30代教員が正しい評価とは何かを考える【陰ながら努力する意味】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)

教師をしていますと、

自分の評価は、どれくらいなのだろうか?

と考えることは、実はあまりありません笑。

正直に言いますと、

適切に評価されている気がしない

というのが本音です。

みなさんにも、そうした経験があるのではないでしょうか。

陰では一所懸命頑張っているのに!
上に取り入ってるだけじゃないか?

と、理不尽なことばかりですよね。

それでも僕は、「陰ながら頑張ること」を大切にしています。

ゆくゆくは、周りから正しく評価されてゆくものだからです。

陰ながら努力することには、意味がある。それが繋がって信頼になるからだ。

見えていない部分はたくさんある

学校の先生の間では、

  • 教頭
  • 副校長
  • 校長

のことを、「管理職」と呼びます。

  • いい人と出会うことができる時もあれば
  • 全く現場の教師たちを見ていない人と出会うこと

もあります。

ある日、いつも通り入試業務を頑張っていた僕らは、他の同僚が「適当に仕事をこなしている」ことに気がつきました。

確かに、与えられた業務はしっかりとこなしているのですが、その方にとっては2〜3年目の業務であり、失礼かもしれませんが「できて当たり前」だと思っていました。

するとその姿を見た管理職が、

この人はできる人だ!

と、なぜかベタ褒めしていたのです笑。

僕も純粋に素晴らしいと思いましたし、申し分ないとも感じました。(すでに数回目の業務ですけどね)

でもその人は、それ以外の業務になりますと、

  • ずっと自席にいる
  • 他業務は手伝わない
  • 資料やマニュアルはコピペ

というような人でした。

そんな人が、一回きりの業務だけでスポットライトを浴びていたので、

陰で頑張っている若者たちがかわいそうだ

と思いました。

管理職も人間ですから、僕ら他の教員たちが頑張っている姿を「くまなく見て評価すること」は、難しいことだということもわかっています。

しかし “そういう評価の仕方” をされてしまいますと、

普段から細かな仕事をしている先生たちの立場は、一体どうなってしまうのだろうか?

