数字で人の価値が測れなくなる世界へ【お金のない世界って?】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、こんな動画を見ました。

僕はこの手の議論がとても好きでして。

言ってしまえば「意味のない議論」であり笑、

哲学っぽさを語っているけど、実は大した話はしていないのでは?

みたいに聞こえる感じも好きです笑。

内容を簡単に伝えますと、

  1. 上下関係の優劣がなくなるため
  2. 世の中からお金が消える世界が到来する

みたいな話でした。

ちょっと内容は脱線していたような気もしましたが、とても面白かったです。

今日は「生きる意味」について書いていきます。

僕らは100年後にはもういない。今を生きる意味とは何なのだろうか。

仏教的な考え方と子孫繁栄

僕は「」についてはたくさん考えてきましたし、死生観などを語ることは、別に誰がやってもいいことだと思っています。

僕は別に彼らのように頭が飛び抜けて良いわけではありませんが、こうした論理的な話や、

こうだったら面白いよね!

という話は好きです。

成田悠輔さんはいつでも歯に衣着せぬコメントをしてくれて、視聴者をワクワクさせてくれます笑。

聞いている側(虎?の方々)も頭がよく、すぐに迎合することはありません。

お金がなくなる世界?そんなもんあるか!

と反論する人もいて、各々の意見が見て取れました。

僕が思うに、基本的には人間には “あまり” 生きる意味はないと思っています。(だから人生を終わりにしていいというわけではない)

仏教的な考え方に近いのかもしれませんが(よく知らないですが笑)、

100年後には僕はこの世にいないのかぁ。なら何が正解とかわからないし、何でもやったらいいじゃん

みたいな感覚です。

そこに意味を求めたがるのが人間であって、人によってはそれを「ムダ」と言う人もいるでしょう。

僕は人間の、

  1. 動物的で
  2. 本能的な

子孫繁栄が目的なのかなと思っていますが、現代ではその点についても興味のない人が増えているという状態です。(僕も含めて)

成田さんが言うには、

エンタメが溢れすぎていて、それらと比べると子育てが「苦」としか思えなくなっている

ということで、なるほどと思いました。

確かに「絶望的に」考えるのであれば、僕らが現代でいくら頑張っても、自分の存在は未来のどこかでいつか消えてなくなります。

ある意味、全く反論できない「まごうことなき真実」であって、議論は終了してしまいます。

そこに意味を見出すために、この動画では、

じゃあ現代の価値基準、あるいは未来の価値基準って何?

というお題が出てくるわけですね。

長い宇宙の歴史で見れば、僕らの人生なんてほんの一瞬だ。そんな「一瞬」をどう生きるかについて、フォーカスを当ててみよう。

異なることが良いとされる社会?

さて、こうして今を生きている僕たちは、「お金」に信頼を置くことで「価値」をつけるようになりました。

動画内では、

お金を稼いでいる人は、何か感謝された結果、あるいはその人が成し遂げてきた成果が具象化されたもの

のような主旨で語っており、これは概ね多くの人が理解する内容でしょう。

しかし現代では、

ゆったり暮らせればいい
人と比べて、いい車とか家を買いたいとか思わない

という若者たちも増えてきていて、僕もそのうちの一人です。(若くはない笑)

そうなると「お金」の価値はなくなっていって、一所懸命仕事をしている人たちは、高次元のAI?(か何か)でその人のバックグラウンドが判断され、

君はラーメン1杯を食べる権利がある。だって頑張っているもの

となるのではないか、と提起されています。

何となくそんな感じがする

と思えるのは、「現代がすでにそうなりつつあるから」という成田さんの見解があるからでしょう。

面白い考え方ですよね。

  1. 上下が関係なくなるのだから
  2. 優れるよりも異なっていく世界になる

という結論も出てきたり、一方で「究極の共産主義」として誰もが個別化されない、画一的な社会になるのではないかという意見も出ました。

僕はどちらかというと「複雑化してゆく社会」に賛成していて、以前キングコングの西野さんが言っていた「信頼貯金」の話に通ずることなのかなとも感じています。

抽象的ではありますが、

何でもいいから何か役に立ったことをしている人

が評価されている、そんな時代になりつつあるのかなって。

そこには「お金/金額/資産額」のような “数字” ではなくて、その人そのものの複雑なデータ、逆に言えば「その人」というざっくりとしたデータがあるだけ。

すると誰もが、

  • お金を使わなくなったり
  • ニュースを見なくなったり

するのでしょうね。

あなたは、あなたらしくあればいい

それでも生きていけるのが、確かに今の世の中なのかもしれません。

だったら、この「意味のない世界」で上を目指すのではなくて、「個」としてあり続けるほうが、よっぽど「簡素化された社会」へと足を踏み入れないことなのかなとも思いましたね。

お金やニュースで判断されるような、シンプルな世界はもう終わるのかもしれない。もっと複雑な「その人らしさ」が評価される時代が来るのかもしれない。

この議論に意味はないのか?

この議論を見ていて思ったことは、

これってそもそも、考える必要あるの?

ということでした。

世界が便利な世の中になってゆくのは自然の摂理であり、

  • 現金
  • 出社
  • レンタル
  • 有線コード

が無くなってきているのは、その結果とも言えます。

「お金」という価値基準がなくなっていくかどうかを語り合ったところで、

だから何なの?そういう世界もあるんじゃない?

と言われてしまえばそれまでです。

それは誰にもわからないことであり、着地点のない「妄想の議論」とも言えます。

僕が好きな曲で、Mr. Childrenに『彩り』という曲があります。

今社会とか世界のどこかで起きる大きな出来事を

取り上げて議論して少し自分が高尚な人種になれた気がして

夜が明けてまた小さな庶民

「自分がイキって偉そうなことを言っている時」は笑、この歌詞を思い出すようにしています。

しかし、僕がこの今生きている世界について知ろうとすることは、「世の中のルールを知ること」とも言えます。

2021年の4月からこのブログを書き始めてから、

  • 投資
  • 脱毛やICL
  • 睡眠や食生活
  • 税金と政治経済

まで勉強するに至りました。

世界一周をしたり公務員を辞めてみたり笑、多言語学習をしてみたり確定申告をしてみたり。

自分で考えてチャレンジしていくことで、今生きている世界で「幸せに生きてゆく」ことを目指したのです。

僕の人生は、地球という大きな存在からしたら意味のないものなのかもしれません。

それでも、自分が思う「幸せ」を求めていくためにできることは、どうやらまだまだあるようです。

ここ数年だけでもこれだけのことが学べたのか

自分でも驚きですね笑。

だからこの議論も、意味がないと言えば意味はないでしょうし、

エンタメとして考える分には楽しめる

程度のものかもしれません。

ただ、成田さんが「傍観していたい」という立場を貫いているとしても、やはり、

能力のある人には国を引っ張ってもらいたい

というわがままも、僕ら庶民にはありますね笑。

人間の生まれた意味や今後の世界。

これを考えることも楽しいことですし、悪くないことなのかもしれませんね。

今の社会、世界のルールを知ることで、現代を楽しむことはできる。人生は意味はないのかもしれないけれど、僕は僕なりの「幸せ」を見つけていこうと思う。

おわりに

たまにこうした議論や討論を見てしまうのは、

それを自分が当事者として考えたいから

という、好奇心があるからなのかもしれません。

「何でも知っていること」は別に偉いことではありませんが、やはり知的好奇心に駆り立てられて勉強している姿もまた、その人の魅力だとも言えます。

だから僕はこれからも、こうした話に首を突っ込んでみて、

なるほど

とわかったような気になってみようかなって笑、そう思っています。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました