こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕は人一倍仕事ができるわけではありませんが、若い頃は「先生業」を一所懸命やっていたこともあり、他人ができていないことをよく批判していたものでした。
自分が優秀だと勘違いしていたのか、
- 「あの人はいつも寝ている」
- 「あの人はいつもスマホばかりいじっている」
- 「あの人は仕事が遅い」
と散々批判しては、なじり倒していたものです。(本当にヤバいやつ笑)
もちろん「他人ができていないこと」に気づくことが「悪」というわけではありませんし、若かりし頃の僕に対して「それは心が狭いよ」とは、なかなか言いづらいものです。
しかし最近では、
「人を安く買い叩くと、自分も安く買い叩かれることになる」
ということを学び、同じように、
「人を批判することもまた、自分の首を絞めることになるのだ」
と気づきました。
僕らは、他人にかまっている暇はありません。
僕が大切にするようになった、他人を批判/非難しない態度を書いていきたいと思います。
他人を批判する = 自分も批判される
職場には様々な人がいます。
若手や、仕事に対するエネルギーや情熱がある人からしますと、どうしても、
- 仕事効率の悪い人
- うとうとしてしまっている人
- ずっとスマホをいじっている人
が目についてしまいます。
それは「自分が割りを食っている」と感じているからでしょう。
- 「自分はこんなに頑張っているのに…」
- 「なんであの人のほうが給料が高いのだ?」
- 「いつまでここの会社にぶら下がっているのだろう」
こう思い始めたら最後、その人に対する「憎悪」が湧いてきてしまいます笑。
確かに一所懸命やっている人は生産性も高く、「働きアリ」として会社や組織を牽引しているのだと思います。
しかし結論を言いますと、人を批判している時間は無駄でしかありません。
そこにこそ生産性はなく、人に構っている時間ほど無駄な時間はありません。
また、自分がいくら「デキる人」とは言っても、人間誰しも完璧ではありません。
仕事の見た目上、もしかすると相対的に「自分のほうが仕事ができている」のかもしれません。
ただ、誰にだってできないことや失敗、怠けてしまう部分は必ずあります。
もしそうした「ちょっとした欠点」を批判されたら、みなさんならどう思うでしょうか。
- 凹む。
- イヤな気持ちになる。
など、あまりいい気持ちはしませんよね笑。
「完璧であろうとすること」は良いことですが、そうしようとすればするほど、他人へ放った批判はどんどん跳ね返ってきて、結果的に生きづらくなってしまいます。
当人ができていないことと、自分のできないことを天秤にかけ、
「あいつのほうができていない」
と、「できていないことの大きさ」を比べることほど、小さなことはありません。
相手を批判するクセがある場合は、まずは一旦やめてみましょう。
トゲトゲした気持ちがなくなり、広い心で、おおらかに過ごすことができます。
他人ではなく自分のことに集中せよ
そもそも、職場で他人のことを気にしている余裕なんてありません。
本来であれば、もっともっと自分の業務に集中し、自分を高めることのほうが大切なことです。
他人を批判してしまう姿勢になってしまうのは、「割りを食っている」と思っていることもさることながら、自分自身に時間があるからこそでもあります。
自分さえ一所懸命やっていれば、他の人に構う必要はありません。
というより、そんな時間はあるはずがないのです。
- どうしても気になってしまったり、
- 「何してんだよ」と思ってしまったり
することは仕方のないことかもしれませんが、そのあとに勝手に怒って不満に思ってしまうのは、なんとも理不尽な話です。
- 他人の給料
- 他人の評価(点数)
- 他人の働き方
- 他人の仕事への熱意
に対して口を挟むのは、管理職や会社の経営者の仕事であり、自分には関係のないことなのです。
もしそんな職場がイヤなのであれば、自分なりの解決策(辞めるなり異動を希望するなり)を考えていく他ありません。
ただ、あまりにも劣悪な環境(パワハラが横行していたり、会社として全体的に怠けていたりする場合)であれば話は別で、それは早急に対応すべきです。
ここが難しいところなのですが、そこまでブラックではないような「ほどよいグレーな状態」であるほど、人は思いの丈をぶちまけたくなってしまうものです笑。
それは暗に、「自分が『ある人よりは』デキる存在である」という認識から生まれている気持ちです。
