こんにちは。
先日、Abema TVで生き餌についての議論を見ました。
お食事中の方、苦手な方はすみません。読まないことを勧めます。
僕は小学生時代、生きもの地球紀行というNHKの番組を見ていました。
野生の動物が捕食するシーンを空撮していたりと、小学生ながらにその番組から多くのことを学びました。
大人になるにつれて昆虫とか動物とかに抵抗ができてしまうのは仕方のないことですが、実は僕はYouTubeでたまに捕食や生き餌を与えるシーンを見ることがあります。
そう言った捕食の動画と「食」について、僕なりの考えを述べたいと思います。
倫理論争
Abema TVではYouTubeの動画投稿自体に対してというより、その投稿者のモラルや命への態度に憤慨している人が多くいた印象でした。
結論から言いますと、僕はYouTubeに生物の捕食の動画を載せることに賛成ですし、「見たい人が見ればいいのではないか」と思っています。
ただ載せる時には注意が必要で、「閲覧注意」や「苦手な人は見ないでください」と言った配慮、そしてなによりその動画の意味を考えて載せることが大切だと思っています。
例えばエサにするであろう生き物の命をバカにして、粗末にして、不愉快な苦痛を与えて、それから食べさせるなんていうものは捕食や生き餌やりの動画の趣旨ではないと思っています。
その「食われる命」が食物連鎖の一部であり、それを糧に生きてゆく動物たちを撮って「生」の意味を提供するからこそ、大変貴重な動画だと思っています。
嫌な思いまでして動画を見ている人に対して「見なきゃいいじゃん」は確かに正論なのですが、載せる側も「命を扱う動画」ということを熟慮した上でアップするのが、最低限のマナーなのではないかなと思います。
僕は動物が動物を食べていくシーンは「生」を感じますし、たまに見ることで「こういう動物を飼う人もいるんだな」とか「飼育大変そうだな」とか、普段は見ることのできない動物の生態や飼育法を学ぶことができます。
大人になって「食」についてわずかながらに学んだことで、じゃあ自分の食べている動物ってどうやって精肉されて食卓に並んでいるのだろうと単純な知識欲から、このような動画を見始めたのです。
動物と昆虫
生き餌のエサやりシーンは、哺乳類であるウサギやマウスだと過剰に反応する人が多い印象です。
それは僕らが猫や犬と近しい関係を持っていたり、ペットとして飼っている人が多数存在するからだと思います。
それでは今度は僕らの「食」にフォーカスを当ててみましょう。
先ほどの哺乳類の捕食の動画について考える時、こういった人間の「食」への議論も付随してきますし、改めて一度考えておく必要があります。
早速ですが牛や豚、鳥や馬はどうでしょうか。
もちろん煽っているわけではありません。
無理して「その解体シーンを目に焼き付けろ」と押し付けませんし、例えば「解体の動画を見たから肉への考え方が劇的に変わる」とか「動画さえ見れば偉いんだ」とか、そのようなことは一切思っていません。
ではもうちょっとレベルを落として、日本の食文化である寿司や刺し身、あるいは踊り食いなんかはどうでしょうか。
魚なら目の前でさばいても抵抗がないという人が日本には多いです。
それは僕らが慣れているかどうかというだけだ、と思っています。
同じ命なら、魚と陸上生物とで一体何が違うのでしょうか。
魚をさばくのはグロテスクではないのに、牛や豚は見られないというのはちょっと違うのではないかなと思います。(もちろん魚をさばくのも見られない人もいます)
諸外国には日本の文化である「目の前で魚をさばくこと」がモラルに反していると思ったり、残酷で見ていられないと思ったりする人も一定数います。
逆に犬を食べる文化を持つ民族もいますしね。
また昆虫に関してはいかがでしょうか。
僕は昔、公園で大量のアリに殺戮の限りを尽くしたことを覚えています。食べるわけでもないのに。
あれも小学生だから許されるとかアリなら構わないとか、どこで線引きがなされるのでしょうか。
また話は少しズレますが、最近は昆虫食がブームとなっております。
「うえぇ」とか「気持ち悪い」と思う人も多いかと思います。(僕もですごめんなさい)
ではみなさんが普段口にしている、肉や魚と何が違うのかということを考えてみましょう。
エビなんて昆虫みたいじゃないですか。カニだってあれ、モンスターみたいじゃないですか。
タコってそもそも誰が最初に食べようと思ったんですか笑。
