こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
さて、1ヶ月前ほどから始めた多言語学習ですが、フランス語やドイツ語でつまずくことが多々あります笑。
本当にびっくりするくらいできないものでして笑。
でも僕は、
と思って、勉強を続けています。
もちろん、「通訳士になる!」という夢があるわけでもありませんから、
という気持ちで続けています。
今日は「諦めない気持ち」について書いていきます。
最初はできなくてもいい
僕が他の言語を始めた当初は、
と言われるレベルでした笑。
それでも、
- Duolingo(アプリ)を1年ほど継続
- 1ヶ月ほど前からテキストを購入して勉強
を始めたところ、少しずつわかることが増えてきました。
もちろん、学生時代のように学習にフルコミットすることはできませんので、「カメの歩み」もいいところです笑。
それでも僕が続けられるのは、
という確信があるからですね。
最初は誰しもが、
と思うものです。
大学生になってから始めたブレイクダンスも、
と、最初こそ思いました。
しかし、
と思うようにして継続することにしました。
それだけ「好きだ」ということも大切でしたね。
結果的にできるようになったことは多く、
- 言語学習
- ランニング
- 個人事業主
など、やり始めて継続をすれば、人間必ず慣れるもの。
学習するものなのです。
その上で「求めるレベル」はそれぞれ違ってきます。
僕はまだ初心者ではありますが、これを1年、3年、10年…と続けていけば、その道のベテランになることができます。
ただそれが、
程度では、もちろん上手くなることはありません。
「継続」にも濃さがありますからね。
あまりにも適当な濃さでやっていてもダメですし、上手くいっていないのに「同じ手法」を繰り返していても進みが速くなることはありません。(受験生の勉強法など)
この按配は難しいですが、
- ある程度の強度で
- かつ、ある程度の頻度
が求められているのは間違いありません。
その条件のもとで一所懸命勉強していれば大丈夫。
最初は誰だって、できないものなのですから。
成長を感じられる学習をする
先述した通り、
- いつまでも同じ手法でやる
- 適当にこなして終わらせているだけ
ですと、なかなか身につきません。
特に海外周遊中の僕は、Duolingoというアプリしかやっておらず(というかそれしかできず涙)、なかなか成長することができませんでした。
一方で、あの時の学習を続けていたからこそ、今こうしていろんな言語に触れることができているのですけれどね。
帰国してからもう数ヶ月で1年が経ちますが、一所懸命勉強してきたものについては、ちゃんと成果が出るようになってきました。
新しい単語や文法を覚える時とは、いくら勉強好きの僕でもしんどいものです笑。
- 発音できない
- 覚えられない
- 理解に苦しむ
と、
と自問自答したくなるくらいです笑。
それでも僕ができるのは、
という経験があるからというのと、
という確信があるからですね。
これを続けていなかったら僕は今頃、文字通り何もできていなかったことでしょう。
- 昨日より今日
- 今日より明日
- 今月より来月…
「何かを覚えては何かを忘れる」という、一進一退の攻防を繰り返していますが笑、100%忘れるということはあり得ません。
だからみなさんも、学校で習った英語に関しては「耐性」がありますよね。
というのは、他の言語ではできません。
それができるだけでも、素晴らしいことであり、それは「触れ続けていたから」なのです。
だから僕も、
と、そう信じています。
その確信を得るためにも、日々成長できているかどうかということ。
成長のない継続は、ただの “繰り返し” でしかありませんからね。
成長を感じる毎日にしなければ、僕も続けることはできないのです。
できるようになるまでやる
僕が大切にしている言葉は、
という、ごく当たり前の言葉です。
これは友人から頂いた言葉で、受験や検定試験なら、
という、なんだか禅問答のような笑、そんな言葉をもらったからです。
言語学習に限らず、ずっと好きなことに集中して継続していますと、とんでもないところまで行くことができます。
小さなことを積み重ねることが、
とんでもないところへ行くただ一つの道
僕がよく引用する、イチロー選手の名言です。
ただ当然のことながら、僕のDuolingoの学習のように、積み上げるべきものがあまりにも小さすぎますと、一生の間にできないまま終わってしまうこともあります。
それではいけません。
これが「継続」の “罠” でもあります。
今の僕の英語があるのは、
- 学生時代に死ぬほど暗記して勉強して
- それからもマニアックに研究しまくったから
なのです。
だから「ある程度の強度」が必要なのですね。
- 最初は当然0から始め
- 毎日少しずつ成長を感じながら
- 一方で難しい問題や課題に直面して
それでも「続けてゆく」ことなのですね。
そうやって「できる」を増やしていかなければ、いつまで経っても同じところをぐるぐると回ってしまうことになります。
この前提(確信)がなければ、継続も「ただの繰り返しになる」ということでしたね。
でも、その「いつか」がいつの間にか訪れるのは、継続していたからこそでもあります。
ここに至るまでが、とても長い道のりだったのにも関わらず、そうなってしまえば、
と、本当はそんなはずないのに、そう思えてしまうものなのです。
みなさんにも、呼吸するかのごとくできることってありますよね。
- 泳げる
- 楽器が弾ける
- 筋トレの知識
などなど、仕事から趣味まで、好きで続けてきたことや目標を持ってやってきたことなど。
僕からすると、
と、そう思えるようなものまで笑、やっている人はたくさんいます。
要は、他人にとって「難しいこと」でも、やれるようになるまで続けていることであれば、人より少し上の次元でできるということ。
だから僕も、毎日やっている言語学習だからこそ、
程度のことをいうことができ、来年あるいは再来年には、文法の解説までできていることでしょう笑。
できるようになるまでやりましょう。
そうすれば “できる” のですから。
おわりに
僕が継続をするのは、
でもあります。
負荷をかけ、ある程度の強度下でやっていればどんどんできることが増えてきます。
そうやって「純ジャパ」が、英語を話せるようになったわけですから。
他言語でもやるべきことは一緒。
毎日成長しながら継続していきましょう。
それではまた!
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