30代になって初めて伝統芸能を見る【能の不思議に迫った男の末路】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、ひょんなきっかけで友人から「」に誘われました。

能?あぁ、なんか伝統芸能よね

くらいの感覚しかなかった僕でしたが、もしもっと僕が若かったら、何かと言い訳を見つけて見に行っていなかったと思います笑。

しかし今は、みなさんご存知の通り保守的な人間になってきましたので笑、

日本の伝統や文化か…これはまたとないチャンスだ!

と思い、見に行くことにしました。

結論、全くもってわからなかったため、その分疑問が湧いてきてしまい笑、自主的にいろいろと調べました。

今日は能の世界について、素人なりの意見を書いて行きます。

静が生み出す日本の美学。そこに日本の昔から流れてくる空気を感じたのだ。

静から湧き出てきた疑問

最初に感じたこととは、

なんでこんなに人が舞台にいるのに、黙って座っているだけの人が多いんだ?

というものでした。

なんとそこに何十分も座っている人(地謡や囃子の役の人)たちがいたのです。

普通に考えれば、

出番のない人は舞台から降りて、舞台袖にでも隠れていればいいじゃないか

と思うものです。

また、みんな無表情であることがほとんどで、時間も90分と長い…

あぁ、これがつまらないという所以(ゆえん)なのだな

と思ってしまったわけです。

そこで疑問を解消するため、舞台を見にきていた友人にいろいろと聞き、

これって我慢大会なのか?

という質問までぶつけました笑。

いえ、真剣に「なぜ?」と思ったのです。

モヤモヤが消えなかった僕は、Chat GPTに聞いてみることに。

そうしますと、

  • 能とは想像力で出来上がる舞台
  • 表現しないことが日本の感情の美
  • 舞台にいることで役者を目立たせる

といったような回答が来ました。

そ、そうなのか!語らないことで語る美学…日本らしいじゃないか!

と、感動してしまったのです。

現代では、

  • 切り抜き
  • ショート動画
  • とにかく楽しい
  • 感情を爆発させる

というのがほとんどで、悪い言い方をすれば「エンタメ」がはびこっているわけです。

しかし能はそうではない。

演者たちが動かないということは、「いない」を意味しておらず、場を支えているのだ、と。

これについて生徒さんと話していますと、

先生は「秘すれば花」という言葉を知っている?

と言われ、「はて?」と思い調べました。

「秘すれば花」とは室町時代の能楽の大家、世阿弥の言葉で『風姿花伝』に由来

「隠すからこそ価値が生まれ、すべてを明かさず秘めることにこそ美しさや感動(=花)がある」という意味

おおおお!

僕がこの前少し勉強していた、武士道にも通づるような、そんな気がしました。

ゆえに、華道などの「道」とも親和性が高いらしく、

なるほど。だから伝統文化として残っているのか!

と、妙に納得しましたね。

初めて能を見た僕は、その舞台演出に戸惑った。しかしその背景には、日本の「語らない美」を語る美しさがあった。

伝統芸能なんて潰せ?

僕が若い頃は、リベラルもいいところでして笑。

Hip Hopなどのアメリカン・カルチャーが好きだったこともありますから、

日本は他国から学ぶべきだ。祭りとか伝統とかもうええって!

と思っていたものでした。

こういう思いにさせたのは、僕があまりにも、

  • 男性的
  • 論理的

な人間だからでした。

科学技術があるからこその「今」でもありますが、そこ “だけ” を見ていますと、自国の文化に気づくことができません。

そう、伝統や文化とは「感情的」なものなのです。

めちゃくちゃ論理的に言えば、「祭りや伝統なんかやる意味はない」という意見になるのが普通です。

それでも、日本各地で夏祭りがあったり、親の実家に帰省したりする文化があるのは、神道が知らないうちに僕らの体に染み付いているからでした。

あげればキリがないくらい、

  • 初詣
  • 挨拶の礼
  • いただきます
  • 相手の気持ちを読む

など、様々な場面でその「神道文化」は力を発揮しています。

ここからは主観的な話になりますが、あとは僕らが、

その文化を美しいと思い、それらを残したいか?

という疑問に尽きます。

先ほどの理論武装で固めれば、もう伝統や文化なんてとっくになくなっていて、「人類みな兄弟!」とかなんとか言って、地球が一つになっているわけです。

それでもなくならないのは、人間の根源的(感情的)なところと、日本の伝統や文化が深く結びついているからでしょうね。

自分のルーツを辿りますと、

  1. それを愛し
  2. 感謝するように

なります。

僕らが「地元愛」や所属しているグループに対する愛が芽生えるのは、伝統や文化など共同体が持つ共感や通念などが、人間の深い原始的な部分に訴えるものがあるからなのでしょうね。

伝統や文化とは、理性的な考え方とはほど遠い。もっと深く、人間の感情と結びついているのだ。

そこに流れる日本の血

なんだかんだと「能はわからん」と思っていた僕も、まず現場ですぐに感動したことがありました。

それは、

  • 能楽堂の建築の美しさ
  • 着ている衣装のかっこよさ
  • 演者さんたちの一つ一つの所作

などでした。

僕はガチで初めてでしたので、囃子や地謡(じうたい)の方々が出てきただけでも、

あの、シンプルだけど日本を意識させる衣装、カッコ良すぎる!

と思って見ていました。

また、彼らはあまり出番がないのに、舞台上で静かに座っていて、ずっと出番を待っているのです。

それだけでも「かっこいい」と思えましたね。

これは若い頃の僕であったら、なかなか気づけなかったことだったと思います。

特に、30歳を過ぎてから「マインドフルネス」を経験した僕は、

  • 呼吸
  • 姿勢

など、わずかながら「日本の美学」をなんとなく意識していました。

語らなければ何を考えているのかわかりませんし、不気味でもあります。

ちゃんと意見を言えよ!

と思う時もありますよね笑。

でもだからこそ、現代社会ではそうした「表出(ひょうしゅつ)しないこと」に重きを置くべきなのかもしれません。

昔の「頑固親父」が多くを語らなかったように、漢(侍)たるもの、多くを語るべからずだとも感じる日々ですね。(毎日ブログ書いてますけど笑)

日本人は何を考えているかわからない

と思われるのは、こうした点に美学があるからなのかもしれません。

僕も海外から日本に帰ってきた時には、ちょっとした「嫌気」みたいなものを感じました。

だから日本はダメなんだ

と。

でも今は『』ですね笑。

特に日本画なんか見ていますと、「描かない美学」をモロに受けます。

こんなに隙間があるけど、なんか描いたら?

とね。

日本の神道から来るこの文化が、どうやらいろんなところに根付いており、それをわかりやすく見つけられるのが伝統や文化なんですよね。

だから「長くあるもの」には敬意を払い、大事にして後世に伝えるべきなのです。

能は一つのいい体験となりました。

それで全部がわかったような気になってはいけませんが、きっかけとしては十分でしたね。

日本に流れる伝統や文化。そこに日本人としてのあり方を見つけた。これらを大切にして後世に伝えていこう。

おわりに

日本の伝統芸能である「能」。

セットで狂言なども見ましたが、能は圧倒的に「美しさ」を示しており、これには感動というよりも圧倒されてしまいましたね。

このタイミングで見られてよかったなと。

若過ぎていたら「なんだそれ」と言って、見に行くことすらしなかったと思います笑。

こうした伝統や文化を大事にできる大人になっていきたいですね。

それではまた!

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