こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、父親の、
- お通夜
- 告別式
を執り行い、父は無事に天国へと旅立っていきました。
たくさん泣きましたが、いつまでもメソメソしている場合ではありません。
僕は特に変わらず、いつも通り授業を行ない、動画編集をこなしました。
昔から「死」については考えていましたが、父の死を持ってより深く考えるようになりました。
今日は「今を生きること」について書いていきます。
悲しいのは僕らだけじゃない
火葬場に行きますと、告別式を終えた家族一同が数世帯、集まっていました。
当然のことですが、僕らの父が旅立つと同時に、世界各国でもいろんな人が亡くなっているという事実が突きつけられます。
享年70歳という若さでこの世を去った父でしたが、もっと若くして親を失っている人もいますし、寿命や病気ではなく、不慮の事故で親をなくしている方や、
という生徒さんにも出会ってきました。
僕らは、不幸やうまくいかないことが起きますと、
と思うことが、往々にしてあります。
でも実は、この世界ではもっとしんどい経験をしている人はたくさんいます。
もちろん、
と、誰かの「悲しみ」と比べているわけでもありません。
それぞれが感じる「悲しさ」とは程度が違くて、どんなに小さなことでも悲しくなる人もいます。
ただ、勘違いしてはいけないのは、
と思わないことです。
これは “いい意味で” です。
悲しくなることもわかりますし、僕もたくさん涙を流しました。
でも同時に、世界各国では毎日いろんなことが起こっています。
そう考えますと、
と、改めて前を向いて進むことができます。
別に他人と比べる必要もなければ、自分たちだけだと思う必要もありません。
少しフラットに見ることで、
と思えるようになるということ。
「悲しいという事実」はそのまま受け取りつつ、もっと広く世界を見てみることですね。
そうすれば、きっと前に進む力が湧いてくることでしょう。
それでも世界は進んでいく
父が亡くなった後の世界でも、僕らの生きている世界は続いていきます。
これが真理であり、まさに地球の残酷さでもあり優しさでもあります。
僕らが遠い世界の国の紛争に何も口出しできないように、逆に僕らの周りで起こっていることもまた、他の誰が知るわけでもありません。
- 僕が大学生だった頃
- 僕が教員をやっていた頃
は、それぞれ「狭い世界」でダンスの公演があったり、英語のキャンプがあったり、あるいは感動の卒業式があったりと、
と思える場面がたくさんありました。
みなさん自身の、あるいはお子さんのハイライトに立ち会うように、世界各国でそうしたイベントが執り行われ、人知れずに感動している人もいれば、悲しみに暮れている人もいます。
それだけ「狭い世界」で感動したり、涙を流したりするのが、僕らの『人生』ということですね。
でも僕は、
と思っています。
変に世界の情勢に耳を傾けていなくても、自分の身の回りで起こる出来事に、
- 泣いたり
- 笑ったり
- 感動したり
すれば、それでいいのではないのかなと。
遠い世界に想いを馳せることはできても、すべてのイベントにおいて「当時者」になることはできませんからね。
- 不幸も
- お祝いごとも
一緒くたに受け取ることはできないからこそ、それぞれの人生が進んでいきます。
父親はインフルエンサーだったわけでも有名人だったわけでもありませんでした。
というか、それが “普通” なのだと思います。
それでも多くの人が駆けつけ、残された僕ら遺族に涙ながらに、
と言ってくださいました。
これだけでも僕は、「父は人生を生き抜いたのだ」と思っています。
ただ、
- 徳を積まなければ
- 自分で自分の誤ちを認められなければ
いつまでも変わることはできずに、人はどんどん離れていき、最期には誰も駆けつけてくれません。
もちろん、それもまた人生ですから、
ということでもありません。
でも、父は綺麗な顔でそこに眠っており、多くの人がお通夜に参加してくれました。
だから僕は、
と、自分を納得させたいがためかも知れませんが、そう思ってしまうのです。
父が眠った後も、僕の “狭い世界” は続いていきます。
それでも、そこでとにかく人のために生きて、豊かな人間関係を築き、最期を迎えること。
また次の世代へと、「想い」を繋いでゆくのです。
現世で頑張れればそれでいい
先ほどの話にもありましたが、父は生前は決して有名な人ではありませんでした。
それでも家族に見守られ、職場でお世話になった、あるいは父が尽力した人たちに見守られ、この世を去っていきました。
父を目の前にして思ったことは、
ということでした。
こんなこと、今の今までも散々ブログで書いてきたのに、やはり近しい人が亡くなって改めて、現実を突きつけられることとなりました。
ここからの考え方は、二択になります。
- だから適当に生きていい
- だから精一杯生きていこう
この2つです。
もちろん、僕は後者のように生きることを選び、ここ数年は毎日を必死で生きるようになりました。
父の死が僕の「生」に拍車をかけるかのように、
と、改めて思ったのでした。
人間誰しも、怖がって躊躇(ちゅうちょ)することなんてしょっちゅうあります。
でも実際にやってみれば大したことはないですし、そのリスクをとれる人こそが、どんどんと先に進むことができます。
父が亡くなった時に思ったことは、
ということです。
至極当たり前のことですが、やはりみんなどこかで、
と思っています。
当然、「生き方」に優劣があるわけではありませんが、それでも「必死に生きること」で後悔のない人生を終えることができます。
父は父なりに、精一杯生きていました。
晩年には散歩をして数独を解いてと、認知症が進行して自分でも何をしているのかわからない生活を送っていたのかも知れません。
しかし、少なくとも僕ら兄妹を育て上げていた若い頃は、「必死に」生きていたのだと思います。
毎日、そればかりを考えながら、
- 誰かのために
- 自分のために
必死に生きる毎日です。
人の人生にはそれぞれの歴史やストーリーがあります。
その中で、自分が主人公となって一生を終えてゆくこと。
僕も気づけば36歳になる年です。
もしかしたら折り返しかも知れないですし、来月には、来年にはこの世にいないかも知れません。
僕の考えは変わりません。
何をしたかという具体的なことよりも、必死になって生きることができた人生なら、僕は本望ですね。
おわりに
亡くなってゆくことを悲しく捉えようと思えば、人は自分を悲劇のヒーロー/ヒロインとして考え、いくらでも「悲しみのどん底」へと落ちてゆくことができてしまいます。
決して正解のない世の中ですが、悲しんでいる間に、いつの間にか自分との肉体との別れが来てしまうことも、忘れてはなりません。
僕は世界一周をしたり個人事業主を始めたりして、本当に良かったと思っています。
人それぞれにはタイミングがありますから、僕はラッキーだったのかも知れません。
状況はそれぞれですが、一口にいえば僕らは「同じ」現世にいます。
さぁ、もう終わりまでのレースはあとわずかです。
みなさんは残りの人生をどのように生きますか。
それではまた!
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