と、こんなことは日常茶飯事ですよね。
僕の周りには摩擦があふれていたものでした笑。
とはいえ実を言いますと、僕は大学生時代に「自分なりのコミュニケーション論」をすでに考え出していました笑。
それは、
「コミュニケーションにおいて、摩擦は必ず起こるものだ」
というものです。(当然のこと笑)
当時「mixi」というSNSで日記を書いていたのですが、その中で「人と人との関係は惑星に似ている」と喩えていました。
人と人とは星同士がぶつかり合うようなもので、衝突は避けられず、それは幾度となく繰り返される。
しかしその衝突の都度、人という星は、大きくなってゆくものなのだ。
学生時代は若いということもあって、もっとトガっていましたし、多くの衝突を経験したものでした。
当時は人との関わり方に、相当悩んでいた時期でもありましたからね。
その中で書いた日記でしたので、「なるほど、これは的を射ているな」と思いました。
僕に限らず、人それぞれ、
- 思考
- 意見
- 想い
- こだわり
- 信念
などを、必ず持って生きています。
それは当然のことであるはずなのに、
- 「それらを侵されまい」
- 「嫌われたくない」
と、ぶつかることを恐れていましたら、「自分という星」はずっと小さいままとなってしまいます。
また他人(他の星)とぶつかったはいいものの、そのまま砕け散ってしまえば、小さいままであるどころか、「もっと小さな星」に成り下がってしまいます。
例えば、他人との衝突の後に、
- 感情的になっている時間
- 自分の中で考えている時間
- 自分が正しいと疑わない時間
- 再び衝突することを避けている時間
などですね。
人と衝突してしまうばかりの人生…
誰もが悩むものですが、一体どうすればよいのでしょうか。
僕は、他人という「星」にぶつかった後、2つが1つとなって一回り大きな惑星となるためには、相手のことを受け入れる必要があると思っています。
「ぶつかって、はい終わり」ではなく、相手のこと(星)を自分の中に取り入れ、自分という星を大きくしてゆくのです。
これは「器が大きい」という言葉に置き換えられるのかもしれません。
器の大きい人(大きな星の人)ほど、
- 小さな星を潰しにかかるのではなくて、
- 小さな星を取り込んでゆける度量を持っている
のだと思っています。
他人とぶつかることを前提として、その後いかに「大きな星」になることができるか。
もし他人との衝突を避けられなかった時は、他人とぶつかった後の対処法のほうが大切なのです。
僕もより大きな星となれるよう、日々他人(星)とぶつかり、大きくなっていきたいと思っています。
摩擦があるから大きくなれる
星同士がぶつかり合うように、どれだけ広い宇宙であっても、人と人とがぶつかることもは避けられません。
- ぶつかってこそ初めて得られる経験があり、
- ぶつかってこそ大きくなることができる
と、僕は思っています。
自分という星を「壊しにかかってくる攻撃的な衝突」は、避けるに越したことはありません。
僕らが一番悩むものは、そうした攻撃的なものではなく、悪くもない関係性の人との衝突です。
そこそこ仲の良い人や、知り合って間もない人との間で、
- ぶつかり合ったり、
- 納得できないことがあったり、
- 言われようのない言葉をかけられたり
した時ほど、悩むことはありません。
しかしそれは、「相手と自分との器(星)の大きさが、ほぼ等しい」ことを意味しています。
- 相手のほうが大きければ包み込んでもらい、
- 自分のほうが大きければ包み込んであげられる
からです。
コミュニケーションにおいて衝突が起きる時とは、すなわち「自分自身の成長の時」です。
僕が大学時代に衝突を繰り返していたのは、
- それだけ自分が未熟で幼く、
- 相手を受け入れる度量がなかった
からです。
しかし、僕はこれらの衝突を経験していてよかったなと思いました。
そのおかげである程度、大きな星になることができたからです。
今でもまだまだ「摩擦や衝突」はありますが、
- より多くの人と関わったり、
