こんばんは。せいじです。(@seiz_suzuki)
今日はニュースに敏感でもなければ流行にも乗らない、僕のメンタルについて語ろうと思います。
みなさんは何かこうミーハーになるようなことはありますか?
僕も学生たちと一緒に話をしていると
- 「TikTokが面白くて」
- 「先生これは見てください!」
と聞きますが、ポカンとしてしまいます。
僕がどういうメンタルでそうした話を聞き、最新の流行に対してどのような感覚を持ち合わせているのか。
探っていきましょう。
あまのじゃく
昔から僕はあまのじゃくでした。
みんなが好き好んでやっていることに、どうしても乗り切れないのです。
「人と違う道を行きたい」と言ってしまえばかっこいいのですが、別にそういうことではありません。
ちょっと斜に構えているだけなのです。
ニッチなところが好きというか、自分が「これだ!」と思えるものしか見なかったりやらなかったりする気質がありました。
兄も妹もバドミントンをやっていましたが、僕は
- マイナーだった器械体操をやったり
- 大学ではブレイクダンスを始めたり
サウナに関しても流行る少し前あたりから始めたので、
という感覚はゼロでした。
そういえば大学時代、
「ある集団が建物を見上げているとき、通行人はつられて建物を見上げてしまうのか」
という実験がなされている現場の横を通りかかったことがありました。
と気づいたのち、
と思って素通りしたことを今でも覚えています笑。
他にも、
「公道や学校前を、バイクでブンブン言わせてるヤンキー」
はまったくもって見向きもしません
群衆という名の頭のない大きな怪物に惑わされてはいけない。
そう自分を自制していました。
大衆に惑わされない
これは。最近断ち始めたテレビにも密接に関わってきます。
コロナもオリンピックも、最新の情報をいち早くゲットしたいところだったのですが、そのような流行り物に飛びつかないようになりました。
- そういう姿勢がカッコよく見えるわけでもなく
- 常に新しい情報を知っていることで「この人は流されている人だ」と見なす
どちらもおかしな話です。
ここで僕がおかしいなと思った一つの例が衝動買いです。
特に去年と今年で、
- マスク
- トイレットペーパー
が品薄になりましたよね。
と思いました。
これを群衆心理というのでしたっけ?
一方でインフルエンサーやYouTuberは、そういうところで戦う必要のある人たちです。
最新のものをレビューしてくれたり、彼らが取り扱う商品だからこそという信頼性も高いからです。
しかし一般の人たちが、新しいものに飛びつく必要はありません。
アニメや映画に関しましても、
- 結局、鬼滅の刃は見に行かず、
- 呪術廻戦も流行りのピークを迎えた後に見始め、
- 東京卍リベンジャーズは今更見ていて途中でストップ
です。
このように、みんなが飛びついているものにすぐには手を出さないスタイルを貫いています。
「流行っているもの」に対して、距離を置いてしまうのです。
あまのじゃくを発揮しております。
でも果たしてそんな姿勢でいていいのでしょうか。
僕なりに流行りに乗らないメリットを考察してみました。
衝動買いをしない
群衆に流されてついつい買ってしまう癖がある人は要注意です。
僕は悩みに悩んで、結局買わないなんてことはざらにあります。
と考えることはとても大切です。
流行っているものに飛びつかなければいけないという法律でもあったとしたら、庶民である僕らはいつか息切れして野垂れ死んでしまいます。
これには「もの」だけでなく、
- 一世を風靡したタピオカ
- インスタ映えするお店やカフェ
なども当てはまります。
もちろん全てを否定しているのではなく、それらを「衝動的に」行なうこと自体に僕は違和感を持っているのです。
と自分に言い聞かせるようにしています。
浪費(自分へのご褒美や幸福度UP)として割り切ることができているのであれば良いです。
自分の感情とうまく付き合えている証拠ですね。
情報に流されない
「購買」に限らず、情報にも同じことが言えます。
去年の僕は目も当てられず、毎日テレビに釘付けになって新しい情報をキャッチするようにしていました。
その反動が今です。
反動として僕の身に何が起こったのかと言いますと、単純に疲れてしまったのです。
「もの」と一緒でして、常に最新の情報にアップデートしていくというのは聞こえはいいのですが、シンプルに疲れます。
コロナの最新の情報はとても大切なのは間違いありません。
未曾有のできごとであるため、日々情報が更新されていきます。
ただ一方で、常に警戒態勢でいることは人間としてあまり備わっていない機能なんだと、最近読んだ本に書いてありました。
それはとてもストレスになり、狩猟していた時代の一過性の「猛獣へのアラート」とはわけが違うのだそうです。
- 不安である
- 将来が真っ暗だ
- 常に何かに脅かされている
という感情を抱くのは、現代人特有のストレスです。
「なんも知らない」は振り切り過ぎていますが、ほどよい距離感を保つのは大事な姿勢かもしれませんね。
自分に集中する
テレビやインフルエンサーを「悪」だとは言い切りませんが、それらを盲目的に信じたり、あるいは、
と言って何も考えずに行動に移してしまったりするのは、「思考停止状態」に陥っている証拠です。
大学で経験した実験のように、周りのみんなが目をキラキラさせて見つめているものってどうしても見たくなってしまいます。
そこで特殊能力「あまのじゃく」の発動です。
安易には乗る必要はありません。
まずは一歩引いて「冷静ゾーン」に入ります。
これはどの場面でも威力を発揮します。
例えば討論や口論、あるいはちょっとしたいざこざや生徒同士の喧嘩など。
すると本当に重要な核の部分が見出せるようになります。
大衆や群衆に自分の時間や資産を割くのか、それとも自分という大切な存在のために時間や資産を投じるのか。
答えは火を見るよりも明らかですね。
おわりに
元はと言えば、僕の「あまのじゃくの気質」がそうさせているような気もしますが、
「何かに流されてしまうと自分の時間が奪われる」
ということを、去年痛感しました。
自分と向き合う時間をたくさんとることで、人はもっと幸せになれますしもっと充実した時間を過ごすことができます。
間違えてはいけないことは、
「大衆に流されること=自分の好きなことをしていない」
という公式が成り立つわけではないということです。
自分がしっかりと考えた上で譲れないものだと確信したのであれば、大衆に紛れたって構いません。
それが幸せに直結しますから。
自分で掴みとったものという意識があるのとないとでは別物だと、僕は思うだけです。
また流行っている物だからと言って、
- 拒絶したり
- 喰わず嫌いである
これもまたよろしくありません。
僕は少し時間をおいてからちょっとずつかじっていく「臆病なリス」のようなものです。
ふと冷静になって自分の内側を見つめれば、きっと正しい答えがあるはずです。
僕も周りに流されずに自分を強く持っていたいと思います。
それではまた!
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