心の中で思う分にはいいのですが、僕はそういう同僚を見たとしても、最近では特に何も感じなくなりました。
それはいい意味で、
- 自分にとってはどうでもよいことであり、
- かつ「自分だってまだまだ未熟じゃないか」
と思うことができるようになったからでしょうかね。
これはキレイごとというよりも、むしろある意味「冷酷な考え方」なのかもしれません笑。
それでも、いちいち批判的になるよりは精神的に安定しましたし、もっと自分に集中することができるようになりました。
- 今「自分」がやるべきことは何か。
- 今「自分」には何ができていないのか。
と、「今の自分」に焦点を当てると、他人を批判しなくなりますし、他人を批判しなくなりますと、より自分に集中できるようになります。
どちらが先というわけではありませんが、より一層「自分の人生を生きている」実感が得られるようになることは間違いありません。
人生は短く、他人に構っている暇なんてないほど、一瞬で過ぎ去ってしまいます。
大切な人には時間を割き、頑張れていない人や、その人のできていない部分に対しては「もはや眼中にない」といった気持ちで、人生を駆け抜けていきたいものです。
他人を批判しないことのメリット
先述した通り、
- 生きづらさを解消すること
- 自分の人生に集中できるようになること
が、メリットとしてあげられました。
指摘や指導が必要な場合は、立ち位置に応じて言葉をかける必要があります。
もちろんのことですが、それが一教員である僕の役割であるわけがありません笑。
こうして、
- 他人の悪いところに目がいかなくなったり、
- 他人のできていない点を批判的に見なくなったり
するようになりますと、だんだんと他人の良いところが見えてくるようになりました。
- 「普段はぼーっとしている人だけど、特定の分野ではものすごい知識があるな」
- 「おっちょこちょいなんだけど、この人がいると空気が和らぐんだよな」
と、誰もが持っている様々な面を、多面的に捉えられるようになったのです。
これは生徒にも応用することができます。
英語を教えていますと、日々「劇的に英語ができない生徒たち」と出会います笑。
しかし、
- ひとたび彼らが部活をしているところを見たり、
- 理系の勉強をしているところを見たり、
- バイトしているところを見たり
しますと、その生徒が「輝いて見えること」があります。
「こんな一面もあったんだ!」と、少しでもその輝かしい姿を知ることができれば、
「人は悪い部分ばかりではないのだな」
と思えるようになるのです。
これは裏を返しますと、自分にも跳ね返ってくるということを意味します。
- 人を批判しようとすると、自分も批判にさらされる。
- 人の良い点を見つけようとすると、自分の良い点も見てもらえるようになる。
人に本来備わっている「返報性の原理」が働き、マイナスにはマイナスの、プラスにはプラスの「ブーメラン」が返ってくるのです。
なんでもかんでも他人を褒めればいいというわけではありませんし、傷の舐め合いや馴れ合いをすればいいというわけでもありません。
ただ、
- 良い部分を見つけようと努力し、
- 言葉にして相手に伝えること
で、いつか自分にもその気持ちや言葉が返ってくることは、間違いのないことでしょう。
そういうスタンスでいる人には人が寄ってきますし、「気兼ねなく話せる人だな」というポジティブな印象も持ってもらえます。
自分のために、相手の良いところを見つけること。
これは難しいことなのですが、まずは批判からやめてみますと、自然と身についてくる姿勢だと思っています。
おわりに
以前の僕は、人を批判することで自分の地位を保っていたところがありました。
そのほうが簡単であり、「自分はちゃんとやっている」という認識を自分に刷り込むことができるからです。
しかし実際は心がどんどん貧しくなるだけでなく、他人からも、
- 「なんかキツい人だな」
- 「この人と話していると何を言われるかわからない」
- 「話しづらいな」
と思われていました。
一方で「人の良いところを見つける姿勢」を持つことで、心が広くなり、他人にも自分にも優しくなることができました。
ストレスも減り、自分の人生を自分でコントロールしているような感覚も覚えました。
僕の人生も、みなさんの人生も、一瞬しかない人生です。
他人を批判することに注力せず、もっと自分と向き合う時間を持ち、有意義な人生にしていきましょう。
それではまた!
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