こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
1年前からランニングが生活習慣の一部となり、1月〜2月にかけては体育の授業で生徒たちとともに3.25㎞のタイムアタックをしています。
1㎞あたり4分を切るスピードで走ることができています。
さて、最近では、
- ダンスの練習会に参加してみたり
- 同僚をサウナに誘ってみたり
と、「脱ひとり化」を目指しているすずき。
人と一緒に楽しいことをすることに、さらなる幸せを見出した僕は、少しずつ同僚を「ランニング」へと誘導し始めました笑。
「英語科ランニング部」として発足しましたので笑、続くかどうかは別にせよ、「誰かと一緒に体験する楽しさ」をお伝えしていこうと思います。
同僚を誘った結果
僕は「ひとりで何でもやってしまいたい人間」ですし、ひとりでいるほうが楽にコトが運ぶので、コロナ禍の力も手伝い、いそいそとひとりで運動やサ活を続けていました。
しかし、コロナが落ち着いていた時期に、
- 人と再会して
- 一緒にご飯を食べたり
- 一緒にサウナに行ったり
- 一緒に踊ったり
したことで、本当の意味での幸せを感じることができるようになってきました。
「ひとり」だと、ものごとを楽しむのにも限界があると感じたからです。
そこで、ひとり孤独に走っていた僕は、生徒たちの「体育の持久走」を良い機会と捉え、一緒に「ガチで」走ってみました。
もちろん僕より速い生徒は何人もいますが、大切なことは「先生もまだまだイケるぞ」ということを伝えることでした。
さらに英語科に若い新人がいましたので、
「よし、次の時間、一緒に走りに行くぞ」
と誘ったところ、「ぜひお願いします!」とのってきてくれたのでした。
こうしてさらにひとり…またひとり…と増え、体育の時間に走っている先生が数名出現するという奇妙な事態が起きました笑。
余談ですが、こうして生徒と一緒の目線で先生達も何かに取り組むという行為は、僕は好きですし、とても大切なことだと思っています。
すると「英語科の母」的存在である先生が、「私も一式ランニングの服と靴を買いましたので、一緒に走らさせてください!」と手を挙げてきたのです。
こうして放課後、マスクをしながらではありますが、
- ジョギングから始まり
- 若い衆とは少しガチ目に走り
- 体育では生徒とガチで勝負する
というなんとも面白い光景を目にするようになりました笑。
それぞれの走り方で全然問題はありませんし、むしろ僕はみんなで一緒に運動することができて、とても幸せです。
何より、自分の続けてきたことを一緒に語り合うことはとても楽しく、非常に満ち足りた気持ちにもなりました。
本当に良いと思うことを伝える意味
同僚を誘って「サウナ部」ができてしまったように、
- 僕自身が先陣を切って(ひとりで)体験し、
- 本当にいいな、馴染んできたなと思ったものを、
- 近しい人たちに提供する。
これが本当に面白くて、仕方なくなってきてしまいました。
ブログで書いていることのほとんどは、自分がやってみて本当に価値を感じられたことだと思っています。
ランニングに関しても、一緒に走っていたはずの同僚が次々とやめていく中、ずっと愚直にひとりで走り続けた結果、
「ランニングはいい。頭の中もすっきりするし、汗もかけるし、何より健康にいい」
と、自分が確かなメリットを感じることができたため、改めて他の人に勧めてみたものでした。
- 僕の体つきを見てなのか
- 一所懸命走り、汗だくで帰ってくるのを見てなのか
はわかりませんが笑、「なんか良さそうだぞ?」と周りが自然と思ってくれたこともあって、こうして一緒に走るまでに至りました。
経験の共有化で自分も幸せに
- サウナも
- ダンスも
- ランニングも
- 美術館も
- カフェも
そうですが、やっぱり人と同じ経験を共有することはウキウキしてしまいますね笑。
同じ内容を経験しているからこそ、
- 「うん!なんか走った後にスッキリした!」
- 「ものすごい汗かいた…これなら続けられそう!」
- 「とても気持ちいい。また今度一緒に走りましょう!」
と、話も盛り上がりますし、体の変化や自身の感じたことをみながみなそれぞれに話しますので、十人十色の感じ方を聞くことができ、聞いているこちら側も楽しくなってしまいます。
趣味や共通の話題で盛り上がることももちろん楽しいのですが、経験を一緒に共有することほど面白いことはありません。
- 「そうそう!頭の中もスッキリするんですよね!」
- 「軽いジョギングなら、寒い中でもできますしね!始めやすいですよね!」
- 「冬の寒い日も気持ちがいいんですよね。また走りましょう!」
と、それぞれの感じ方に呼応することができるのです。
僕が勧めても、もちろんフィットしないこともあるでしょう。
