海外で貧困を目にした時にどうするか【僕がしないと決めていること】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

海外にいますと、日本では見かけるのことない、いろんな人と出会うことになります。

言葉を選ばずに言うのであれば、特に目にしたのは「貧困な人」でした。

お金をください
困っているんです

と来ますと、心優しい僕はついついお金をあげたくなってしまいます。

しかし心を鬼にして、

No…

と言うことにしています。

今の所、何度か寄って来られたことはありましたが、

「現地に住む日本の方々がわかってて買ってあげている」

以外では買っていませんし、そうしようとも思いませんでした。

今日は「今とこれからの自分にできること」について書いていきます。

貧困な人を目の前にした時に、お金をあげることは正義ではない。

僕はなぜお金を渡さないのか

せいじ、見損なったぞ

と思う人もいるかもしれませんが、海外旅行経験者たちに聞けば、

それはあげなくていい

と必ず言われます。

まず第一に、僕がそこでお金をあげたところで、何も解決しないと思っているからです。

僕がどんなにお金を持っていても、いや、貧困な方々に比べれば多少は豊かなのかもしれませんが、たとえそうだとしても、僕は道端にいる方にお金を配るようなそんなことはしません。

それで貧困が解決するならば、すでにそうしているからです。

「お金を渡す」という行為はあくまで、

表面的で一過性の解決策

であるだけであり、何も生み出しません。

むしろそれによって、

また同じことをすればお金がもらえる

と彼らに思わせてしまうことのほうが、よっぽど「」だと考えています。

同じことを、ホステルのルームメイトとも話しました。

ただ同じことを繰り返させるだけであり、何の解決にもならない

彼らも同じように言いました。

お金を乞うことで、お金がもらえる。

このことを覚えてしまったら、その「手段/方法」でお金を手に入れようとしてしまう。

厳しい言い方かもしれませんが、「そんな簡単にお金を手に入れること」はいけないと思っています。

一所懸命お金を稼いでいる人に失礼だ!

と言いたいわけではありません笑。

以前から僕は、「お金は感謝の対価だ」と思うようになったからです。

それ(感謝)が巡るからこそ、景気が良くなり、街が活性化すると思っているのです。

彼らは「その日暮らし」と言う意味では、今まさにしんどい生活なのかもしれません。

ただ僕らがそれを助長することで、「負のサイクル」はどんどん悪化します。

だからこそ、個人的にお金は渡さない。

頑(かたく)なにそうしているわけではなくて、それが何も生み出さない。

そう、僕は思っているからです。

僕がお金を渡さないのは、そうしてお金を手に入れる手段は違うと思うからだ。感謝の対価として、お金はもらえるものだから。

どうすることができるのか?

結論、僕らには何もできないと思っています。

即効性のある解決策はないのです。

だからこそ、僕がお金を渡すことはありません。

じゃあ一体どうすればいいんだ?

それは僕も同じように考えていたことでした。

僕が最初にした行動は、「寄付」という行為でした。

お金を集めている適切な場所に、適切にお金を渡すこと。

そうして大きなお金が集まっているところに、動いてもらうこと。

僕はそうするようにしました。

  • 世界で戦争が起こった時
  • 日本各地で災害があった時

どちらにも、ごく僅(わず)かながらではありますが、募金しました。

別に偉ぶっているわけでもないですし、決して「寄付や募金こそが正義だ」と言っているつもりもありません。

ただこれは、目の前の人にお金を渡すこととは、明らかに違う行為だと思っています。

ここに正解はありませんので、あくまで僕の個人的な意見です。

ご容赦ください。

僕はそのような考えにいたってから、

  1. 目の前の人にお金を渡さず
  2. 機会があれば寄付や募金をする

ようにしました。

そうして「大きな力」が動くほうが、長い目で見ても効果的だと思うからです。

つまり「その国の貧困」に対しては、「その国(政府)が対応すること」が大切であり、その国に力がなくなっているのであれば、周りの国々からお金を持ち寄ってその国を助けるのです。

とても遠回しなやり方かもしれませんが、僕は多くの大富豪や豊かな人たちが、

何かできないか

と彼らなりに模索しては、寄付をしているのを見て、

なるほど

と思ったのです。

僕らはいつまで経っても小さな存在です。

それなら、できることは小さくても仕方のないこと。

寄付などして、少しでも貢献すればいいのかなと思っています。

力のない僕らにできることはほとんどない。それでも、小さいことでもできることを探すことが大切なのだ。

以前とは違うこと

僕は以前と明らかにお金の使い方が変わってきました。

以前の僕だったら、

どうして僕が頑張って稼いだお金を、貧困な人々に渡さなければならないんだ?

と、憤りすら感じていたと思います笑。(おいおい)

考え方が変わってからは、

自分や自分の近くの人、価値のあるサービスに渡していこう

と思うようになりました。

今までの「資産は全部、俺のものだ!」という発想からは、明らかに変わっていました。

貧困な人々にお金を渡さないのは、考えた上でのことであり、今までは、

誰であろうがお金は渡さない

といった悲惨な状況でした笑。

海外に来て、「配車アプリ」を使いました。

アプリについている「チップ機能」も好きでして、

  • お話が上手な人
  • 迅速に対応してくれた人

にはチップを渡すようにしていました。

彼らの「頑張り」に対して価値を感じるから、お金を渡しているのであって、

お金をください

と言ってくる人には、お金は渡せないのです。

酷(こく)に見えますが、お金を稼いだことのある人であれば、誰でも感じることだと思っています。

相手側からの「TAKE」が永遠と続いてしまいますし、こちらがなくなるまで求めてしまうからです。

結果的に誰も幸せになれません。

だから今の僕(来年の僕)は、

  1. 感謝されることや役に立つことをして
  2. 「お金」という形で報酬をいただいて
  3. 幸せになれるサービスや好きな人たちに支払っていく

ことを目標にしています。

お金は使わなければ、腐っていってしまうものですからね。

今している旅も、現地の人に感謝を示してお金を支払っています。

貧乏旅ですので笑、もしかしたら「安く買い叩いている部分」もあるかもしれませんが、自分の身の丈にあった生活を心がけているつもりです。

こんな使い方、実は去年の日本でも同じようにしていました。

今は稼ぎがありませんので笑、どうしても「貧乏マインド」で旅していますが「良いお金の使い方」をしているなぁと感じています。

考え方が変われば、行動も変わります。

少しずつですが、お金の使い方がわかってきた僕は、

どこにどうお金を支払っていくのか

について、考えることができるようになったのでした。

貧困な人に払うかどうか、サービスに払うかどうかは、考え方として一致している。しっかりと考えに芯を持たせた上で、支払う/支払わないを決めていこう。

おわりに

海外に行けば、同じ国なのに都市によって見え方が違ったり、日本以上に貧富の差に気づくことがあります。

あまり見慣れない光景ですので、どうしても手を差し伸べたくなってしまうものです。

もちろん、

生涯を通してそう生きていこう

と思うのであれば、全く問題はありませんし、時に道端の人にご飯を恵むことは悪いことではありません。

ただ、僕はそれが正解でないとも思っていますし、僕なりに決めているルールもあります。

貧困を蔑ろにしたいわけではありません。

アプローチの仕方を考えて、それぞれの方法で歩み寄って行けばいいのです。

僕も考えながら、お金を使っていきたいと思います。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました