こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
性懲りもなくまた大阪に来ているのですが、やはり大阪はいいところですね。(何回目よ)
さて、大阪だと「るんるん♫」とスキップしながら歩けるのですが(なんで?)、TOKYOだと道行く人々の目が「死んだ魚のような目」であり、なかなかこう気持ちよく歩くことができないのです。
かといって大阪でも、TOKYOと似たような空気はあって、
と思いました。
今日は「僕だけでも楽しく笑顔でいること」について書いていこうと思います。
今の日本から抜け出すために
とグチをこぼしたいわけではありません。
今の鬱屈とした日本を変えていけるのは、明るい笑顔です。
そう思われても仕方ないでしょう。
でもね。
それでも僕は笑顔が1つの解決策なんじゃないかなって、そう思うのです。
確かに、路上でニヤニヤしていたらただの変態ですが笑、
と笑いながら歩いていたらどうでしょうか。
そうやって日本で楽しそうな笑顔を見ることができるのは、いつも夜だけなんです。
みんな酒が入っているからですね笑。
日中はみんなすごく怖い顔をしているか、ものすごく疲れているような、そんな顔ばかりです。
僕は帰国してから、常々そう思っていました。
それは何より、彼らが「働きすぎているから」だと思っています。
この「負のエネルギーが取り巻く社会」から逸脱するには、やはり「正/陽」のエネルギーが必要なのです。
形としてはいろんなものがあるかと思いますが、僕はその1つが、
- 笑顔でいること
- 楽しそうにすること
なのかなと思っています。
実はこうしているだけでも、多くの人が寄ってきてくれるということに気づきました。
- 駅でも
- カフェでも
- 歩いている時も
常に「ポジティブ」を纏(まと)うようにすること。
そうするだけで、この日本から「浮いた存在」になることができるのです。
僕だけでも楽しくあろうとすること
僕は根っからの「あまのじゃく」ですので、
って感じでいけちゃいます。
一人だけ「るんるん」と楽しくしていますと笑、明らかに浮いてしまいます。
でも僕は、それでいいのです。
日本では、「浮く」という状態をとにかくキラいます。
それは何より、
という、他人に依存している考え方が根底にあるからです。
僕は一人の時間も大好きですので、「集団に属していたい」という強い気持ちは、これっぽっちもありません。
それを怖がり始めてしまいますと、もう集団に飲み込まれるだけの人生がスタートしてしまいます。
僕も先生になりたての時は、「それが正しいのだ」と思っていたものでした。
今となっては、
ということを考えています。
そうすればするほど、「自分という商品」の独自性が増すからです。
唯一無二の存在になればなるほど、市場での価値は高くなりますからね。
そういった意味でも一人、駅で「るんるん」と楽しそうにしていることは笑、僕自身が楽しくなるだけでなくて、周りの人にもいい影響を与えるのだと思っています。
他の諸国の人が、日本よりも陽気だったかといえば、実際はそこまで変わりはありません。
世界を見ても全体的にワイワイしている感じはなくて、むしろ僕は世界でも浮いていたくらいでした笑。
こう思わせることって、人を集める上ではとても大切なのです。
もともとは「陰キャ」だった僕ですから笑、そういう「陽キャ」があまりウケないのもわかります。
それでも、「ポジティブな人」に周りの人が寄ってくることは紛れもない事実なのです。
だって人間、楽しいほうがいいに決まってるじゃないですか。
僕が若者たちを好き好んでいるのは、彼らの目は輝いていて、
と、ワクワクしているからです。
だから僕も、たとえ実力や実績がなくても、「ただただ楽しい人」でありたいと、そう思って毎日街を歩いています。
自分から「楽しい」を提供すること
笑顔でウキウキしているのは、何も路上だけではありません。
英語の授業をしていても、基本的には「笑顔」ですね。
と言われることは…ほぼありませんが笑、一応答弁しておきますとそれは「ない」ですね。
僕の場合、無理やり笑顔を作るくらいの関係だったら、すぐに関係を切るからです。
それでも、
と努力はします。
どうしてもネガティブなことばかりを言ったり、グチを言い続けたりする相手ならば、スッと離れていきますけどね。
僕はもともと「陽キャ」ではありませんでしたが、ここ数年では人間関係の改善もされたことで、陽のエネルギーを発するようになってきました。
まずは自分自身を見直して、それから自分を「楽しい人」に寄せていくことは、とても大切なことでした。
それが路上でも駅でも、少しずつ溢れ出てくるわけですね。(自重しろ)
学校の先生をしている時も、会議室を借りては、若手からベテランまで集まって、お茶菓子を食べながら「楽しい場」を提供することを心がけてきました。
他校と合同でダンス部の練習をしたのも、そうした「楽しい場」自体が好きだったからなのかもしれません。
- 楽しい人であり
- 楽しい環境が好きであること
は、多くの人を魅了するようになります。
すると「楽しい人」が周りに集まり、その場はより楽しさを増していきます。
先述した通り、周りの人にも少なくとも影響を与えていくのです。
そういう人もいるかもしれませんが、僕はそうは思っていません。
「普段」そうであることで、いざという時にいつもの「普段」が出るからです。
先生をしていた時も、地元のスーパーで保護者と会いましたし、帰国してからも、数年前に教えていた生徒の保護者とばったり会ったりしました。
そんな時に険しい顔をしていたら、
と思わせてしまいます。
つまり、
- いつ
- どこで
誰が見ているかわからないのです。
今の日本にとっても笑顔って必要だと思いますし、人を引き寄せるという意味でも「楽しい人であること」って必要なのではないかなと思っています。
そのために、道行く時であっても、できる限り笑顔で歩いているのです。
おわりに
鬱屈としている日本。
それは経済的なものかもしれませんし、今までの社会がそうした空気感を作ってきたのかもしれません。
でもだからと言って、そこに飲み込まれていてはいけませんよね。
自ら切り拓いていくこと。
僕はそう思っていません。
海外でも笑顔は大切にしていましたからね。
小さな笑顔から始めて、日本を変えていきましょう。
それではまた!
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