それでもひとたび一緒にやってみますと、それがフック(とっかかり)となって、コミュニケーションも生まれますし、僕が続けている限りいつでもまた一緒に走ることができるのです。
周りが幸せになることで自分も幸せに
また「価値あること」を勧めたことで、周りのみんながどんどん幸せになっていく姿を見ることができました。
「幸せを求めていた自分」にとっては、今回一緒に走ることができたことで、えも言われぬ感情が込み上げてきました。
特に「健康に気を使うこと」によって体を動かし始めたり、食の知識を仕入れたりしていたことで、
- 普段は座りっぱなしで運動をしていない先生
- 健康に今まで気を使ってこなかった、太り気味の先生
- 仕事ばかりで楽しくなさそうな先生
を巻き込み、僕が徐々に幸せになっていったように、彼らも見違えるように変わっていったことが(先生という職業柄かもしれませんが)、何よりの幸せとなりました。
- 誘うこと
- 勧めること
は、以前の僕は「別にやらなくてもいいこと」だと思っていました。
誘った結果、あるいは勧めた結果、
- 「なんだよ、大したことないじゃん」
- 「別に面白くなかった」
- 「興味がわかなかった」
と言われるのが恐かったからです。
でも今は「それを決めるのは本人だ」ということに気づき、とりあえず勧めてみたり、一緒になってやってみたりすることだけはしてみています。
結局「ランニングっていいのねぇ」と言われましたので、嬉しい限りですね笑。
「自分ひとりで蓄財すること」に限らず、こうした情報や経験を友人知人にお勧めして共有していくこともまた、回り回って自分の幸せになるのだなと再確認しました。
必要なのは「人を巻き込む力」
僕は何度も申し上げている通り、
- 陰キャで
- ひとりが好きで
- 「地味に堅実に」をモットーに
生きてきた人間でした。
しかし、
- オープンな職場を始めとして、
- 運良く投資やサウナ、ランニングなどを勧めてくれた同僚・友人たちと出会い、
- 自身も体験することを怖がらずに続けたことで、
自分の「幸せになる行動」を、周りと共有することができるようになりました。
もちろん以前にも、ダンス初心者の同僚の先生を誘って、最終的には舞台で一緒に踊るところまでやったこともあります笑。
ただその当時は「周りを巻き込む」という感覚はまだ培われておらず、その「芽」が出始めていたばかりでした。
そこから徐々にではありますが、
「みんなで一緒に楽しいことをしたほうが面白いんじゃないか?」
という発想が生まれてきて、
「それならバキバキに行動している自分が企画立案をし、一緒に楽しんじゃえばいいのではないか?」
という考えになりました。
「サウナ部」や「ランニング部」などはほんの一例ですが、こうしてみんなを巻き込んで幸せになっていく「雪だるま方式」は、幸せの複利も働くようになるということに気づきました。
ただ一方で、
「誰かが始めなければ、みんな黙ったままだ…」
なんと悲しいことかな、そうした事実に気づいたこともありました。
だからなのか、自分が開拓者となるべきだという「謎の使命感」を引っさげ、失うものは何もない30代が、職場の雰囲気を変えに取り掛かったというわけですね笑。
別に「自分が中心になって回しているのだ」という優越感は全く感じません。
むしろみんなで楽しく和気あいあいとしている職場に、幸せを感じています。
そうするとまた、自然と人が寄ってきます。
僕は十中八九「鬱陶しいキャラ」だという自覚すらあるのですが、別にそれでもいいです。
みんなを巻き込んで楽しくやってしまえば、僕の勝ちだからです。
おわりに
だんだんと、またその行動力を武器に「幸せの輪」を広げにかかる30代。
実は冬場ということもあって、一緒にランニングするまで、先生達の重い腰はなかなかあがりませんでした。
ただ、僕は僕として淡々とランニングを続けていたこともあり、周りの先生方が声をかけてくれるようになりました。
- 「すごい汗!また走ってきたの?」
- 「生徒達が『あの先生速い笑』って言ってましたよ」
- 「さっき一緒にグラウンド走ってましたよね?!」
何かを続けていますと、見ている人が必ずいます。
これは「正しく評価してくれる人」という意味ではありません。
純粋に「なにしてるんだろう?」「面白そうだな?」という、好奇心から寄ってくる人たちです。
これほど強いオーディエンスはいません。
みんな、楽しく生きていきたいし、誰かが始めてくれていれば乗っかりたいなと思うものなのです。
だから僕は、新しいことにチャレンジしてみたり、ずっと続けたりしていけば、本当に「価値のあること」が周りに伝播し、一緒に幸せになれると信じています。
「行動力」は自然と「求心力」まで付与してくれるようです。
さぁ、また一緒に走ってくるとしますかね。
それではまた!
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