こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、異動して今は違う高校にいる同僚と会った時に、自分が教員を辞めることを伝えました。
もちろん、驚かれました笑。
そして、
と聞かれました。
僕は「ん?」と思いました。
この引っかかるなんとも言えない思い…
今日は僕が「適正なリスクを取れるようになったこと」について、書いていきます。
無謀と挑戦は違う
僕が昔読んでいた体操の漫画「ガンバ!Fly high」では、跳馬で新技を強引に決めにかかる生徒に向かって、ロシアのコーチがこんなことを言います。
勇気と無謀は違うんだよ。
彼は相手チームに挑発されて、技に挑戦しました。
結局、怪我もなく演技は終わりましたがその後コーチに抱きしめられ、この言葉を言われ号泣するというものです。
このシーンは、よく言われる「無謀と挑戦は違う」という表現と似ていると思います。
元同僚からふと聞かれた「勝算はあるのか」という言葉に対して、この漫画の1シーンを思い出しました。
確かに僕は、
と考えたこともありました。
しかし人生について真剣に考え抜いてみますと、
と思うようになりました。
だから教員をやめることは、「無謀」ではなく「挑戦」なのだと、今ならはっきりとわかります。
今回、このような言葉を投げかけられて、特に狼狽(ろうばい)することもなかったのは、
「僕が人生について何度も考えてきたから」
です。
でも実を言いますと、以前は「そちら側」、つまりその先生の考え方でした。
僕がまだ先生になる前は、
という考え方をしていたということです。
- 安定しているのか
- このまま職に就いても大丈夫なのか
と。
確かに、自分の人生の「波」があまりにも激しいと、できるものもできなくなってしまいます。
ただ僕は、もう十分安定した年数を過ごしました。
自分の人生や、やりたいことについて何も考えず、ただガムシャラに働いていた時間は終わりました。
今はリスクを取るときです。
今リスクを取ることができなければ、僕は必ず後悔して死ぬことになります。
そう思ったのです。
勝算なんて誰もわからない
この言葉にはもちろん悪意はありませんし、単純な質問だと思っています。
その先生を悪く言うつもりはないですが、そういう言葉が出てきてしまうということは、以前の僕と同じマインドであるのかなという印象を受けました。
今「リスクを取ること」について考えてみますと、当時の考え方にツッコミを入れることができるからです笑。
と。
勝算がわからないから、リスクを取る。
確かにほぼ100%わかることもあるかもしれませんし、リスクを小さくして致命傷を負わないこともできます。
ただ、今の僕の仕事では、リスクを取りに行くことができないのです。
勝算があるなしに関わらず(多少は理想を描きながらも)、
- 仕事を辞めて、
- チャレンジしていく。
これしか選択肢はないのですね。
その点を気にしているということは、「失敗したくない」という気持ちがあるからです。
リスクを取るということは、失敗も必ずついてきます。
それを理解した上で、挑戦していくしかないのです。
勝算があるかどうかなんて、考えたところでその通りにいかないことだってありますし、今は不確定要素の多い時代です。
まずは飛び込んで、やってみる。
そこから突っ走っていくしかないのですね。
適性なリスクかどうかは本人のみぞ知る
「勝算」という言葉と同時に、
とも言われました。
ここまで考えてきますと、
と思ったのです。
確かに新しいことを始めていくことは、勇気のいることかも知れません。
知らない世界に飛び込んでいくのですから、0から全て学び始めなければならないからですよね。
それを褒めてくださったのだと思います。
しかしそれは裏を返せば、
と言っているように聞こえました。
間違っていないはずなのですが、僕にはどこか引っかかる部分がありました。
でも、
こんなことを考えるようになったなんて、だいぶ僕も変わりましたね笑。
以前はこんなことを考えたことすらありませんでした。
人にはそれぞれ許容できる「リスク」がありますから、
「会社を辞めたければ、辞めてもいい」
という「シンプルな話」ではないのも事実です。
でもその先生からすれば、僕がまるでジャングルに飛び込んでいくくらい、危険をおかしているように見えていたのだと思います。
確かに僕が「丸腰であれば」そうかもしれませんが笑、それがその先生にわかるはずがありません。
つまりその先生の思考の中で、
「僕が教員を辞める=危険の身に晒されにいく」
という公式を、勝手に想像していたということですね。
これってとてもおかしな話だと思います。
「失礼だな!」とはさすがに思いませんでしたが、
- それは本人にしかわからないことであり、
- 自分で決めたことだから特別に勇気を振り絞ったのではない。
そう思ったのです。
「職を辞める」ということは、勇気でどうにかできる話ではありません。
各々が、必死に考えて絞り出した答えなのです。
言葉に気をつけて欲しかったわけではありません。
と思ったのです。
どちらが正しいというわけではなく、片方の考え方に偏ってしまいますと、
- 「安定した職を!」か、
- 「みんな転職/辞職すればいい!」のどちらか。
という極端な考えになってしまうのだなと、その先生の言葉を聞いて感じたのでした。
どっちであったっていい。
結局は自分で決めたことなのだから、あとは各々が自分でなんとかする。
それだけです。
おわりに
ふと言われた「勝算はあるのですか?」という言葉。
そこにはやはり、裏の意図が見え隠れしていました。
と。
その先生の発言に対して、ネガティブな感情は抱いていませんが、
- 自分もそうだったということ。
- 人の選択や決定の裏まで読み取ること。
は大切だなと感じました。
今の時代は、どう生きるかを決めるのは自分であり、やってみないとわからないことだらけです。
しかし変わらない事実は、とにかく人のことを考えて行動し続けること。
来年(2023年)に向けてさらにやる気が出てきました。
頑張ろうと思います。
それではまた!
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