いかにどんな人にも真摯に教えられるかがカギ【教育は基本的に面倒】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

英語を教えていますと、もう「初歩の初歩」から聞いてくる生徒さんもいらっしゃいます。

be動詞ってなんですか?

と。

結論、大歓迎です笑。

先生たちで勘違いしている人もいますが、

  • より高度な勉強
  • 難解な読解問題を教えること

が、教師として大事なことだと思っている人は多いです。

僕はその点も必要だと思っていますが、「どんなレベルでも教えられるか」という感覚はとても大事です。

以前にも「生徒を選り好みしない」ということについて、記事を書いたことがありました。

今日は、「どういう姿勢で教えているのか」について書いていきます。

どんな人にも丁寧に教えることができるかどうか。これが教師として問われている資質だ。

教育は基本的に面倒

教育者として思うのは、

先生ってマジでだるい仕事だよな

ということです笑。

いえ、僕は教えるのがとても好きなのですけれど、確かに、

  • 同じことを
  • 同じように
  • 繰り返し何度も

教えますよね。

学校で複数のクラスで同じ授業をやることを考えれば、みなさんもイメージできるかと思います。

そうなんです。

でも僕は、この「面倒」を買って出ることができることが、大切なことだと思っています。

教育活動とは基本的に、

  1. わかってる人が
  2. わからない人に教える

という構造から生まれているものです。

伊坂幸太郎著『重力ピエロ』にも、そんなセリフが出てきます。

もったいぶるのは、知っている者の特権なんだって

一方で、この理由がゆえに、「王様/女王様」になってしまう人もいます。

なんでこんなのもわからねぇんだよ

と。

再び申し上げますが、教育とはその「面倒」を引き受けられるかどうかがカギなのです。

僕はとにかく教えるのが好きですので、

  1. 毎日同じことを
  2. 違う人(同じ人)に
  3. 繰り返し教えること

を厭(いと)いません。

偉いとかそういうことではなくて、それが教育のあり方だと思うからです。

全く知識のない私に、丁寧に教えてくれました

というコメントを見た時は、嬉しいと同時に、

それが先生ってもんだろ。当然だ

とも思いました。

面倒なことを、勇んで引き受けることができるのか。

その点が教員たちに求められている資質、いや「本質」なのだと思っています。

教育とはとにかく面倒だ。それを積極的にできるからこそ、教育者でいられるのだ。

いかに丁寧に教えられるか

僕は英語の、

  1. 初心者から
  2. 上級者まで

幅広く、分け隔てなく英語を教えています。

いつだって勉学を始めていいし、いつまでも僕が教える

という確固たる信念(スタンス)があるからです。

特に僕は、

「0」から、基本から始めたい

という初心者に教えるほうが好きでもあります。

「わからないことを、わかりやすく丁寧に教えてもらえること」

が、生徒のみなさんが一番に求めていることだからですね。

それはどんなレベルであっても「一緒」です。

レベルが低い(高い)から適当でもいい

とはなりません。

高い人にも高い人なりに「求めているもの」があって、その基準に合わせて柔軟かつ丁寧に教えることが、僕のやるべきことだと思うのです。

僕は昔、

スパッと速く教えられることが全てなんだ!

なんて思っていた時もありました。

でも実際は違くて、

丁寧かつゆっくりでもいいから、適当ではなく正しく教えてもらいたい

という需要が、生徒側にありました。

先ほどの「面倒さ」にも繋がってきますが、丁寧に教えるということは、それだけ時間もかかりますし、

わからない

を繰り返されることもあります。

しかしこれこそが、教育の真髄とも言えます。

あの先生に「わからない」と言うと、バカにされる(怒られる)

こうした「恐怖の感覚」を持った瞬間から、生徒たちは離れていってしまいますしね。

面倒だろうと繰り返しだろうと、丁寧に教えること。

この前提に立てなければ、教育者は務まらないのですね。

特に教師と生徒の構図的に、「わからないことをわかりやすく教えてあげる人」が先生なものですから、その前提を崩さないことです。

僕は丁寧に丁寧に、教えることをモットーにしています。

モットーと言いますか、そこで、

そうなんだ!なるほどね!

という体験をしてほしいのです。

これからも、

英語を始めたばかりで…

という人と出会ってゆくことでしょう。

それでも僕は、永遠に同じことを教えていきます。

「わからない」という経験は、僕自身だって今でも、いつも感じていることだからですね。

わからない人、初めての人にも丁寧に教えてあげることが大事なことだ。そうすることが、先生としてのあり方なのだ。

自己研鑽(けんさん)を怠らないこと

僕は教えることが好きですので、ここで投資や政治についても発信するようになりました。

いかんせん、昔は勉強ばかりしていましたので笑、最近の実践的な学問(経済や投資、政治など)についても、知識を入れて理解するのは人より多少は早いです。

英語に関してもプロフェッショナルとして勉強はしていますから、要は、

何においてもずっと勉強し続けること

が大事だと言いたいのです。

途中で学ぶことを諦めてしまったら、もうそれ以上伸びることはありませんからね。

投資においても、僕は別にプロでもなんでもないですが、

  1. 自分がどう始めて
  2. どういう結果を得たのか

肌で体験しているため、教えることができます。

世界一周に関しましても、これまた別に「世界一周のプロ」ではありません笑。

それでも、体験したからこそ言えることもありますし、少なくとも「海外に出ていない人」よりは経験もあります。(唐突なマウント)

英語に関してもそうですが、教育者とはいつまでも「学習者」と言い換えることができます。

現在は英語よりも他の5言語に注力していますが、なんだかんだで生徒さんたちと一緒に勉強しているため、一日の時間で英語に割いている時間は10時間以上あります。

それくらい、僕自身も学び続けなければ、的確に教えることができないと思っているのです。

英語に限らず、投資や政治についても「丁寧に教えられる人」とは、

  1. 自分の道のりを何度も見返し
  2. ことあるごとにまた学び直している人

ですね。

僕が目指すべきは、「完璧な教師」ではなく『いつまでも学び続ける人』です。

教え方が丁寧なのは、それだけ自分の踏んできたプロセスがあるからこそ。

そして丁寧に教えたいからこそ、

ここはどうなってるんだ?これで本当に間違ってないのか?

と確認し、勉強することですね。

この相互作用をしながら、

  • 教授法も
  • 自分の知識も

何度も塗り直していこうと思っています。

教育者も、いつまでも自己研鑽を怠らないことだ。自分がそのプロセスを経ているからこそ、教えられることがある。毎日勉強していこう。

おわりに

教えることには時間がかかりますし、相手によってレベルも変わってきます。

それでも丁寧に教え、「面倒くさいこと」を買って出るからこそ「仕事」なのです。

これはどの仕事もそうですよね。

  • 人の代わりにやる
  • 人のやりたくないことをやる

一見するとネガティブですが、仕事とはたいていそうした「面倒」を引き受けるものです。

しかし、他人の面倒であっても、自分にとっての「好き」であることもあります。

その「好き」を突き詰めていくことも怠らずに、毎日勉強していきましょう。

それではまた!

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