こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
ここ数年、僕は幸せを求めて生きてきたわけですが、改めて考えてみますと、
と思うことが何度もありました。
そう、日本というこの国に生まれ育ったおかげで、
- 祖先の方々からの恩恵を受け
- ご飯に困ることもない毎日で
- 最悪バイトでも何でもすれば生きられる
という状況です。
世界を渡り歩いてきたからこそわかる、日本という国の素晴らしさ。
今日は「今の幸せな自分」について書いていきます。
全てがクリーンな国、ニッポン
僕が世界を回って感じたことは、日本という国自体の「アクセシビリティ(=利用のしやすさ)」の高さでした。
いろんな要素はあると思いますが、
- 島国かつ狭いこと
- 食に対するこだわり
- 完璧主義に近い職人気質
- 下水管理がしっかりしていること
など、あげればキリがないくらい、日本という国を稀有(けう)な存在にしている要因はたくさんあります。
またモラルも高く、教育が画一的であることと単一民族の国家であることから、共通理解が多く空気の読める社会が成り立っています。
他の国となりますと、そもそも国土が広かったり、内陸にあって山がないため下水処理がうまくできなかったりと、「統一性」が保てない要素がたくさんありますよね。
また日本は、歴史が古いながらも新しいことを取り入れるという「温故知新」の精神も持ち合わせています。
実はそうでもなくて、それがゆえに海外との関係性が希薄であることや、海外の人からすると住みづらかったり、同調圧力があったりと「完璧に近いからこその問題点」もあります。
それでも、
が通用する国であり、この利便性や交通の便は圧倒的に高いレベルにあることが伺えます。
僕は埼玉の田舎のほうに移り住みましたが、それでも不便さを感じたことはありませんでした。
基本的には温厚な方が多いので、その点も “日本人にとっては” 住みやすい国なのだと思います。
もうここまで書いてきただけでも、
と思うばかりです。
これも先祖代々、日本という国を敗戦や震災から復興してきてくださった方々がいるからこそですね。
まずはそこに感謝をすることがスタート地点です。
飽和状態のエンタメ
僕はテレビを捨てまして笑、ここ何年も見ていません。
規制が多くなったこともあって、以前の楽しいテレビ番組はどこかへと消え去り、今はYouTubeやサブスクの時代となってしまいました。
僕もYouTubeを楽しく見させてもらっていたはずなのに、もはや最近はYouTubeもあまり楽しくなくなってきてしまいました。
これは完全に、エンタメが飽和状態となっているからだと思っています。
どういうことかと言いますと、
- ただ働いて
- エンタメに浪費して
- 再び何かのために働く
という単純なサイクルが発生しているということなのかなと。
これが「人生をつまらなくする要因」であり、
と、賢い日本人に「考えさせて」しまうのですね。
子育てよりも楽しいエンタメが出てきて、それが少子高齢化に貢献してしまっています。
しかしそのエンタメすらも、
「古いものが消えて、また新しいものが出て…」
の繰り返しをしているに過ぎないのです。
もちろん、それこそが社会であり、時代の流行りや流れ、人の考え方や生き方が変わっているからこそ起こる事象でもありますけど。
日本などの先進国はインフラが整っているからこそ、そうした「エンタメ」に手を出せる余裕があります。
しかしそれは、ずっと天井のない空に向かって手を伸ばしているようなもの。
確かにエンタメは人生を豊かにしてくれますが、そこに頼ってしまっていては、「本当の幸せ」を見つけることはできません。
以前の僕が、
- テレビをつけて
- パソコンを開いて
- スマホをいじっても
満たされたかったように。
それは単なる「消費」に過ぎないということ。
だから本来は、エンタメを超える「幸せ」を探さなければならないのです。
もしかしたらそれは家族かもしれないし、友人かもしれない。
回り回ってエンタメそのものかもしれないし、何かを生み出すことなのかもしれない。
それはそれぞれが、追求して求めていくものなのだと思っています。
今の僕にとっては、キレイごとに聞こえるかもしれませんが、「社会に貢献していくこと」が最大の楽しみです。
例え目の前に一人しかいなくても、その人に最高のサービスを提供することが「幸せ」なのです。
幸せを感じられない人へ
そんな日本ですら「幸せを感じられない人」は、どこかで感覚が麻痺しているのだと思います。
何もかもが簡単に手に入る時代で、下手したら家から出なくても、
- 在宅勤務して
- Amazonでものを頼んで
- 家で映画や動画を楽しんで
- Uber Eatsでご飯を頼んでしまえば
毎日が満たされる “ような” 感覚に浸ることができます。
僕がそれをしないのは、そこに『幸せ』を感じないからです。
もちろん、それは人それぞれの感覚ですから、
というつもりはありません。
ただ先述した通り、エンタメが飽和状態になっている日本では、アクティブに生きていなければ、ただの消費の人生を送ることになります。
ということを考えればいいだけであり、僕にとっての答えはシンプルに「NO」でした。
それよりも、
- ちょっとでも晴れた空を見る
- 自然の匂いを嗅(か)いで季節を感じる
- 友人と未来について語りながら食事をする
- 真剣に英語を教え、その人の未来に貢献する
など、自分なりの幸せを見つけたほうが、当然のことながら「幸せ」になることができました。
常に毎日、「当たり前のこと」に感謝することなんじゃないかなと。
その上でエンタメを楽しむこと。
要は、まず自分なりに幸せを突き詰めるということですね。
日本はもうすでに豊かであり、個人にいろいろと諸事情はあるかもしれませんが、
- 幸せを選んでいけるし
- 多くの人がすでに幸せである
と思っています。
普段から日本という環境に感謝することができていないと、グチや不満ばかりに目がいってしまうのです。
この環境下で最低限生きていけているなら、僕らは不幸なんかじゃない。
「楽しいこと ≒ 幸せであること」
ではありませんからね。
今自分がここ日本にいて過ごせているだけでも、僕は十分に幸せを感じています。
おわりに
この日本にいるという事実に、まずは気を配ってみることです。
特に海外に行かれた方は、よりその凄さがわかるのではないでしょうか。
もちろん、日本にも課題はありますし、幸せの定義もまたそれぞれ違います。
ただ僕は海外を経験して今、こうして日本で “普通に” 働いていますと、
と思ってしまいます。
みなさんも、近くの幸せを感じてみてはいかがでしょうか。
それではまた!
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