と思ったのです。

  • 地味な仕事
  • 縁の下の仕事

こそ、会社や学校、社会では大切なはずなのに、そこが評価されていない。

しかも、「あからさまに」です。

このままでは、職場の「やる気」は下がってしまう一方です。

「見えていない部分」の仕事を評価することは難しくとも、

そこをなんとか評価しよう

という姿勢は持ってほしいものです。

では、こうした「陰の地味な頑張り」とは無意味なのでしょうか。

僕はそうは思っていません。

上の立場から下を評価することは、現場を知らないと難しい。しかしその現実を変えようとしないと、正当に評価されていないと感じる人が出てきてしまう。

周りから支持を得ることができる

入試業務を手伝っていますと、やはり「見てくれている人」はいるようです。

先日、現業のおばちゃんから、

せいじさんはいつも至るところにいるけど、全部の業務を担当しているのかしら?笑

と言われました。

とても嬉しいことでしたね。

僕自身は、

  • 別に恩を売りたくてやっているわけではなく
  • 評価を上げたいからやっているわけでもない

のです。

おばちゃんが見てくれていたように、「周りの後輩たち」も、先輩である僕らの働き方をよく見ています。

後輩たちと絡みながら業務を進めていますと、

  • 普段会話しない後輩たちと話したり
  • 自分が抜けた後を埋めてもらうため、業務を引き継いでもらったり

と、メリットがあります。

特に後輩たちは、新しい業務を担当することは初めてであり、とても緊張しています。

人前に立って指示を出したり、作成した資料を全職員に見せたりすることは、僕も緊張していたものです。

ですから、

最初は僕も一緒にやるし、作ってくれた資料には目を通すから、安心してやってみな

と言ってあげるのが、「先輩の義務」であるとも思っています。

一方で先ほどの先生は、

  1. 後輩にいい格好をする割に
  2. 業務を手伝いに来ない

よって、「後輩たちからの評価が低い」ということを、先日知りました。

僕は昇給や地位は気にしませんので、

  1. 管理職からは謎に高く評価され
  2. 周りの後輩たちからは評価されていない先輩

よりも、

  1. 管理職からは見えていないが
  2. 現場の後輩たちからは厚い支持がある先輩

のほうが、よっぽど健全で信頼関係が築かれていると思っています。

ただし、そのような評価体系は職員のやる気が下がってしまうものですので、早急に直すべきものだとは思っています。

僕個人としましては気にしておらず、「信頼貯金」が貯まりますので、「実際の現場で動いている先生」たちとの絆が深まるほうが、断然いいですね。

ゴマをすって成り上がるのも一つの戦略かもしれませんが、僕はそれは本来の信頼関係の形ではないと思っています。

「上から適切に評価されること」も大切なことではありますが、陰でしっかりと周りとの人間関係を固めていれば、いつか「せいじさんのためなら!」と思ってくれる人が現れます。

僕は「GIVEをすることで、築かれる関係」のほうが好きですし、気持ちがいいです。

見てくれている人は、見てくれています。

手を抜かず、仕事に全力を捧げていきましょう。

同僚との信頼関係は、上からの評価よりも大きな価値があることもある。まずは近い存在にGIVEをして、健全な人間関係を構築していこう。

正しい評価とは原始的なもの

「上から評価されるために、いい格好をすること」

これは本末転倒であると思っています。

  1. そんな姿勢は長持ちしない
  2. 周りから人が離れて行ってしまう

からです。

どこまで行っても、人は感情の生き物です。

  • 自分のことを大切に思ってくれる先輩
  • なんでも動いて行動で示してくれる先輩

こんな先輩であることのほうが、僕の「先輩としての信念」に合っています。

僕は上からの評価よりも、こうした小さいけれど強固な関係のほうが、好きなのかもしれませんね。

一所懸命に仕事をしている姿を「一瞬だけ」見られて、

せいじくんは仕事ができるなぁ!

と思われるのも不本意ですしね笑。

しっかりと普段の働き方を見てもらってから、正しく評価されたいものです。

ただ、それが「目的」となってしまっては、本当の意味での “周りからの評価” は得られませんけどね。

信頼関係を築いていくには、生徒も同僚も一緒であり、

  1. 時間がかかり
  2. 丁寧に積み上げてゆくもの

です。

いつの時代においても、「原始的な方法」に立ち返ることが大切です。

  1. 後輩を思いやり
  2. 面倒をみながら
  3. 指導して一緒に仕事をする

素晴らしい先輩に出会えた後輩は、先輩の生き方を尊敬しますし、何より丁寧に指導された経験を、自身の後輩にも「同じように」伝えるようになります。

先輩だからと言って偉ぶるのではなく、自分が後輩の立場になって丁寧に教えること。

こうして得られた周りからの評価や信頼のほうが、僕にとっては圧倒的に価値があります。

もちろん、一緒に仕事をしていく上で、管理職とのコミュニケーションも欠かせません。

一番大切なことは、複雑な手法や小手先のテクニックではなく、もっとシンプルな「愛」です。

僕はその姿勢を貫いていくことで、いつか「真の評価」を得られたらいいと思っています。

適切に評価を得たいのであれば、愛を持って接しよう。それが後輩たちに対する何よりのGIVEであり、「この人なら信頼できる」と思わせるものなのだ。

おわりに

以前も職場での態度について語りました。

結局何をしようとも、僕ら人間にとっては、

  • 仁
  • 義
  • 礼
  • 智
  • 信

のような、「人としてのあり方」を意識した姿勢が大切です。

言い方や表現は様々あるので、言葉で表すことは難しいのですが、僕が求める理想像はそのような「かっこいい生き方」だと思っています。

明日も、後輩たちにGIVEできるよう頑張りますね。

それではまた!

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