こう考え始めると結局は、慣れの問題なのではないかと思わざるを得ません。
捕食にせよ生き餌にせよ、さばくにせよ料理するにせよ、食卓に出すにせよ食べるにせよ。
ただそうやって動物界のことや加工の過程を知らないまま食べてしまうのは、僕は「良くないな」って僕自身に言っています。みなさんには言いませんが。
鋼の錬金術師の作者である荒川弘さんは銀の匙という農業高校の漫画も描いていますが、あれもまた考えさせられる漫画の1つです。
また100日後に食べられる豚というYouTubeチャンネルも話題です。
スーパーに並んでいる肉片は、どこかで誰かが動物を育てて、手を合わせながら息の根を止めて、真っ赤に染まりながら解体してくださって、キレイに整えられたのちに運ばれてくるのです。
捕食のシーンもその過程を知ることで、命の重みを感じて、感謝をして見ることが大切なのです。
命に生かされていること
昨今ではビーガンやベジタリアンなどの風潮もあり、それはそれで好きにやったらいいと思います。
ただ少し前にそうした文化が流行し始めた時に、僕は単純に「なんか肉食っててすんません…」と思ってしまいました。
本来はそんなこと感じる必要はないんです。
それでも少しの間、肉が食べづらい時がありました。
一方で肉を食さない人に反対する人もまたいて、実際に肉を摂取しないことで体調を崩した人が出たことも例に挙げられたりと、なかなかこれと言った答えは出ていません。
「人それぞれで好きにやればいい」というのが極論ですが、結論ですね。
僕は興味本位からそのような議論も見ましたし、
- 爬虫類がゴキブリやコオロギを食べるシーン
- 蛇がマウスを飲み込むシーン
- あるいはイノシシを〆るシーン
- ライオンが集まってシマウマを食いちぎるシーン
など多岐にわたって見たことがありました。(ひょっとしてサイコパス?)
単純に興味が湧いて見ることが多いですが、さすがに牛や豚、鳥など生々しいものに関しては抵抗があります。変な話ですけどね。
それでも良識のある方が動画を上げてくださるので安心して見られますし、狩猟されている方たちもその命の重さを十二分に理解しています。
感謝しながら食すところまで動画に収めてあるものですから、拍手ものですよね。
小さい頃の僕には閲覧が難しいものでしたが、すずきは立派な30代になりましたのでちゃんと見ることができています。
そういえば生きもの地球紀行をしっかり見ていましたけどね笑。
月並みの表現ではありますが、それらの動画によって命やご飯に感謝することができるようになります。
慣れの問題と言いましたが「食」についてもまさにそうで、動画とはいえ普段から命のやりとりを近くに感じることができることは現代ならではのメリットです。
どこかでそうしたシーンを見ることで、ある程度慣れていくことも大事なことなのかもしれませんね。
「これは大切なことなんだ」と視点を変えて見ることができれば、自分が他の生き物に生かされていることに気づけるはずです。
僕も臆さずに、少しずつ見ていきたいと思います。
おわりに
この手の問題は、何もそれぞれの意見や主張を他人に強制することではないという前提のもとに議論されるべきだと思っています。
動物や昆虫、魚など生き物に対して命をもてあそぶようなことは決してせずに、同じ世界にいるものとしてその恩恵にあずかり、敬意を払ってその食う食われるの過程を撮影すれば、アップしてもいいものだと思います。
食卓に出た際も、感謝して「いただく」のがスジです。
人間は動物界のヒエラルキーで頂点にいると思われがちですが、それもまた人間が勝手に決めたことですから、偉ぶる意味もありません。
みな同じ命です。
人間は大昔から狩猟の時代を経て生きてきたのですから、僕を含めた多くの「肉を食べる人たち」はその命に感謝した上で自分のエネルギーの糧とし、生きていけばそれでよいと思います。
当たり前に食べる生き物を、時に当たり前にせずにふと思いを馳せて感謝して食べるというのはどうでしょうか。
僕は食前食後に合掌しています。
捕食などの貴重な動物界の生死のシーンを見て改めて生き物の命の重さと、文字通り必死に生きて燃え輝いている「生」を感じる。
現場で肉をさばいてくださっている人に感謝しながら、明日もまた生かされて生きていきましょう。
それではまた!
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