できないことができるようになってくると楽しい【僕の言語学習記】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

  1. 韓国語
  2. スペイン語

を少しずつ進めていて、徐々にですが簡単な表現が出せるようになってきました。

韓国語は、YouTubeで「瞬間韓作文」っぽいものを見つけましたので、

日本語 → 韓国語

に直す練習をしていますが、まだまだパッと出てきませんね。

でも少しずつ練習していたことで、徐々にシナプスが繋がってきたと言いますか、

なるほど、こう言えばいいのでは?

というのが当たるようになってきました。

これも勉強の賜物(たまもの)ですね。

今日は「できるようになること」について書いていきます。

勉強でもダンスでも何でも、「楽しい」とはできるようになった時だ。

「楽しい」とは?

僕が思うに「楽しい」とは、

「できなかったことができるようになること」

だと思っています。

特に勉強が好きだったのは、

勉強すればそれが評価される。結果が出る

と理解していたからです。

簡単な小テストでも、

  1. どんな手法であれ
  2. とにかく時間をかければ

高得点を獲ることができました。

数字だけを追い求めることは、時にディスられることもありますけれど、ある意味「自分への正当な評価」としてみれば、別に悪いことではないと思っています。

だから僕は、勉強がとても好きだったのです。

特にスポーツも得意ではありませんでしたしね笑。

「誰かに何かを評価されること」は、昔から人間が好んできたことでした。

  • 学力でも
  • 仕事でも
  • スポーツでも

数字でマウントを取ることは無意味かもしれませんが、何か目標に向かって頑張ることは、その人にとってとてもいいことなのは間違いありません。

どんどん「できなかったこと」が「できるようになってくる」のは快感ですし、できるようになってくれば、世界が広がっていきます。

何事も最初は「基本」や繰り返しばかりで、心が折れそうになることもあるかと思います。

ただ、それはある意味「避けて通れない道」であって、何においても「積み上げ」は必要なのです。

長くやっていれば慣れてきますし、頑張っていれば成長もしてきます。

そうやって、

  1. いろんなことができるようになり
  2. 視野(世界)が広がってゆくこと

が、僕にとって、いや誰にとっても「楽しい」ことなんじゃないですかね。

「楽しい」とは、できなかったことができるようになることだ。

履き違えないこと

中には、勉強に限らず「楽しいこと」を勘違いしている人もいます。

  • みんなでワイワイやる
  • とにかくふざけてでも楽しければいい
  • できるかできないかではなくて感覚の問題

など、「楽しい」の意味がどちらかというと「面白い」のような方向へ向かってしまっている人もいます。

確かに「楽しい雰囲気」は大切ですが、だからといって「成長しなくていい」ということにはなりません。

えー。真面目に勉強するとかいいからさー!楽しくやろうよー

という人を見ますと、吐き気がします笑。

それは「楽しい」ということではないからです。

そうやって履き違えている人ほど、成長できずに途中でドロップアウト(=脱落)していきます。

適当に楽しければいい

と思っているため、真剣に「成長したい」と思って勉強している人に、ついていけなくなるからです。

英語なんかは特に、

  • 昨日話せなかったことが今日話せる
  • 先月話せなかったことが今月話せる

といったように、やればやるほど(ある程度間違っていなければ)結果がついてくるものです。

逆に問いたいのは、

できるようにならなくして、その学習や練習は楽しいか

ということ。

みんな成長したいから学習しようと一所懸命になっているのに、そんな場で「面白ければいい」という気持ちだけですと、一体何をしに来ているのかさっぱりわかりませんよね。

意外にも、そうしたスタンスでいる人は少なくないです。

適当に続けている人の中にも、

何となく楽しいから

という人もいらっしゃいますけど、やっぱり、

ちょっと違うんじゃないかなぁ

とも感じてしまいます。

  1. できないことができるようになっていくこと
  2. それが仲間と一緒に切磋琢磨できているということ

これがやはり、「勉強」や「練習」における一番大事なところなのではないかなと。

履き違えることなく、成長することを目的として、一緒に勉強していきましょう。

仲間や先生との雰囲気が「何となく楽しい」と思うことが「楽しい」と勘違いしないことだ。成長するから楽しいのだ。

何年もかけて熟成させる

僕の英語もダンスもそうですが、

何年も費やしてこのレベルに行っている

ということを、みなさんにもお伝えしなければなりません。

また「教える」という立場ですから、僕だってずっと頑張らなければならないわけですよね。

適当に続けてきたけど、それでもなんやかんやで今がある

という「プロの人」は、誰一人として見たことがありません。

今でさえ、僕は「新たにできること」がアップデートされていく毎日です。

それくらい、「何年もかけること」は大大大前提であって、

明日にはできるようになっているといいなぁ

なんてことはあり得ません。

現在学習している他言語も、

  1. 明日にはもっとしゃべれるようになってはいたいが
  2. 実際はこれから何年もかけてしゃべれるようになるだろう

という感覚があります。

仮に、

せいじ、今から〇〇を始めてみてよ

と言われたら、それが好きであったとして続けようとしたとしても、

すぐにはできるようにならないから、数ヶ月〜数年くらいくれ

と言うと思いますね。

それは決して、怠けていてそういう発言をしているのではなくて笑、

普通に考えて、そんな簡単に身につくものではない

とわかっているからです。

もちろん、多少なりともできるようになるには、数ヶ月単位でできるようになるものもあるかもしれません。

それこそ、センスのいい人はすぐにコツを掴むことでしょう。

ただ、本当の意味で「モノにしていく」のには、どんなにセンスのある人だとしても、圧倒的な「」が必要なんですよね。

これは決して、

出たでた。完璧主義の典型だよ

と言われるようなことだとも思っていません。

だって、何においても「それ相応を目指すこと」には時間がかかるものだからです。

どんな天才だってプロだって、そのものごとに必ず「時間」をかけています。

その「当たり前のこと」に気づいていない人は意外と多くて、「どこか都合のいい部分」を切り取っては、

この人は時間なんかかけてない

と言い張ります笑。

そんなバカなことはあり得ないのです。

何年も何年もかけて熟成させているから、その人はあるものごとに対して「精通」するようになるのです。

みなさんにも、「好きで長く続けていること」はあるかと思います。

そんな時に、パッと出の人が出てきたら、才能は認めたとしても、

そんな簡単なものじゃないよ

と必ず思うはずです。

誰でもできるものであれば、その分野の存在自体おかしなものですよね笑。

目指すレベルにもよりますが、みなさんの求める「ある程度」とは、決して数ヶ月単位で終わるものではないのかと。

それなら、何年もかけていく必要があるのは、決して不思議なことではないのです。

言語学習だけではなく、何事においても数年単位で「ある程度」のモノになっていく。それを履き違えないようにして頑張っていこう。

おわりに

僕の言語学習は、「できることが増えてきたこと」で楽しさを増していきました。

これは間違いない事実であり、言い訳をしようとするほど、

適当だけど楽しければいい

と言い張ります。

それでは、完璧ではなくとも、みなさんが求める “ある程度” には到達できないでしょう。

何ごとにも時間はかかるもの。

一方で、

明日には少しでも成長できるように!

という気持ちも持ち合わせておきましょう。

長い年月をかけて「できないこと」を「できること」にしていきましょうね。

それではまた!

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