知らない間に感謝されている男【自分の信念を貫いてゆけ】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、授業をしようと思って待っていましたら、以前に教えていた生徒さんが入ってきました。

せいじさん!せいじさんから話を聞いてから、いろいろと考えて職を辞めました!あの時は本当にありがとうございました!今日は感謝を伝えたくて…

と言われました。

以前も英検1級を指導した際に感謝されたことがありましたが、今度はまさかの人生論についてでした。

いずれにせよ、これは嬉しいことです。

教育者冥利に尽きるというもの。

今日は自分の信念を曲げずに進んでゆくことも含めて、書いていきます。

自分の持てる全てをぶつけていこう。すると、思わぬところで見返りがあるのだ。

感謝されることの嬉しさ

誰であっても、他人から感謝されることは嬉しいに決まっています。

与えるのが当たり前である「教育者」としては、感謝されることもまた当たり前のことなのかもしれません。

ただ、教員にもいろんな人がいるように、あまり感謝されない教員もいます。

僕だって全員から、

せいじが担任で良かった!

と思われるわけではありませんからね。

だからこそ、

  1. 全力で与えて
  2. その分の感謝をいただく

という過程は、とても健康的で嬉しいものです。

今回はわざわざ海外から報告してくださったのですが、毎度のことながらこれは決して「僕」のおかげではありません。

本人にきっかけを与えたに過ぎず、

『DIE WITH ZERO』とかオススメですよ

と、何冊か本の名前をあげただけでした。

誰だって、その人の変化のきっかけになり得ます。

今回はたまたま、僕がその “きっかけ” になっただけに過ぎません。

その生徒さんは、最終的に自分で考え行動し、選択をしました。

それは誰だって一緒です。

感謝された僕は、

あれ?僕そんなこと言いましたっけ?

と、とぼけるわけでもなく、本当に覚えていませんでした笑。

大学時代の塾でのバイトから始まり、高校で9年間、オンラインで何千回も授業をしていますと、出会った生徒の数は数え切れません。

感謝されたくてやっているわけではありませんが、いざ感謝されるとやはり嬉しいものです。

もっともっと「人のためにできること」を考えて、授業をしていきたいですね。

感謝されることの多い業種だが、改めて感謝を伝えられると嬉しいものだ。

見返りを求めず、全力で。

このように「感謝されること」を望んでいた20代は、悲惨なものでした。

誰かに褒められたい
誰かから認められたい

という気持ちばかりが先行し、「相手に与えること」ができていませんでした。

紆余曲折ありながらも、僕の考え方は次第に柔軟になっていって、

  • 学校の授業
  • 人と話す時
  • オンラインでの授業

など、全てにおいて自分の知識や経験をわかりやすく教えることに徹するようになりました。

どの場面においても、僕が一所懸命教えたことに対する対価は、「何かしらの形」として戻ってきました。

もしかしたら「まだ返ってきていないもの」もあるかも知れませんし、これからずっと返ってこないものもあるかもしれません。

それでも、与えたことを忘れてしまうくらい、全力で投入してみること。

これができるようになってからは、僕の人生は限りなく豊かになったと思っています。

「毎回全力を尽くす」と聞きますと、とても難しいことのように思えるかも知れません。

実は以前の僕も、

そんなことしたくねぇ

と言って自分を甘やかし、学校の業務が終わったら飲みに行くか外食するかをして、何もない夜は自堕落な生活をしていました。

そうした人生もありと言えばありですし、僕にもまだまだ改善できる点はあります。

それでも現在のように、

  1. しっかりと相手を見て
  2. 全力で授業をしたり話したりしている

ほうが、明らかに周りに集まってくれる人が変わりました。

一所懸命やっていますと、出会える人のレベルも高くなっていきます。

僕もまだまだではありますから、その全力さに磨きをかけ、多くの人の役に立っていこうとは思っています。

もちろん、数が問題ではありません。

とにかく「自分ができる全力」を尽くしていくのです。

見返りを求めなくなった僕は、より多くの「いい人たち」と出会えるようになった。そちらのほうが見返りがあり、以前のような自分ではなくなったような感覚を覚えたのだ。

軸や信念をブラさない

僕が自分の意見や主義主張を伝えるときに大事にしていることは、

  • 柔軟さ
  • 軸や信念

の2つです。

一人のオンライン講師とはいえ、伝える言葉にトゲをまとわせれば、簡単に人を傷つけることもできてしまいます。

だから、自分の主義主張を通したくて議論するのではなく、

こういう考え方もあると思う
こうやって行動したら変われた

など、ありのままの自分を伝えることが大事なのかなと思っています。

講師(教員)として難しいのは、

  • 萎縮して何も言えないのもダメだし(ムダな優しさ)
  • 頑固になって相手を傷つけたり意固地になったりしてもダメ

という点です。

軸がブレブレですと、

この人の言っていることはなんだか説得力がないなぁ…

と思われてしまいますし、「これだ!」と決めつけ過ぎてしまいますと、

この人は他の人の意見を受け入れる気があるのだろうか?

とも思われてしまいます。

難しい按配だからこそ、“いい感じの” スタンスを保っておかなければなりません。

生徒さんと人生論を議論する時も、「以前に読んだ本」で学んだことや世界一周の旅が活きていると思っていますし、なんなら今でも毎日何かしら読書するようにはしています。

さらにXやYouTube(ニュース関連も含めて)、オンラインの新聞記事など幅広く読んだ上で、自分なりの言葉として伝えています。

これは誰にでも同じようにできることであり、意見が違えど客観性の上にある信念が見え隠れすれば、

この人はこの人なりの正義があるのだろうな

と思ってもらえます。

  • 客観性がなく
  • 自分の主観だけで

主義主張をしたところで、生徒さんたちも「はぁ…」となってしまいますからね。

僕は僕なりに、ブログを1,500記事以上書いてきて思考を整理しているため(2025年10月現在)、普通の人よりは軸を定められているのかなとは思っています。

そうした軸の安定さをもとに、対話をしていくこと。

もちろん、僕だってまだまだ見識は狭いです。

しかし、「自分は何でも知っている」と妄信して成長していない人のほうが、より危険でしょう。

まだまだ勉強を続けつつも、今まで学んできたことをしっかりと伝えてゆく。

その結果が、今回のような「人を動かすきっかけ」に繋がったのかも知れませんね。

人に何かを伝えるときには、ブレない軸や信念とともに、自分を疑える柔軟さも必要だ。そうやって信頼に足る対話をしていこう。

おわりに

生徒さんたちと話していますと、僕のほうが学ぶことが多いです。

ともに成長する過程で、

せいじさんと話したことがここで活きた!

と思ってもらえれば幸いですね。

そんなシチュエーションを思い描きながら、今日もまたひっそりと勉強を続けていきます。

それではまた!

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