こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、実家に帰って久しぶりにテレビをつけたら、園児が熱中症で亡くなったことが報道されていました。
僕はずっとテレビを見てなかったので、
と残念に思いつつ、
とも思って見ていました。
- ずっと同じことを報道して
- ずっと同じ人の過ちを責めて
いる姿に、がっかりしました。
「事故への対応策」にも違和感を覚えました。
対策はいろいろあるかとは思いますが、ヒューマンエラーは必ず起こるのだから、
と思って見ていました。
今日はメディアについて、僕が授業で生徒たちに語ったことも含めてお伝えしていきます。
ニュースはほぼ見る必要がない
テレビを「売る/売らない」という時期に、メディアに関してはいくつか記事を書きました。
テレビを売ってしまいましたので、最近の事件も事故も知りませんでした。
昔から「ニュースは見ておけ」と謎の圧力をかけられていましたが、今はなんてことはありません。
見る価値があるものなんて、ほぼないと思っています。
- そのニュースを見たところで
- その内容を知っていたところで
自分の人生に何の価値も影響もないからです。
語弊があると良くないのですが、ためになる番組や素晴らしい企画もあります。
と全否定するつもりはありませんが、今はテレビを見ないことで幸せになりましたので、僕にとっては最適解だったのかなと思っています。
できることなら、
- 事件
- 事故
のニュースからは距離を置くべきです。
その情報にさらされているだけで、心がどんどんネガティブになってしまうからです。
コロナ禍の僕は、毎日テレビの前に張り付き、炎上やネガティブニュースを待っていました。
まるでエサを待っているような、そんな荒(すさ)んだ心の状態でした。
特にメディアは、
「炎上やネガティブニュースによって人を惹きつけ、広告を見てもらう」
という手法を用いています。
「いつまでも変わらないやり方」に呆れたこともありますし、何より価値を見出せなくなってしまいました。
と生徒たちにも言い放ちました笑。
- 心も貧しくなるし、
- 時間も無駄にする。
もう時代は変わったのです。
ずっと同じ人や団体を叩く
メディアの宿命なのかもしれませんが、メディアはいつも同じことを報道しています。
それ自体が悪いことではありませんが、「何か過ちを犯した人」をHPが「0」になるまで叩こうとします。
もちろん世の中では、
- 人の命が奪われたり
- 凶悪な犯罪が起こったり
することもあるでしょう。
しかし僕らは、その報道を見て一体何をするのでしょうか。
一緒になって怒ればいいのでしょうか。
正直、同じことを自社内でやられたら、自分の会社をどう思うでしょうか。
こんなのもう、「いじめ」でしかありません。
そしてさらには、
- 同調するかのようなゲスト陣
- SNSでの批判コメントの嵐
と「負の連鎖」は、驚くほど急速に国民の精神を蝕(むしば)んでいきます。
僕は現在の(日本の)メディアは、病気を抱えていると思っています。
とはいえ、僕も以前は「そっち側」の人間でしたけれどね。
今となっては、そのようなニュースを見るたびに、
と思うようになりました。
この「人を叩き続ける文化」には、生徒たちも違和感を覚えており、辟易(へきえき)しています。
- 面白くない
- 叩いてばっかり
と感じ、見る気をなくすそうです。
国民の注目が集まれば、何をしてもいいのでしょうか。
僕は違うと思っています。
だから僕らができることは、そういうニュースを選んで見ないことです。
おかげさまで、僕は毎日とても幸せになることができました。
今までいかにメディアに毒されていたのか。
現在はしっかりと「毒抜き」がされたようですね笑。
人為的なミスは、システムを変えない限り取り除けない。
これは以前にも書きましたが、何でもかんでも「点検数やチェック数を増やすこと」でミスをなくそうとするのは甘すぎると思っています。
ヒューマンエラーを舐めないでいたただきたい笑。
今回の事件に限らず、人間はミスをするものです。
- 疲れていた
- うっかりしていた
- 眠くてボケていた
人生でこのようなミスをしたことがない人に、僕は出会ったことがありません。
とは、誰にも言わせません。
僕らは機械ではないのですから。
ミスや間違いを「正当化」するつもりはありませんが、それにしても限度を超えているような気がしています。
実はこのことが、「叩くこと」と関係してきます。
「叩くこと」は、完全にヒューマンエラーの部分についてのことが多いからです。
本当は、改善すべきは「人」の部分ではなく、
- 環境
- システム
であり、メディアにはその点を議論してもらいたいのです。
それなのに、
と取材されている人がいて、僕は呆れてしまいました笑。
人間のチェックを何重にもしたところで、ミスをする時はミスをします。
その前提に立たないから、人のことを叩いてしまうのです。
そう思うのは軽すぎるでしょうか。
その人に悪気がなければ、人間の行動なんてそれくらいの感じで、誤っている側の人を「情状酌量」にするのがいいと思っています。
それは、自分がミスした時に言い逃れをするためではありません。
誰に対しても「ミスなら仕方ないよね」という態度で接することができますし、お互いの失敗を認め合うことができるからです。
職場には「ミスをする人」もたくさんいます。
以前の僕なら、
と強く怒っていたものでした…なんという狭い心…
今は、
と、ある意味「システムのせい」にするようになりました笑。
でも本当のことなのです。
ヒューマンエラーは避けられません。
それなら、環境やシステムを変えていきましょうよ。
そうやって、メディアでも周りの人との関わりでも、他人を叩かずにいられる世界になることを願っています。
おわりに
と思って生きていますけれど、おかげさまで本当に毎日がハッピーです。
しかし否定的/批判的な人はまだ多くいます。
実はそれは、テレビの影響でもあるんじゃないかと思っています。
僕もそんな人にならないよう、そんな大人を増やさないよう、これからも生徒たちに伝えていこうと思っています。
それではまた!
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