こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕といえばルーティン。ルーティンといえば五郎丸歩。
「ルーティンの鬼」とまで呼ばれた男は、「修行僧でも目指しているのか?」と問われるほどになりました。
今日はALTのおじさんと「中毒」について話していたところ、
「すずき、君は何か中毒になったことがあるのかい?」
と聞かれましたので、「はい」と答えました。
「ここ10年以上、ずっとダンス中毒」だと。
そしたら「それは中毒ではないよ笑」と笑われてしまいました。
自他共に認める「変態」という道を進み続ける僕は、一体どうしてそんな「ルーティンマインド」をもっているのか。
早速書いていきます。
自分自身のためにルーティンを行なう
僕は言うほど「ルーティン野郎」ではありませんでした。
以前は、
- その日その日に食べたいものを食べたり、
- 突発的な飲み会にも、文字通り飛んで参加していた
ものでした。
しかしコロナや離婚の影響もあってか、
- 自分や自分の周りの人の幸せ
- 資産や仕事
- QOL(Quality of Life=生活の質)の向上
などを考え始めました。
この信念は1年前ほどからずっと変わっておらず、
「穏やかに過ごしながらも成長し続けていきたい」
という思いから、ルーティン計画がスタートしました。
とにかくただ人生をよくしていきたいという、とてもシンプルな考え方が根底にありました。
習慣超大全という書籍を読む前から、少しずつ生活習慣を見直していたので、ここ最近はルーティン化したことがベストに近づいているのかなという感覚です。
ただ正解はないのもまた「真」です。
- 「自分が納得できているか」
- 「バランスを保てているか」
- 「自身の体やメンタルに合うかどうか」
なども関わってきますので、微調整しながら過ごしています。
ルーティン化した生活していますと、同僚から「君は本当にman of routineだね」と言われました笑。
意訳しますと「すずきは川崎が生んだルーティン野郎だ」という意味になると思いますが、真実は誰にもわかりません。
言い方を変えますと、「徹底している/ストイック」という表現になるかもしれません
しかし、僕は無理にダイエットしたり運動したりするのは嫌いです。(否定はしません)
シンプルに自分自身の人生のためにやっていると言ったほうが、合っているのかもしれませんね。
少し壮大な話になってしまうので、ルーティンは僕の「趣味の一部みたいなもの」と認識してもらうほうがいいですね。
人によっては「好き/嫌い」「向き/不向き」がありますので、「生活習慣をルーティン化していくこと」は、たまたま僕の考え方に合っていたというだけでもあります。
以下、僕なりのルーティン化のメリットをあげておきます。
- 身体が体調の変化や異常事態をすぐに察知してくれる
- 単純に体調やメンタルが良い。安定する。
- 考えなくて済むので、無駄に思考することがない。
- 生活のリズムがととのう。
- 大好きな「修行をしてる感」を味わえる笑。
- 少しずつ前に進んでいる感覚がある。
などでしょうか。
以上あげただけでも「僕自身にとって」はプラスに働いているので、続ける理由はこれで十分かなと思っています。
ある意味中毒ですね。
自分自身をよく見るようになる
「すずきは何か中毒になったことはないのか?」
とALTのおじさんから聞かれた件ですが、僕は本当に、
- 賭博もやらなければ
- タバコも吸わない。
- アルコールも好き好んで飲むわけではないし、
- SNSもそんな見ない。
- ゲームもしない…
強いて言うなら「YouTubeを見る時間」は多いかもしれませんが、中毒かと言われるとそうでもないよなと首をひねっていました。
ふと思い返してみますと、甘いものやお菓子やジュース、脂っこいものなどの中毒といえば、そうだったのかもしれません。
ただ強度の高い運動をしてしまっていたために、「ジャンクフードの中毒者」と呼べる体型ではありませんでしたね。
引き続き考えを巡らせていますと、ALTのおじさんが、
「今やほとんどの人は中毒者だよ。
スマホやゲーム、アルコールやギャンブル、薬にセックス、ジャンクフード…
むしろそっちのほうが多数派なんじゃないかな」
と言いました。さらに、
「え、ダンスの中毒?
