久しぶりに行った公教育の現場を見て感じたこと【やはり縛りが多い?】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

今月、ボランティアと称して、小学校の林間学校に付き添いに行くことになりました。

事前打ち合わせとして行った会議では、先生方が頑張っており、

なんだか懐かしいなぁ

なんて思っていました。

僕も公立の高校で働いていましたから、何かこうフラッシュバックするものがありましたね。

今日は何度も書いていることですが、改めて「学校現場」について書いていきます。

公教育の現場はチーム戦だ。それゆえにできることもあるが、それゆえに縛られることもある。

公教育現場の実態

僕はたった9年でしたが、公教育の現場にいさせてもらいました。

そこで学んだことはたくさんあり、結論からいえば、

あの9年間は本当に楽しかった

ということです。

同時に、

  • やるせない気持ち
  • うまくいかないこと

もたくさん経験し、

これが先生というものなのか…

という認識も生まれましたね笑。

今回、学年の会議にお邪魔させてもらいましたが、みなさんとても明るく「いい雰囲気の学年だな」という印象を受けました。

僕も「副担任」をしたことがありますが、学年の先生方の会議の進め方が遅ければ、それで被害を受けることもありました。

学校に限らず会社などの組織は、チームで動くものですので、その分「集まる時間」が取られてしまいます。

共通認識を持っておくことは大事ですが、

それってここで話す必要ある?ってかもっと簡潔に話をしてくれよ

と思うことは、僕が先生をやっていた時によくありました。

日本の公教育や大企業が変われていない部分は、こうしたところにあります。

もちろん、率先して変わっている組織もありますが、いまだに会議やら話し合いやらがたくさんある会社は多く、

共通認識の共有以上のムダな時間」

も、多々あるのが実のところです。

集まって話し合ってはいけない

と言いたいわけではありませんが、

それ、集まってまで言うことなのか?

と思うところは、事前にレジュメに載せておいて、

あとは読んでおいてください

でいいのかなと。

だいぶ改善もされてきてはいるのですが、やはり改めて訪問してみますと、まだ少し疑わしいところはありましたね。

それを変えていかなければいけません。

公教育の場はチームワーク。

ゆえに、人が集まって話し合う時間が設けられているのが実態です。

会議や集まりなど、チーム戦で戦うことはとてもいいことだ、かと言ってムダな時間が生まれているのも事実。改善していこう。

できることとできないこと

学校はチームだからこそできることもあります。

例えば行事などである、

  • 文化祭
  • 体育祭
  • 球技大会
  • 合唱コン

などですね。

これは一人ではできないものであり、企画運営側である先生たちがチームとして団結しているから、できることです。

だから僕は、

  • 部活
  • 会議

などのムダがあることを否定している一方で、学校の雰囲気や学校それ自体もすごく好きです。

ただ、チームで動くからこそ「できないこと」ももちろんあります。

柔軟性を欠くこともありますし、先述したように「自由度の低さ」や「時間の縛り」が生まれることも事実です。

何事にも良し悪しの両面があるように、僕も公務員(教員)の良さもわかった上で、退職する決意をしました。

今でも後悔はしていませんし、別に学校現場に戻るつもりもありません。

やはり僕が9年間働いてきて思ったことは、

チームで働くにも、いろんな思想ややり方があるから難しいことがある

ということでした。

先日出させていただいた会議は、なんの問題もなかったものですが、当然のことながら、

  • 当日の流れ
  • 生徒の動線
  • アレルギーのチェック
  • 問題のある生徒の再確認

など、

我ながらよくこんなことをやっていたなぁ笑

と思いましたし、こうした大きな行事ができる一方、そこに割かれる時間やケアも多大であると感じました。

それぞれの先生のやり方もありますし、話す分量もそれぞれです。

果たしてこれが一人一人の負担分として、適切なのだろうか?

と。

学校現場が、いかに先生を欲しがっているのかがわかります。(僕も経験しましたので)

人手が足りていないだけでなく、仮に十分な人数が配置されたとしても、今の仕事が大変なのは事実です。

当然のことながら平等に負担されているとは思えず、

その先生のやり方次第じゃないか

と思っている人は多いかと。

これは会社でも同じですね。

組織には組織の「良さ/悪さ」があるんですよね。

大人数で働くことにも良し悪しがある。大きなことはできるが、いろんな思想や不平等があるのもまた事実だ。

今の僕が求めているもの

さて、ここからは完全に主観となりますが(今までもそう笑)、学校現場の良し悪しを鑑みたところ、

  1. 僕は離れる決断をし
  2. 自分で教育事業を進めていくこと

に決めました。

誰もができることと言えばそうですし、難しいものと言えばそうでもあります。

結局は自分次第なのですが、僕としては、

これもまた1つの正解だったな

とも思っています。

先日は友人たちと再会もしましたが、

こうして自由に働けている僕は、本当に恵まれているなぁ

と感じたからです。

先生であることは「保証」される面がある一方で、当然のことながら「縛られること」もまた多いです。

僕はいろいろと現状を加味した上で、

よし、やめよう

という決断をしました。

一度しかない人生、少しでも納得していないのであれば、進むべき道を変えることも必要だからです。

チームにはチームの良さがあり、だからこそできる「大きなこと」もあります。

しかしそんな “縛り” がイヤで辞めた僕ですから、それだけ「拘束力があった」ということです。

会議はどんなにスムーズに進んでも、何かのプロジェクトを成功させるためには、

  • 注意すべきこと
  • 確認しておくこと
  • それぞれが思うこと

などを共有しなければならないからです。

これにはとにかく「ムダ」が出てしまいます。

それぞれ、会議を進める能力は違うからですね。

会議はほんの一例ですが、そんなものが毎日いくらでもあります。

まず朝の打ち合わせがあるだけでなく、ちょっとした英語科同士での話し合い、立ち話なども含めれば、「自分が集中している時間」なんて本当にわずかです。

僕は今、個人事業主として働いていますが、

  • 準備する時間
  • 授業をしている時間

など、公務員時代に比べれば一切のムダがなく満足できており、また通勤や会議などもないため、こちらの働き方のほうが自分に向いていることがわかりました。

一方で、生徒と実際に触れ合うことがなかったり、みんなで何かをしたりといった面白さからは、離れてしまうことも事実です。

それは仕方のないこと。

それでも僕が現場に戻らないのは、

それだけ縛りが強い

という事実を知っているからですね。

懐かしいなとは思った会議の現場でしたが、どんなに頑張っても “ムダ” はあって自分の頑張りが直結していない感は否めませんでした。

でもこれは、一度離れてみたからこそわかったこと。

だから僕は今後も、自分なりの自由な働き方で生きていくのだと思っています。

働き方にもいろいろあるが、自分でいろんな働き方を体験することでわかることもある。縛りのない働き方を求めて、今日も働いていくのだ。

おわりに

久々に入った学校現場。

別に雰囲気が悪かったわけでもなくむしろいい感じでしたが、それはあくまで「雰囲気」の話だけであって、ムダな箇所があることは、先生方が一番よくわかっています。

「チームでやる」ということは、そうした「ムダ」も加味して動くことだからです。

その分、できることも多いですから、いいことでもあるんですけどね。

あとは自分の本心が何を求めているか。

自分の本心に従って、働き方を見直していきましょう。

それではまた!

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