30代が孤独に過ごしてきた時間を振り返る【孤独に生きることの弊害】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

コロナの影響もあって、すずきは「孤独に生きる時間」「1人で過ごす時間」の素晴らしさを見出し、「このまま一生、1人で生き抜いて行こう!」とすら思っていました。

確かに僕みたいに普段から動き回っている人間は、人に合わせるのは極端に下手くそで苦手ですし、自分でカツカツのスケジュールの中で満足度の高い時間を過ごすほうが性に合っています。

1人時間が長くなって学んだこと、享受できたメリットもたくさんありましたが、少しコロナが落ち着いてきて人と会うことが増えてきたおかげで、また考え直すことが多くなってきました。

参考として以前に書いた記事もあげておきます。

それでは改めて整理していこうと思います。

1人で過ごす時間の捉え方

1人のメリットについても多くを語ってきました。

「人と会いたいのか1人でいたいのか、一体どっちなんだよ!」と思いますよね笑。

まず1人のメリット箇条書きにしていきますと、

  • 内省・内観の時間がものすごく増える。
  • 普段できない読書や体験の時間に全振りできる。
  • 改めて人と会うことが楽しくなる。

と言ったところでしょうか。

「1人の時間」で多くを学んだことは間違いなかったですし、今でも「1人の時間」はとても貴重で、意義のある時間だと思っています。

ただ以前の記事を読み返してみて思ったことは、決して1人でいたいと思っているわけではないのだなと感じたことでした。(我ながら寂しがり屋ですね)

大切なことは、1人になった時間をいかに過ごすかと言うことです。

誰だって、1人でいたくて1人でいるわけではありません。

僕は「一匹オオカミスタイル」がとても好きですので全然気にならないのですが、できるのであればこの社会において人との繋がりを保っていたいのです。

これを社会学的に「社会資本」と言います。(経済学的に言うとインフラを指すそうです)

生きていく上では、人との関わりはとても大切であり、場合よってはそれがないために身を滅ぼしてしまうこともあり得ます。

1人でいることによってたくさんのことを学べるのも事実ですが、あくまで「他者との関わりを持っている」というバランスの中での話です。

今回は1人でいることによる弊害を考えていこうと思います。

積極的に1人の時間を作るのではなく、他者との関わりの間にある「ひとりの時間」を大切に過ごすようにする。

1人で生きていくことの弊害

友人や家族と会う頻度が増えるにつれて、僕自身も「果たして1人で生きていくことには、どのような弊害があるのだろうか?」と考える機会ができてきました。

(ちなみにコロナ禍以前よりも、僕は多くの人と会い、より幸せな時間を設けるようにしています)

「積極的に」1人でいることを望み、他者との関係を断ち切ろうとしますと、

  • 単純に人生に厚み深みが生まれず、つまらない。
  • インプットもなければ、アウトプットもない。
  • 幸せを共有することができない。
  • ストレスが発散できない。

など、あげればきりがないほどデメリットが出てきます。

特に予定もなく1人でいる時間は、自分なりに計画を立ててインプットに励んだり、自己投資したり、あるいはリラックスして浪費したりしてもよいかもしれません。

しかしそれが延々と続いてしまいますと(その例がコロナ禍)、やはりトチ狂ってきてしまいます

「インプットもアウトプットも、一体自分は何のためにやっているんだ?」

と疑問に思い始め、自分が起こしている行動の意味や価値がわからなくなってしまいます。

「自分のため」と捉えることもできますが、「社会」の中に生きる僕らだからこそ、この場の発展に寄与しともに成長していくことが、僕らの生きていく意味と捉えることもできます。

僕がこうして幸せを掴み始めることができ始めたのも、

  • 誰かが提供してくれるサービスや仕事のおかげであったり、
  • インフラを整備してくれた先人たちの偉業のおかげであったり、
  • ともに笑いあえる仲間がいたり、
  • 一緒に泣ける生徒たちがいたり、
  • 旅の話を共有してくれる同僚がいたり、
  • 飲んで愚痴をこぼせる友人がいたり、

と、他者がいるからこそ成り立つ幸せがあるからに他なりません。

1人を貫きすぎてしまっては、どこかで人生の歯車が噛み合わなくなり、破綻してしまうでしょう。

今いるこの社会では、人との繋がりなくしては生きていくことはできない。

感謝することを忘れずに行動する

僕は「行動すること」の大切さを強調する一方で、礼儀や礼節についても考えてきました。

  1. 自分の幸せのために。
  2. 他人の幸せのために。
  3. 社会の発展のために。

という点を大切にしながら行動してきましたが、最近は「感謝をすること」の重要性を感じることが多いです。

この感覚はとても抽象的でして、

  • 感謝を言葉にする。
  • 誠実な気持ちを持つ。
  • 態度で表す。

と形は様々ある一方で、これと言った「正解」がありません。

ただ確実に言えることは、これもまた他人がいなければできないことだということです。

「感謝すること」は、他者から何かを行なってもらうことで初めて成立するものです。

実はこれは「ひとり時間」の中にも数多く出てくる場面です。

  • お店や施設の人へ。
  • 「どうぞ」と順番を譲ってもらった人へ。
  • 食事を提供してくれた人へ。
  • インフラを整備してくれている人へ。
  • 自分を産んで育ててくれた両親へ。
  • ブログを読んでくれている人へ。
  • 今健康でいることができている自分自身へ。

いつでもできる、簡単だけれども深い意味を持つ「感謝」。

お金と一緒で、感謝は回り回って最後には自分のもとに還ってくると思っています。

感謝することで、また感謝される。

すると、

  • では人に感謝されることとはなんだろう?
  • では自分が誰かに与えることのできる幸せとはなんだろう?

というように考え始めるようになるわけですね。

そう考えながら行動していくことが、ひとりの時間でもとても大切なことになります。

逆に言えば、感謝を忘れないで生きていくことは、この社会において成功していく、あるいは幸せに生きていく、必要な条件なのかもしれませんね。

常に感謝を忘れないで行動していくことで、1人の時間も他者との繋がりを感じることができる。
幸せを感じることができたら、今度は自分が誰かのために何かできないかと考えてみる。

おわりに

「1人でいることのデメリット」というよりは、精神的・社会資本的に貧しい心であることのデメリットを考えてみました。

「他者との繋がり」は、群れで生きている人間にとって忘れてはならないことですし、そこから生まれる感謝の授受があります。

(ただこうした考えにいたることができたのは、自分の時間を大切にしたからこそでもあります)

これはトレードオフ(どちらかを取ればどちらかが消える)のように見えますが、僕は相乗効果が生まれると思っています。

「何かを与えたら何かを失う」と思うのが普通かと思います。

しかしこれがこの社会の面白いところでして、失うことを怖がって与えない人ほど、失うものが大きいという構図が成り立ちます。

お金や感謝は与えれば与えるほど(注意すべき点もあります)、その人に集まって還ってくるというものです。

僕は最初こそ疑っていましたが、今はすんなりとこの感覚を受け入れることができています。

もちろんまだまだ足りないくらいで、「もっと他にできることはないか?」と模索中です。

これからも行動していきますが、感謝を忘れないで行動し続けていきたいと思っています。

それではまた!

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