ダンスなんて健康的なものじゃないか!
僕は歌うことと踊ること、この2つは世界で一番素晴らしいことだと信じてるんだ」
と面白いことを言っていました。
つまり僕が思ってた以上に僕は「変態」であり、「常軌を逸している」ということらしいのでした笑。(いい意味で)
でも実は全然偉そうなことは言えないのです。
ジャンクフードの中毒者というほどではなかったものの、以前は「怠惰で自堕落」な生活を送っていたものでした。
今となれば「あれほど無駄な時間はなかったな」と思わざるを得ません。
何を持って「無駄」と定義づけるかは人それぞれですが、少なくとも僕は何も考えずにグダグダと生活していました。
明らかにダメだったなと思っています。
- 現在の生活や将来のことに目を向けて、
- しっかりと考えて向き合ってみて、
- まずは生活をルーティン化させてみようと思って、
- 行動し続けてみたところ…
驚くくらい自分を見つめ直すようになりました。
だから「昔の自分」と比較し始めるようになったのだと思います。
ある程度のルーティンが生活に根付いてくればこっちのものです。
- たまに散財してもいいし、
- お腹いっぱい食べてもいい。
- 友達と飲み明かす日もあっていいし、
- ただただぼーっとする日があってもいい。
自分の中に「これだ」と思える習慣や安心できるルーティンさえあれば、またそこに戻ってくればいいだけですからね。
「気持ちのいい、幸せを感じられる日常のルーティン」と「たまの休みの非日常の体験や未知で贅沢な体験」が合わさって、よりよい人生になっていくのかなと思っています。
続けていることの理由は後付けでよい
週2〜3回の10㎞のランニングから帰ってきますと、同僚の若手から、
「すずきさんはどこからそのモチベーションが出てくるんですか?」
と聞かれたことがありました。
以前にも書きましたが、僕にモチベーションなんてそもそもありません。
強いて言うなら、
- 「ずっとこうして運動を続けていきたいし、自分の体を鍛えていきたい」
- 「自分の体を大切にしていきたい」
といったところです。
ルーティンがひとたび定着してしまえば、もはや理由なんてないのです。
さきほどあれだけルーティン化のメリットを散々言ったのですが笑、僕はルーティンが長期的に崩れると気分や体調が悪くなってしまうという体質になってしまっただけなんですよね笑。
大学院時代、英語教育の議論の最中に教授が言っていた言葉を覚えています。
「Why do you like it?のように、好きなものの理由聞く人がいるけど、あれって答えるの結構難しいんだよね。
だって好きなものに理由なんてないじゃない?」
その時は「なるほど」と思いましたね。
「ルーティン」という言葉は聞こえはかっこいいのですけれど、要は好きだから続けていることであって、そこに理由なんて特にないっていうことが極論なんです。
何においても言えることですが、その人がずっと続けていることは「ただ単に好きで好きで仕方のないこと」であることが多いと思います。
もう体に染み付いてしまっているだけなのです。
だから別に無理に理由を探さなくてもいい。
- 自分の心の奥底から欲していることでも、
- 無意識だけど続けていることでも、
始めたら続けていけばいいのです。(ネガティブで中毒的なことでなければ)
理由は後付けでかまわないのだと、最近はそう思うようにしています。
おわりに
僕はどうやら、「なかなかいない珍しいタイプの人間」のようです。
しかし、昔からこうだったわけではありません。
今こうして行なっている行動も、正義や正解というわけでもありません。
ただ単純に自分についてたくさん考え、いろんな本を読み、試しているだけなのです。
それがまた、僕の人生の楽しみにもなっています。
今こうして幸せな時間・場所・人を探しながら、自分のルーティンで自分を磨き、生活を向上させていく実験をすることが、とても楽しいのです。
だからストイックというわけではありません笑。
人生いつまでも上り坂であって、「ここがてっぺんだ!」と思える時はないのですから。
生活習慣や運動をルーティン化しつつも、成長もしていきたい。
目指すはゾロのような強い漢ですね。
それではまた!
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