こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕のブログは真面目すぎることに定評がありますが、本当はもっとできる限り「ボケたい」という気持ちが本音です。
好きなお笑い芸人と聞かれれば、まずあげられるのがサンドウィッチマンですね。
「エンタの神様」時代からみていて、好き過ぎるために今でもたまに寝る前に子守唄として聞いています笑。
そんなお笑いを日常に応用している変態。
なぜそのような異質な考えに至ったのかをお伝えします。
お笑いを日常に
僕はお笑いが好きです。
中にはマニアックな方や、舞台やライブを見に行くまでの筋金入りの方もいます。
僕は単純にネタが好きで、よく日常でも使わせてもらっています。
- M-1
- キングオブコント
も毎年見ています。(最近はTVerやYouTubeで後追いですが)
プロの方々のネタを日常で使えるなんて、ほんと著作権に引っかかるんじゃないかと思いますよね。
なぜ日常で僕がボケ続けるのかと言いますと、それは、
- 楽しくて和やかな雰囲気にしたいから
- その人といい関係でいたいから
に他なりません。
そして何より、真面目でつまらない人間だと思われたくないからです。
人の目を気にしているというより、「面白い人」でいたいのです。
僕がボケることで、相手の方が抱く僕の第一印象は、
- こいつは頭がおかしいのか?
- こいつは場を和ませようとしてるのか?
- こいつはもしかして…天才なのか?
の3択だと思います。
なぜかはわかりませんが、圧倒的に「1」が多いんですよね…
それでも「面白い人だなぁ」と思わせればしめたものです。
それはいわゆる「すべらない話」などの、話術のレベルが高くて面白いとかではないのです。
「この人なら陽気な方だし、何を聞いても大丈夫だな」と思わせること、信頼させることが重要なのです。
そうすれば真面目な話をした時に「ギャップ」が生まれることになります。
もともと信頼されていれば、真剣な話にも耳を傾けてくれるというものです。
コロナ禍を経て、いかに人との会話が楽しい時間かと痛感しましたよね。
僕もそんな時間・空間を大切にしたいので、貪欲にお笑いを勉強して、人との時間を楽しいものにする努力をしていきたいのです。
中学3年生でボケを学ぶ
僕は今はめっきり顔立ちが変わってしまいましたが、昔は、
- 牛乳瓶のフタのような分厚いメガネ
- 坊主
- ゲジマユ
- いわゆるベンゾウさんスタイル
を貫く、クソ真面目なガリ勉くんでした。
ある日友達と話している中で、ふと思ったんですよね。
「俺、このままじゃ勉強ができるだけの真面目な男になってしまう。何か変わらなきゃ」と。(自慢に聞こえる)
例えば、
- お笑い好きな人に恋をした
- お前の話が面白くないと言われた
とそんな経験をしたわけではないのに、ビビッとイナズマが走ったかのごとく、そう感じたんですよね。
今思えば「勉強のしすぎによる反動だったのではないか?」と、すずきによる研究で明らかにされております笑。
受験期でもありましたから、何か中学生なりに感じていたことがあったのでしょうね…
今でもなぜそのような「ボケキャラクター」になろうと思ったのか、イマイチ理解できません。
ただエンタの神様が全盛期だったこともあって、お笑いのネタ番組は結構見ていました。
単純に好きだったのかもしれないですね。
それからというもの、プロの芸人さんをお手本に人とズレた発言を心がけるようになりました笑。
また、
- 言葉の使い方や言い回し
- 空耳や普段使わない言葉
- 間の取り方やテンポ
まで、会話で使えるようなものはないかとアンテナを張るようにもなりました。
サンドウィッチマンのネタは、何度も見て覚えましたしね。
僕くらい何度もネタを見る人は、あまりいないですけど笑。
結果、人とコミュニケーションをとるのが苦手だったすずきは、だんだん人と話すことが面白いと感じるようになってきました。
お笑いから学んだこと
日常にお笑いを取り入れていますと、「こいつ毎回ボケて面倒くさいな」と思わせてしまうこともあります。
ここで大切なことは、バランス感覚や空気感です。
真剣な話をしているのにふざけて誤魔化すのは、もちろん「マナー違反」です。
「空気を和やかにすること」と「ふざけ倒すこと」は全く違います。
一方で相手から真剣な話が来そうな時に、こちらからひと笑い作っておけば「すずきさんこの件なんですけど笑」と相手が話し始めやすいケースもあります。
例えば年下や女性たちからも、話しやすい空気感が生まれます。
「ギャップ」についてもメリットはありまして、僕自身がアツいものを持っていたり真剣なものを持っていたりしますと、信頼されますし真剣な話もしてもらえるようになります。
要はコミュニケーションを円滑にするために、こちらから心をオープンにしてしまえば、
- この人は敵ではないんだな
- 話しやすい人だな
- 頭もオカシイんだな笑
という印象を与えることができます。
タイミングは様々で、
- 大人数の前でボケから入ってもいいなという空気感があるとき
- 初対面で1対1だけど笑いをとるような空気感ではないなと感じるとき
などあります。
そうしてお笑いをどこに差し込もうかというストイックな気持ちさえあれば笑、会話のリズムや緩急のバランスをとろうと努力するようになります。
僕は、誰かと話している間も飲み会もパーティーも、その場の人間たちで作り上げていく演目、つまり1つのお笑いの舞台・時間だと思っています。
せっかく会って話している時間なのだから、楽しくなきゃつまらないでしょう?
おわりに
僕はコンプレックスの塊だったのだと思います。
それを中学生ながらに感じ取り、「なんとか自分を変えなきゃ」と必死になって学ぼうとしたんだと思います。
僕が読んだ「天才はあきらめた」という山里亮太さんの自伝の内容も、なんとなくわかるような気がしました。
「芸人」とか「お笑い」と聞いて、以前はピエロや元気ハツラツなクラスの中心人物がやるものだと思っていました。
大人になってきますと、そのような先天的な「気質の戦い」よりも、知識と練習と経験で戦えるんだなと感じるようになりました。
- 笑い合いたい雰囲気
- 真剣に取り組みたい雰囲気
- 互いに勉強したい雰囲気
- 話を聞いてほしい雰囲気
会話には様々な空気感がありますよね。
日常会話ほどバリエーションが多くて内容が広いものはありません。
どの人と接してもしっかりとコミュニケーションがとれるように、僕は本を読み、お笑いを勉強し、英語を学び、たくさんの経験をインプットしていきたいと思っています。
そうやって周りの人たちと作る場が、時間が、楽しくて貴重なものになれるよう、努めるのも悪くないと思うのです。
笑うだけで幸せになりますし、なにより健康にもいい。
いつか皆さんと笑って話せる日がくることを楽しみにしています。
それではまた!
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