- 読書したりすることで、
経験を増やして考えを改め、さらに自分の器を大きくしようと奮闘しています笑。
人との衝突は起こるべくして起こるものですし、同じ大きさの星同士であれば、激しい衝突もあります。
自分や相手の度量によっては、
- 相手の星(器)の大きさに感動することもあれば、
- 相手を包み込むほど自分に余裕がある時もあり、
- 一皮むけるための生産的な議論の場
もあります。
様々な衝突の経験をして、自分の星(器)を大きくしていくことが、コミュニケーションの目的の1つなのかもしれません。
衝突を極端に嫌がらず、自分の成長だと思っていれば、悩むことも少なくなってくることでしょう。
大きな摩擦は減ってゆく
「人間同士に摩擦は生まれるものだ」とはいうものの、摩擦や衝突ではお互いが削れてしまうように、エネルギーを消耗してしまうことのほうが多いですよね。
ただ、経験を積んで自分という「星」が大きくなってきますと、自然と衝突を避けることができるようになってきます。
若い時は、
- ぶつかっては砕け、
- 固まっては大きくなり、
- またぶつかっては砕け…
を繰り返していけばよいのですが、年齢が上がるにつれて自分という「星」が大きくなってきます。
すると、
- 人との「摩擦」の数も少なくなってきますし、
- その「摩擦」自体も小さくなってきます。
もうすでに自分という「星」が大きくなっていますので、
- あえて「小さな星」と衝突して相手を潰したり、
- 自分のエネルギーを大きく削るようなやりとりをしたり
することが、「必要ではない」と判断できるようになるからです。
「不要な摩擦や衝突」はできるのであれば、ないほうが良いですからね。
成長の過程でぶつかり合うことは必須ですが、いつまでもぶつかり合ってしまうようであれば、
- 自分を見つめ直したり、
- 故意に衝突を避けてエネルギーを温存したり、
- 誰かに相談してみたり
することが、まだ必要な段階なのかもしれません。
- ぶつかり合うこと
- 衝突を避けること
の、どちらか極端なほうに振れるのはよくありませんが、「2」の「衝突を避けていく」ほうに移っていくことが、望ましいと言えます。
それは、自分という「星」が大きくなっていることを意味しているからです。
- ぶつかり合うときは生産的に。
- 攻撃的な衝突はできる限り回避する。
- 相手がまだ小さいのであれば、取り込んでともに大きくなる。
コミュニケーションにおいて正解はありませんが、自分が大きくなっていけば、自然とこのような意識が生まれてくるのではないでしょうか。
辛いししんどいけれど、複雑だからこそ、難しいからこそ、人と関わることは面白い。
もし人間関係に辛くなったら、だだっ広い空間に移動して、ゆったりと「浮遊する時間」をとってあげてくださいね。
そうして自分の思考や感情を、整理する時間も大切ですから。
まとめ
今回のまとめです。
- コミュニケーションにおいて摩擦や衝突は起こるもの。
- 摩擦や衝突を経て、器が大きくなってゆく。
- だんだんと、「大きな摩擦」が減るようにしていこう。
人を「星」に例えていたのも、今思えば面白いものですが笑、なかなか本質をついているような気もします。
生きていて辛いことは人それぞれですが、多くあがるのは「人間関係の悩み」だそうです。
僕もたくさん経験してきましたし、今でも悩むことはあります。
ただ人間は社会的動物ですから、人との摩擦は避けられないものです。
- それをどう解釈し、
- どう受け止め、
- どう乗り切っていくのか。
昔も今も、変わらない課題なのです。
しかし確かに言えることは、衝突した後に必ず成長できるということです。
だからいつまでも衝突することを怖がらずに、「ぶつかり合ってなんぼだ」と、割り切ってしまうほうが気楽でいいです笑。
この記事が、どこかの誰かの役に立てば幸いです。
ともに悩み、ともに乗り越えていきましょう。
それではまた!
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