こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
ここ数年間で、僕はあまりイラだったことがありません。
精神的に余裕ができたということもありますが、たぶん根本に、
と思い始めたからだと思います。
僕は以前 “先生” でしたし、今でも教育事業に関わっているわけですから、当然「はっきりと」言うことはあります。
でも怒っているわけでもありませんし、人に変わって欲しくて言っているわけでもありません。
あくまで持論を伝えているだけです。
今日は「礼儀正しく生きること」について書いていきます。
人に言われて叱る(怒る)必要はない
僕が教員だった頃、
と言われたこともありましたし、上手く統率ができていなかったクラスの担任は、
と揶揄(やゆ)されていました。
結論、
と思っています笑。
そんなに気になるなら自分で叱ればいいですし、人の指導に口出ししなくていいのです。
学校に文句を言う保護者も(たまに)いますが、お金を払っているとはいえ、
- 学校に任せているわけだし
- そもそも家庭で教育していないのだから
言う権利なんてほぼありません。
どうしても何か言いたいというのであれば、学校に文句を言うのではなくて、お金を払って私立に行かせるか、何かしら自分の家庭で対処するしかないのです。
ただ、教師だった僕からすれば、
とは思っていましたから、それは個々の意気込みややりがい、目標によるのだと思っています。
よくなかったのは、「何か言われるんじゃないか?」と怯えながら担任をやっていたこと。
今思えば、
と思ってしまいますね笑。
そうやって他の人に「ちゃんと指導してくれ」と言う人ほど、自分で指導したがりません。
学校の先生に限ったことではありませんが、人を批判している人はブーメランが戻ってくることを知っておく必要があります。
しかも人を批判している時とは、大抵は自分のことに集中できていませんしね。
大切なこととは、
と思わないことです。
もちろん、公共の場でお子さん(あるいは僕の生徒)が走り回って迷惑をかけていたら、それは注意して指導する必要がありますけどね。
これもケースバイケースですが、
と思う感覚は「ナンセンス」です。
それくらいなら叱らないほうがいい。
本当に思ってもいないのに怒る(叱る)ことは、相手に伝わりませんからね。
怒ることは非生産的
さて、怒ることそれ自体の是非ですが、僕はこのブログを書き始めてから、
と言い続けています。
そもそも論ですが、
- 「怒る」とは感情的になることであり
- 「叱る」とは客観的に指導することをいう
というのは、有名な話ですよね。
僕が先生の後半から現在の個人事業主になるまで、比較的穏やかに過ごしてきたのは、
と思っていたからでした。
すごく疲れますし、それはお伝えした通り「感情」から来ているものだからですね。
だからそもそも、人生において「怒るような原因」を作ってはいけないのです。
もちろん、人生とは理不尽なことばかりが起こりますから、
と思うこともたまにあるかと思います。
どうしても、
- 仕事で
- 旅行で
- 恋愛で
- 友人関係で
そうしたことが起こる可能性は高いものですが、僕は全てにおいてそれらの感情的な要因を「回避」するようになりました。
それも「意図的に」です。
ストレスの溜まらない毎日を送るには、自分の身の回りの環境を変えていかなければなりません。
相手を変えることはできないのですから、自分で(自分が)変わってゆくしかありませんよね。
感情的に怒ったとしても、
- エネルギーを使うだけで
- ストレスが発散されることはない
のです。
これはそもそもの人間関係や、職場環境などが “よろしくない” ということの裏返しでもあります。
怒ること自体は不要なプロセスであり、必要な時に指導を入れたり注意を促すくらいで十分です。
怒ってしまっている人は、
と、原因について考えてみましょう。
話はそれからです。
怒っても何も生み出されませんから、「この怒りをどうしたらいいか?」と対処方法を考えることは、生活を変えるスタートになるのです。
礼儀正しさが信頼に繋がる
最近では「怒らないこと」もさることながら、僕はだいぶ礼儀正しさを大事にするようになりました。
それは、
とか、そういった類(たぐい)のことではありません笑。
生徒さんのママさんやおじさん方にも、普通にタメ語を使うようになりましたしね。
それは年齢にとらわれたくないからでもあり、敬語を使うと言う表面上のことが「礼儀正しさそのもの」だとは思わないからです。
大切なことは、もっと根本的なところにあります。
相手への敬意があるかどうかのほうが大事であって、敬語を使っている人でも「ダメな人はダメ」だからです笑。
確かに、「表面上で礼儀を大事にすること」も大切な時はありますから、それは状況にもよります。
でも根本にその前提があれば、ある意味 “カタチ” は「とってつけたもの」でしかなくなります。
僕が、
- 一礼したり
- 会釈したり
- 手刀を切ったり
することが多くなったのは、「すみません」という気持ちよりも、
という気持ちの方が、自身の根っこにあるからです。
「礼節さ」を欠いていなければ、人間関係は良好に保たれたまま続いていきます。
- 怒ることもなくなり
- 信頼も貯まってゆく
と、良いことだらけです。
このブログで書き続けていることですが、こうした「信頼貯金」がその人のあり方を表すようになります。
- 敬意がない
- 怒ってばかり
- 自分のことばかり考えている
という状況であれば、どんどん人は離れていきます。(あとネガティブ要素も)
普段から温厚で、怒ることもなく、
と流せる人は、人生をおおらかに過ごすことができます。
そこにちゃんと「敬意」も介在させることができたら、より良いことでしょう。
いつでも「礼節さ」を忘れずにいましょう。
こうした「感情」についてのコントロールは、一朝一夕でできることではありませんからね。
普段から自分のあり方について客観的に見直し、改善していきましょう。
おわりに
怒ることがなくなった僕。
そんなこと、年に一回あるかどうかくらいです笑。
人生ではうまくいかないことも確かにありますが、そんなものは瞬間的なものですから、あっという間に忘れます。
その積み重ねをしていきましょう。
それではまた!
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