こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、ダンスの先輩でありながら、学校で働いている教員でもある方と深く話をする機会がありました。
現在彼はいわゆる「進学校」に務めており、僕はもう少し学力が下の生徒を教えています。
彼が言うには、
ということでした。
僕自身が「進学校」に通っていたため、なんとなく「斜に構える」ような感覚はわからないでもありませんでした。
今日はその点を切り口に、教育における大切なポイントである「生徒はどうあるべきか」について語っていきます。
進学校の闇?
以前、頭の良さがいいかどうかについて記事を書きました。
僕自身も進学校出身ということと、前任校もまたなかなかの進学校でしたので、その習性というか性格といいますか笑、そこらへんはなんとなくわかってはいるつもりです。
進学校で一番イヤなポイント、それが「人生を舐めている」です笑。
いえ、全員が全員というわけではなく、
- 素直で優しく
- 謙虚でたくましい
そんな生徒たちもたくさん見てきました。
しかし中には、
と勘違いをしている生徒もいて、先生としてはやりづらい部分もあります。
若かりし教員時代はまだ、僕もそんな性格でしたので、
「大の大人が高校生とバトる」
と言った、しょうもないこともありました笑。
僕が散々言っています「日本の公教育の課題点」が、ここでも出てしまっていると思っています。
進学校にいる方、あるいは出身の方に勘違いしてほしくないのは、
「頭の良さが全てではない」
ということです。
もちろん、いわゆる「学力に課題のある学校」で教えている僕からしますと、
- 人の話しを聞いていない
- 話を噛み砕かないと伝わらない
と言った、進学校の生徒との「理解能力の差」を感じることも多々あります。
これは生きていく上でとても大切なことではありますから、決して「勉強なんて意味がない」と言うつもりはありません。
一方で「それが全てではない」こともまた、事実ですよね。
- 生涯学習
- EQも磨く
と言った両者のバランスをとりながら、生きていかなければならないのです。
それぞれの良し悪し
いろんな生徒たちを見てきましたが、
- 進学校が腐ってて、
- 困難校は人がいい。
と思ったことはありません。
進学校にもその良さがあり、素直でいい子たちもたくさんいました。
ただ一方で「完全に受け身の生徒」もいて、
- いわゆる「指示待ち人間」みたいになっている生徒
- ルールにがんじがらめになることを「正義」としている生徒
そんな生徒たちも見てきました。(進学校に限りません)
しかしこれらは「大人たちが作った社会や、システムの影響だ」と、僕は思っています。
と思うことさえありました。
そう言った意味では、「斜に構える」という姿勢がプラスに働くこともあります。
頭の良さゆえにそう思う生徒もいたり、単純に感情的になって「納得できない!」と言う生徒もいます。
いずれにせよ、僕はそうした「反抗的な生徒」はとても大切な存在であるとも認識しています。
僕が高校生の時にそうであったように、
- 自分の能力に勘違いをしつつも
- 現状のシステムに不満を持っていた
からです。
僕が現在の働き方に疑問を持っているのは、そういった「マニュアル通りに生きたくない」というルーツを持っているからなのかもしれません。
ボトムアップではないですが、生徒たちから「現状の改善を申し出ること」は、先生や学校という組織においていい意味で「脅威」となります。
場合によっては家庭で生徒と保護者が話すことで、最終的に学校に意見を通すこともできるからです。
また勉学が苦手な生徒たちも、その自由さゆえに「そんなの聞いてられるか!」と反抗することがあります。
納得できないことに「違うのではないか?」と素直に反論することもまた、とても大切なことだからです。
いろんな生徒がいることで、学校がより活性化されていくのです。
生徒たちには自分で考えてほしい
大切なことは、
- 言われてやるのではなく、
- 自分で考えて行動すること。
です。その中で、
- 勘違いせず謙虚に、
- 頭も心も磨いてほしい。
そう思っています。
もちろん「ものすごく理想的な姿」なのかもしれませんが、僕はそうやって成長していた生徒も見たことがありました。
そんな生徒を見ますと、感激してしまい、
とさえ思います笑。
間違ったっていいですし、時に調子に乗ってもいい。
言われたことをきちんとこなすことも大切ですし、時にシステムや環境に疑問を持ってもいい。
いつもそこには「必ず自分で決める」という発想があってほしい。
それだけなのです。
そうすれば、自分のやったことに対して責任を持てるようになりますし、何か勘違いしていても、誰かのせいにしなくなります。
舐め腐っている生徒に関しては、個人的には「それはそれでいい」とも思っています。
その中で、少しずつ足りないほうを学んでいけばいい。
思いやりや謙虚さです。
と言うことは、勉強が苦手な生徒はどこかで、本腰を入れて学ばなければいけないということでもあります。
どちらも「できなければならないもの」ではありませんが、人と出会っていく中で「自分に足りないもの」を埋めていけばよいでしょう。
- 時に誰かに頼ったり
- できないことを頼んだり
することもまたいいことです。
生徒たちの未来はこれからですからね。
そんな未来を支えていけるように、僕ら大人も全力でサポートしていきましょう。
おわりに
- 受け身の生徒
- 舐めている生徒
- 指示を待っている生徒
- 調子に乗っている生徒
様々いますが、どれが正解ということはありません。
僕ら大人も間違えたり勘違いしたりするように、生徒たちもまた未熟だったり、逆に達観していたりします。
その都度自分で考えて「なりたい自分」を目指して生きていけば、それに越したことはありません。
そんな生徒たちになってもらえるよう、僕は自分の背中を見せてやることも大切だと思っています。
様々な生徒と関わるほど、学ぶことが多いです。
自分の糧に、また今後の教育の糧に、して生きたいと思います。
それではまた!
コメント