どうやって僕は寛容な人間になったのか【僕が仙人になるまで】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、大阪に行った際に、縁あって教員である若者と話す機会がありました。

彼はまだ若いこともあって、まだまだ悩み多き20代でした。

懐かしいなぁ〜。僕もこんな風にトガってた時があったなぁ

と思いました。

彼はとても良いキャラクターで、話していて元気ももらえましたけどね。

彼からは、

なんかせいじさんって、仙人みたいですね

と言われて、

まぁ、確かにもうほとんど怒ることもなくなったし、よく言われるよ

と言いました。

マシーンのように冷酷だった男は、仙人へと生まれ変わりました笑。

今日は僕がどのようにして変わっていったのか、書いていきます。

多くの経験が僕を変えてくれた。その経験があったから、今の僕があるのだ。

人を批判するのは未熟さゆえ

若い時に人を批判ばかりしていたのは、自分の未熟さゆえでした。

自分のポジションを奪われないようにするために、人を貶(おとし)める。

僕が若い頃は、周りを傷つけるハリネズミのような、ハリセンボンのような、そんな人間でした。

自分が何か指摘された場合、大抵の人はいい気持ちがしないように、

は?なんでそんなこと言われなきゃいけないの?

と、僕も思っていたものでした。

もちろん、指摘する側にも責任はあります。

攻撃的な指摘をしないようにしなければいけませんからね。

ただ若い頃というのは、「本当に僕のためを思って言ってくれた言葉」であったとしても、

絶対に自分が正しい

と指摘されることを否定し、自分の間違いを認めることを怖がっていました。

つまり「余裕がなかった」のです。

周りが全部敵のように見えてしまう、そんな感覚でしたね。

ずっと教育の畑(個別塾や大学院)にいて、プライドも高かったですしね笑。

人に批判されるのが怖い人間ほど、人を批判したくなるものです。

それはまさに、

自分の未熟さゆえだったな

と、今ならハッキリとわかりますね。

  1. 未熟で
  2. プライドが高く
  3. 人を尊敬していない

という人間だったからこそ、人を批判することでポジションを保っていたのでした。

何かに当たり散らしている人ほど、未熟な人。

イライラしている人は注意したほうがいいですね。

人を批判している人は、自分が未熟だと言っているようなもの。昔の僕もそうだった。

いろんな経験をして初めて大人になる

さて、そんな若者たちに、

イライラするなよ

と言っても、この指摘は即効性のあるものと言えません。

自分の未熟さや足りなさは、本人にしかわからないからです。

それぞれタイミングも違いますから、「言われたらなんとか変わるだろう」というわけでもないのです。

僕はただただ、たくさんの経験をしてきました。

  • 離婚
  • 公務員
  • 大学院
  • 世界一周

など、思い返せば結構いろんなことを経験してきました笑。

また、本も貪(むさぼ)るように読みましたからね。

これは「僕だからできた」のではなく、あくまで「行動に移した結果」でしかないと思っています。

もちろん、ラッキーだったこともたくさんありましたが、やはり最後は「自分」でしたね。

いろんな経験をすればするほど、

なんて自分は狭い世界で生きていたのだろう

と痛感したのです。

この「実感」がありますと、偉ぶっている自分がアホらしく見えてきます。

自分は一体、なんでそんなに批判的だったのだろうか

と。

まだまだ何も知らないですし、今だって毎日が勉強です。

そういった “謙虚さ” が持てるようになりますと、人を批判することがなくなります。

それはなぜか。

余裕」が生まれるからです。

自分はいつでも学ぶべき人間なのだ

と思えば思うほど、指摘されることも受け入れられますし、人を批判しなくなります。

なるほど。そういう考え方もあるのか!ふむふむ

と、下手(したて)に出て相手を尊敬するようになり、人の意見を参考にします。

ただし先述した通り、

  • 思想を押し付けてくる人
  • 攻撃的で批判ばかりしてくる人

などとは、関わらなくても大丈夫です。

それらをなんでも受け入れてしまいますと、疲弊してしまうからですね。

アドバイスと攻撃的な批判は、全く異なるものですからね。

自ら人を批判しなくなりますと、寛容な人になることができます。

柔らかい印象を持たれるようになり、人も寄ってきます。

ただし「経験」を振りかざしてはいけませんけどね。

あくまで自分がしてきた経験から、いかに自分が無知だということを知ることができるか。

これが大事なのです。

多くの経験をするほど、自分の無知さに気付かされる。そうすると自然と謙虚になれるのだ。

自分が正しいわけではないと再確認

自分は知らないことばかりだし、間違っていることもある

そのように考えてから、人を批判しなくなった僕は、

  • 自分の生き方
  • 確固たる信念
  • 今までしてきた経験

などを、逆に自分の経験ベースで語ることができるようになりました。

その根底には、

自分は間違っちゃいない

という「強い我(が)」があるのではなくて、

こういう考え方もあるけど、たくさん考えてきた僕からすればこう思う

ということが、言えるようになったということです。

柔軟性のある考え方を持っている人、つまり「どちらもわかっている人」であることで、

この人の意見を聞いてみたい
この人なら頭ごなしに否定してくることはないだろう

と思われるようになります。

僕はいろんな人といろんな価値観、いろんな人生観について話をしますが、いつでも「実地経験」を大切にするようにしています。

「仙人のようだ」と言われるまでの僕は、本当にしょうもなかったですし、適当に人生を生きていました。

しかし「行動」に移し、

  1. 自分の目で見て
  2. 自分の体で経験した

ことで、「生きた内容」を伝えられることができるようになりました。

僕が毎回言うことは、別に正しいことだとは思っていません。

ただ、

  • 実体験に基づいていたり
  • 実際に自分で本を読んだり

して得た経験や知識なので、生々しくてリアルであるとは思っています。

だから説得力を伴うようになりましたし、話していて「仙人っぽい」のだと思います笑。

  1. 実体験をベースにして
  2. ブログでアウトプット(反芻)

をしますと、ほとんどのことについてすぐに返せるようになります。

実体験の中には「読書」「又聞き」もありますが、自分なりに考えておけば「自分の意見」として伝えることもできるのです。

特に自分が困ったこと、ツラかったことは、今の若者たちに特に響くのだと思います。

「少し先」を行っているからでしょうかね。

せいじさん、まるで明日死ぬかのような人ですよ笑

そうですね。

僕はそうやって生きていますから。

その覚悟や想いは、人それぞれでいいとは思っていますが、

明日が当たり前にある

と思っている人よりは、必死に生きている自信があります。

再度言いますが、僕の意見は決して正解ではありません。

ただ、

  1. 多くを経験し
  2. 多くを受け入れ
  3. 多くの人を愛すようになった

からこそ、今の僕は以前よりも仙人らしくなったのかもしれませんね。

自分が正しいとは思わなくても、ちゃんと自分で考えて自分の言葉で話すことだ。それが自分を作り、寛容で柔軟な人間へと成長させてくれるのだ。

おわりに

僕がこうなれたのは、本当に様々な経験があったからでした。

若い頃の自分には目も当てられませんが笑、いろいろ経験してきた人は、見ていてさすがだなと思うことが多いです。

結果論でもありますが、一方で自ら取りに行った経験もありました。

だからみなさんにも、みなさんなりにできる経験があります。

決して仙人を目指せとは言いませんが、きっと「幸せな生き方」に繋がると思いますので、参考にしてみてくださいね。

それではまた!

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