30代が群馬で抱いた畏敬の念とは【美術と自然】

幸せ

こんばんは。

群馬県に小旅行をしてきましたが、神奈川には3時間程度で戻って来れますので楽勝です。(?)

それにしても群馬の美術館はどれも素敵でした。なんと都内と違って200〜500円で入ることができました。激安!

最高の体調を読んでいましたら、ちょうどアートについての言及があり、結論から言うと体にGOODだそうです。

今日はそんなアートや自然の共通点、メリットをお伝えしようと思います。

人を超えた作品

今回は群馬県立近代美術館高崎市タワー美術館高崎市美術館の3つをなんと1日で回りました笑。

美術館めぐりをしていると、まず感じるのがその作品たちの大きさです。

美術館に行ったことがない人でも、大阪万博の太陽の塔(岡本太郎)やちょっとした有名なところにある大きなモニュメントをみては「スゲェ…」と息を呑んだことがあるかと思います。

僕はみなとみらいに行くたびに「このランドマークタワー作った人たち、すご過ぎる…」と思いますし、富山県の黒部ダムに行った時もその大きさに圧倒されたものでした。

多くの人間が時間と労力をかけて作り上げたものに感心する感覚と似ており、一人の人間が何日もかけて作った作品というものは、それを見ているだけでその場に佇んでしまうほどの威力を発揮しています。

また逆にちょっとした小さな作品であっても、緻密に描かれていたり素人が見ても明らかに「何日もかかったでしょこれ?」と思えるレベルなら大きさに関係なく驚きますよね。

大きさは確かに一つの指標ですが、実際にすごいと圧倒されてしまうものであればその時点で人間の域を超えたもののはずです。

そうやって「すげぇ」とアートや自然に畏敬の念を示した人ほど、「死亡率が減少した」というデータがあるそうです。

こう何かに対してリスペクトしたりすごいなって思うことは、感覚として別に幸福や人生の糧に直接的に影響しないような気がしますよね。

死亡率が下がったからなんなんだよってね。

でも一方でえも言われぬ感情が込み上がってくるのもまた事実です。

僕はそうやってすごいなって思えるものに出会える回数とか経験のほうが大切だと思っています。

多くの人が自然や名所を見るために頻繁に出かけたりするのですから、そのスケールの大きさ(物理的にとは限らない)に感心するのが美術作品のような人によって作られたものだって別にいいと僕は思っています。

「これ人間業じゃねぇよ…」と思えればそれだけで価値のある時間・経験なんじゃないかなって、そう思うのです。

大自然

自然は直接的に人に良い効果をもたらしますから、公園や森林はGOODです。

すずきは名所なども人生という短い時間でできる限り回りたいと思っています。

群馬県では貫前(ぬきさき)神社につれて行ってもらいました。

そこにある大杉がとても荘厳であり、そこに囲まれていた神社は神秘的で「夏に来てよかった!」と思いました。しっかり森林浴。

大杉もまた単純にどデカいですし、樹齢もそこそこですから見上げているだけでひれ伏してしまいそうでした。

神社や仏閣がなぜパワースポットなのかと言うと、やはりそこに歴史を感じることができるからだと思いましたね。

また貫前神社には人が少なかったこともあってか自然と一体となる感覚もあり、それがまた都会で感じることのできないパワーをもらえた理由でしたね。

さらに白衣(びゃくえ)観音と呼ばれるものすごく大きい仏像や、洞窟観音徳明園といった名所も回りました。

人の手によって何年も前に作られたものと長い歴史を持った自然がそのまま残っている場所というのは、それだけで価値のあるものだと改めて思いました。

よくパワースポットなんて言われますけど、あれって別に向こうから一方的にパワーを送ってるわけではなくて、自分がその場でどう向き合うかで力が勝手にみなぎってくるという意味だと思っています。

だからパワースポットに行くことで、抽象的でもいいから何かしら感じることができれば、それだけで間接的にでも何かしら人生に影響があるはずだと信じています。

大切なのは、そうした自分の想像のはるか上をいくものと対峙すること

それだけで新しい経験になりますし、場合によっては人生を変えるものになりうるかもしれません。

僕の友人は「オーロラを見て欲しい。人生が変わるから」とよく言ってきたくらいですからね。

マインドフルになる

最近、第2話まで放送されたサ道2021でサウナについての言及がありました。

サウナに行くとなぜかいろんなことを忘れることができるよねという話になり、それに対しての答えが「サウナに入ると頭で考える理性的な状態から、瞑想に近い感覚的な状態にスイッチングするからじゃないか」というシーンがありました。

なるほどたしかにそうだなと思ったのですが、実は美術館でもその効果が発揮されたと感じたのでした。

これはすずきにとっては読書中にもよく起こることなのですが、簡単に言うとそこに集中してしまうというものです。

群馬県立近代美術館に入り始めて何個か作品を見始めた時は、反対方向のバスに乗ってしまったことやらなにやら頭の中をグルグルしていたのものです笑。

それがいつの間にかそのことはすっかりと頭からなくなっており、美術作品を近くで見たり遠くで見たりしていたら、しっかりと美術館の時間を楽しんでいました。

社会人になって何かに集中することって、みなさんはありますでしょうか。

僕は職業柄、授業中はアクティブに動き回ったり話したりしてしまいますし、事務的な作業と言ってもたかが知れてるレベルですかね。

鼻呼吸でじーっと何かに集中するとすれば、授業のための勉強とか読書くらいなものです。

しかし美術館というその静かな環境と圧倒的な作品たちを前にすれば余裕です。

あっさりと別の世界へといざなってくれます。余裕で全集中ですね。

美術館に限らなくても、家やどこかの時間で何かに集中できるってとても大切です。

過去も未来も不安も苛立ちも全て消し去り、目の前のものに没頭・集中するっていうのは脳を休めるにもいい時間なんじゃないかなと。

一回そういったZONEに入ったような時間を獲得することができれば、君と夏の終わり、将来の夢、大きな希望を忘れないことができるでしょう。

すずきの場合ZONE(あるいはFLOW)に入ったあとは、悩みとか不安がどうでもなることが多いです。

ぜひ皆さんもそんな時間を見つけてみてください。

おわりに

自然や神社・仏閣、美術館から読書まで、行くだけで/行なうだけでとても大切な時間を過ごしていると感じています。

それはとても抽象的で、自分でもこう説明することができないのですが、単純に人生の中で「朝起きて職場に向かって仕事して疲れてイライラして帰って無駄な時間をダラダラ過ごして寝て土日は体を休めるために使う」っていうのが、僕はイヤなんです

めちゃめちゃ悪い言い方をしましたが、意外と心当たりのある方は多いのではないでしょうか。

ダラダラっと過ごすのがポリシーだと言われたら反論はできません(もとよりその人の生き方を否定はしない)が、「すずき」という人間の器をもらった「すずき本体(魂)」的には、この体を存分に駆使して動かすのが最適解なのです笑。

そのためにこの器を鍛えあげ、疲れないようにしています。(本体談)

とまぁサイコパスみたいな考え方はさておいて、また少し学校に行ったらいよいよ夏休みです。

去年と違って少し可動域が広くなったので、また各所で新たな経験を積むすずきを見届けてやってください。

それではまた!

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