僕が節目を節目と捉えなくなった理由【日々の作業を大切に】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

新年(2023年)が明けて1週間が経ちました。

僕は相変わらずルーティンを続けており、

  • 飲むことが多くなった
  • 起きるのが若干遅くなった

これらがリズムのズレとしてあげられますが、普段生活や体つきは大きくは変わっておりません。

さて新年が明けるといえば、みなさんは「新年の抱負」を掲げますよね。

一年の区切りとして、確かにいいスタートになりそうです。

でも僕は逆なんです笑。

今日は「僕がなぜ節目を節目として捉えないのか」について書いていきます。

節目節目を大切にすることは大切だ。しかしそれ以上に普段の生活を大切にしていこう。

節目はグラデーション

僕にも「人生の節目」と思えることはありました。

  1. 離婚
  2. コロナ

です。

この場合は事実が起こった時期のことを指すため、今思えば「転機」と呼んでもよいでしょう。

しかし自分で決める「節目」とは、実際は「グラデーション」となっていることがほとんどです。

どういうことかと言いますと、

新年だから何か新しいことを始めよう

という考えは、少し違うということです。

新年だろうが6月だろうが10月だろうが、「やると決めた日/きっかけ」は必ずどこかにあり、それは必ずしも新年に限りません。

もちろん、「新年だから」と節目に便乗することは悪いことではありません。

「何かを始める良い区切り」として使いやすいのが、元旦ですからね。

だからこそ、多くの人が「新年の抱負」を立てるのだと思います。

僕の場合、ここ数年で年始めが一区切りになるという意識はありませんでした。

むしろ、離婚やコロナという「事実」のほうが、結果的に節目となりました。

1月1日の元旦に、

よし、やろう!

と思っていることは大抵、少し前から「やってみたいな」と思っていたことのほうが多いはずです。

自分で決める「節目」は元旦であってもよいですが、裏を返せばいつだって構わないということでもあります。

新年にこだわる必要はなく、「やりたいと思った時に行動に移すこと」が大切だということですね。

そういう意味では「節目」を挟んで、決意や決断は「グラデーションになっていること」が普通です。

  1. やりたい気持ちが湧く。
  2. 結果的に「節目」となる時期がある。
  3. 「やりたいこと」を始める(継続する)。

この流れ(特に「2」にあたる部分)をいちいち、「新年」に定める必要はないということですね。

自ら「節目」を作ろうとするのではなく、「結果的にそうなった」と思えれば良いので、僕は特に「新年の抱負」を立てる必要はないと思っています。

新年は何かを始めるいいきっかけになる。ただそこに固執せずに、自分ができる時に始めてしまうことが大切だ。

「よしやるぞ!」は続かない

極論を言ってしまいます。

多くの人を見てきて思うのは、「新年の抱負」を立てようが立てまいが、

  • やるやつはやるし
  • やらないやつはやらない

というシンプルな事実です笑。

むしろ、

よし!今年から〇〇をやるぞ!

とようやく重い腰を上げる人は、普段から継続や習慣が苦手であることが伺えます。

「新年」や「節目」にかこつけて「そこでなんとかしようとすること」も、決して悪いことではありませんし、フレッシュな気持ちを潰したいわけではありません。

ただ何かの「節目」に、

  • あまり頼り過ぎたり
  • こだわりを持ち過ぎたり

する必要はないのです。

そうやってモチベーションに頼ってしまう現状があるのならば、早急に改めたほうが良いでしょう。

「何かを決断すること」は大切なことですが、もっと大切なことは、

  • それを始めることができているか
  • そしていかに続けることができるか

です。

もし「新年の抱負」を立てたとするのならば、必ずその年末にしっかりと実現できたかどうかを問うべきですからね。

「やらないやつはやらない」というのはとても冷酷に聞こえますが、立てたはずの抱負がどこかに行ってしまうということはよくあることです。

僕が新年の抱負を立てないのは、区切りにこだわっていないこともありますし、その年末に「やったかどうか」を確認することが面倒くさいからです笑。

  • やらなければならないこと
  • いつかやりたいと思っていること

はどちらも、僕の心の中にずっとあります。(あるいはふと生まれます)

具体的に取り組みたいことは自分の中で自然とリスト化されており、自分のタイミングでこなしていけばよいと思っています。

それを「新年」に合わせても良いですし、別に今年中のどこかでも、来年に見送っても構いません。

優先順位が高ければ早いほうがいいでしょうし、低ければいつか気が向いた時や時間に余裕がある時にやればいい。

大きな目標であれば、その「前段階のタスク」をこなすことだって必要になってきます。

大切なことは、その目標に向かって日々前進していることであり、逃げ続けていなければ問題はないということです。

正月だろうが夏休みだろうが年末だろうが、自分の心の中にある「やることリスト」をこなし続けて、目標に向かって行くこと。

これが大切ですね。

節目や区切りをうまく利用することはよいことだ。しかしそれよりも大切なことはその前後だ。日々目標に向かって淡々と作業をこなし、進んでいこう。

大切なのは平常時

僕は「継続すること」を生活の基本においていますが、継続していますと面白いことに祝日も特別な日も関係なくなります。

今までは、年末や正月を「特別な節目」と感じてはドキドキワクワクしていたものですが、ここ数年では何も感じなくなりました。

僕の心は腐ってしまったのだろうか…

と若干凹みましたが笑、よくよく考えてみれば「継続」していると気にならなくなったという、ただそれだけのことでした。

「日々の積み重ね」が大事だと言いたいのではなく、世間でいうところの「特別な日」を特別だと感じていない自分がいたということです。

それよりも大切なことは、毎日、目の前のことをこなしていくこと。

その中で成長を続け、自分のやりたいことに向かって新しいことを始めたり、挑戦したりすること。

気合いを入れることで1年間頑張れる人は、「年始め/年度始め」を区切りに使うことは良いことでしょう。

ただ周りの「継続している人」を見ていますと、あまり年末年始やいわゆる「特別な期間」に関係なく、やるべきことをきちんとこなしている人が多い印象です。

少しばかり「気持ちの変化/ルーティンのズレ」があることは避けられませんので、無理に抗(あらが)う必要はありません。

それでも周りに惑わされず、改めて自分の目標を確認して進み続けることが大切です。

長い期間(今年1年)の目標を立てつつも、

  • 今日すべきこと
  • この先1週間でやること
  • この先1ヶ月でやること

のように、短い期間での目標を大事にしていくこと。

カメのように遅く見えますが、僕はそのほうがよっぽど現実的で確実な歩みだと思っています。

平常時の習慣を大切にしている人は、いつになろうと軸をブラさず、変わらずに行動をし続けます。

僕もそうありたいので、これからも自分にできることを淡々と、着実に進めていこうと思っています。

大切なことは、一所懸命目標に向かって日々歩くことだ。途中途中で大きなイベントがあっても、変わらずにこなすべきことをこなしていこう。

おわりに

「節目を節目として捉えない」

出たよ、あまのじゃくだな!

と思われた人もいるでしょう。

でも本当にそう思わなくなってしまったのですから、僕が一番驚いています笑。

元旦からいつも通りに作業しましたし、「ただの休日」だと思って作業を続けました。

今住んでいる家の引き払いも「やるべきこと」に入っていましたので、「そう言えばもうそろそろだった」と思い、WEB経由で退去届けを出しました。

思い立ったが吉日。

それは「年始め」に限ったことではありません。

自分の中にある「リスト」をこなしながら、日々を一所懸命生きていきましょう。

それではまた!

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