日本の教育は破綻しているのか?【大切なのはスキルじゃない】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

僕が教員を辞めようと思っている理由はいくつかありまして、

  • いつまでも変わらないムダの多さ
  • そもそも教育が福祉的役割になっている
  • 学校現場のスピードの遅さ(原始時代かと思う)

などの理由があるからです。

だから「教育それ自体」を辞めるつもりは一切なく、自分で新たに開拓していこうという試みです。(たぶん最初失敗します)

先日教員の同僚と、我が校の教育方針や若手教員について話し合いました。

「今の日本の教育がいかに遅れているか」

をディスるというわけではなく、教育の根本から見直していきたいと思い、筆をとった次第です。

今日はまた教育について、熱く語っていきます。

教育は結局「人と人」「心と心」の繋がりであり、小手先の技術なんかじゃない。

教育において一番大切なことは「信頼」

同僚と教育の話をしていた時に、最近の学校の研修についてこんな疑問が湧いてきました。

なんか授業の方法だとかノウハウだとかさ。そんな研修意味ないよな

僕は教育における「信頼」について、多くの記事を書いています。

つまり、生徒に勉強を教えるにしても、

その先生が信頼に足る人物かどうか

が最重要事項となります。

むしろこれなしには授業は成り立ちませんし、逆にこれさえあれば、ある程度の能力の足りなさはカバーできます。

逆の立場に立ってみれば簡単な話で、

どうもこの人苦手なんだよなぁ…

という人の話を、みなさんも聞こうとしませんよね。

それと一緒です。

もちろん、教える技術があるかどうかも前提として必要なことではありますが、生徒との信頼関係が築けている先生は、どんなに技術が足りなくても、

この人なら教わりたい!

と思うものなのです。

「授業の技術の研修なんてなくてもいい」

とまでは言いませんが、そんなことをする前に前提をわかっていない先生が非常に多く見受けられます。

  • 校務の仕事
  • 授業の準備
  • ホームルームの準備

などもこなさなければならないのはわかりますが、一番大切なのはコミュニケーション能力や対話力など、「相手を理解しようと努める力」です。

生徒1人1人と対話した時に、生徒は先生の話を聞いてくれるのか。

この人に言われたらさすがに気持ちを改めないとな…

と思わせられる人物でいられるのか。

「口だけで行動は伴っていない」

そんな状態じゃないだろうか。

人間力を鍛えるような研修をやったほうが、よっぽど日本の教育はよくなっていくのではないかと思っています。

生徒と対話した時に、「この人なら」と思わされる先生であるか。それなしには授業も指導も始まらない。

人間力・対話力を磨こう

20〜40人に対して授業をするというのは、なかなか簡単なことではありません。

集団心理も働き、ちょっとガヤガヤすれば連鎖反応的に「負」のエネルギーは広がります。

ましてや生徒は「聞き分けの良い大人」ではありませんので笑、統制するのにも一苦労です。

だからこそ、

授業がうまいかどうか

に固執する必要は、もうあまり意味がないと思っています。

もちろん、

  • 面白い授業をしたい
  • 生徒が楽しく学べる機会を与えたい

という想いを持ち続けることは大切であり、先生という「教えるプロ」であるからには、そのような姿勢を維持しなければなりません。

そこで僕は、いろいろ考えた上で結論づけました。

新人に向けて行なう、あるいは若手を育てるような研修では、

  • 生徒との信頼関係の築き方
  • 人間としての魅力の磨き方

など、もっと教育者としてのあり方を考えるものが多いほうがいいと思ったのです。

どうしても、

  • 英語の教え方
  • 生徒の評価の仕方
  • 英語を身につけさせる方法
  • どうすればスピーキングテストを実施できるのか…

など、現代の研修はスキルやノウハウに特化しがちです。

そんなもの、研修でやらなくても自分で研究すればいくらでも資料は出てきますし、生徒を前にしながら現場で実践していくほうが圧倒的に成長スピードが速いです。

生徒が欲しているのは「信頼に足る先生」であり、人としての魅力がある先生です。

僕のようにあまり魅力がなくとも笑、

  • なんとかして楽しい授業をしたい
  • とにかく生徒の成長を褒めてあげたい
  • 人としての魅力を常に磨いていきたい

と言った、英語などの専門教科「以外」のところで、成長しようとする向上心を持つ先生でありたいのです。

スキルうんぬんの前に、人として「魅力・厚み・信頼」のある先生であること。

そのために、

  • 生徒に傾聴し、
  • 生徒と同じ目線に立ち、
  • 生徒の存在を認めてあげられる人

であること。

「教育」の根本とは、教科の専門性ではありません。

生徒と本気でぶつかれる、熱い想いを持った根性論や精神論、そして話をすることができる対話力が必要とされているのです。

教育の根本は、教科の専門性ではない。生徒と対話し、信頼を獲得できる力を持っているかどうかのほうが大切だ。

日本の教育は変わらないのか?

いつまでも教育が変わらなければ、日本はどんどん悪くなると思っています。

最近痛ましい事件が多いのは、経済的な問題もあるかもしれませんが、僕は教育も1つの原因じゃないかと思っています。

教育環境の整備においてだけでなく、教育理念や社会の変化のスピードに、日本の教育は追いつけておらず、教育現場は「陸の孤島」状態です。

現場にいる僕が言うのですから、間違いありません。

確かに少しずつ変わってきている部分もありますが、まだまだと言ったところ。

やはり教育の真髄は「人と人」との関係性の問題であり、教育の根本は「心」にあると思っています。

生徒や保護者との対話の中で培われていく信頼関係。

この部分をいかに大切にしていくかが課題であり、毎日大人数を相手に「ただひたすらに授業をこなしていればいい」というものではありません。

いつまでも変わらない教育環境が続いているから、先生たちも生徒たちも考え方がガラパゴス化していきます。

リアルな社会とのギャップを感じれば、生徒保護者から不平不満も生まれてきます。

「精神的な/哲学的な教育をしろ」というような意味ではありません。

しかし国として、どこかで教育を抜本的に変えなければ、未来を担う若者たちの将来は暗いものとなってしまいます。

そうしないためには、先生一人一人の意識を変えるだけでなく、国全体として変わっていくことが早急に取り組まれるべき課題です。

だから僕は、日本の将来を憂いているだけでなく、次のステップへと歩を進めることにして、動き出していきます。

日本の教育は変わり始めている。しかしとても遅いのが難点だ。教育は心と心の対話である。生徒たちのために、先生たちが明るい未来を創っていこう。

おわりに

教育の根源とは、精神論でなんでも片付くものだといいたいわけではありません。

ただ、最近の教育は表面をなぞることばかりを考えすぎている気がします。

  • 保守的
  • 授業方法
  • マニュアル

など、どれをとっても生徒と心で対峙し合っているとは思えません。

デジタルは普及しても、生徒と先生のやりとりはいつまでもアナログですし、人間の感情や信頼は、技術やスキルでどうにかできるものではありません。

  1. 丁寧に心を交わし、
  2. 信頼を積み上げて、
  3. 熱い気持ちを持って接していく。

1つ1つ、生徒の未来のために積み上げていくしかないのです。

日本の教育はまだまだ課題がありますが、不平不満を言っていてもどうしようもありません。

僕にできることを考えて、誠心誠意取り組んでゆくのみです。

もっと教育の本質に届くような、そんな教育を目指していきます。

それではまた!

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